第七章 4:必然と望まずの再会は何度でも
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「いやあ、ドロテアちゃん。こんな寒い北の果ての島でウチを一体何日待たせるつもりにゃのかにゃ?」
雪がまばらに見える草地には、ちょっとしたサーカスでも開けそうな大きな天幕が建てられており、わたしたち二人は凍人のディアーガさんに案内されて入ったのだけれども、そこには既に知人がいた。
わたしはあえて彼女の声を無視して、天幕の中を観察した。動物の革を縫い繋いで造られたらしく、中は薄暗く暖かい。中では皺の目立つ二人の凍人が話し合いをしながら、丸太を削っただけの豪快な机に置いた書面と向き合っている。
「長、セッテフィウミのお転婆お嬢様の客人だ。……で、どうやらもう先日からここで居候している客人とも、お前たちは知り合いのようだな」
ディアーガさんは天幕の外に銛を置いてから老人と思しき姿の二人の凍人に話しかけ、焚き火の傍で身に纏った防寒具ごと丸くなっている寝人にも視線をやった。
長と呼ばれた片方の凍人さんはわたしたちの方へと向き直った。眼鏡を外して、目を細めてじっとこちら――というよりソーニャちゃんを見つめている。
しわがれた野太い声が長の凍人さんの喉から漏れた。
「ディアーガ。とんでもない娘さんを連れてきたな」
「あのお嬢様の関係者だ。一応、これでも平人らしい。角も無いし、少し話せばわかるがこのお嬢さんは魔人じゃないぜ」
「――まぁ、星は気まぐれよ。そういうこともあるか。婆さん、悪いが客人たちに茶を用意してやってくれ」
「はいはい」
焚き火にかけていた大鍋の蓋を開き、中身の湯気立った液体を杓子でポットへと無造作に老女らしい凍人さんが入れていく。
天幕の中では何か薬草を煎じたような匂いが充満していたけれど、どうやらお茶の匂いだったらしい。
その鍋の傍で暖を取っていた寝人――ビシニアさんは、起き上がって壁にかけられていた大きなカップを取りに行っていた。
「ウチも手伝うにゃー」
「ビシニアちゃん、アンタいつまでここにいるつもりなんだい」
「ドロテアちゃんと会うために来たから、もうすぐ終わり。気にしにゃいで」
「寒くなってきたら寝人のアンタの面倒なんか見きれないからね。早いとこ用事は済ませちまいな」
「はいはいにゃー。いやあこれでまだあったかいってんだから、わけわかんにゃい寒さだと思わにゃい? ドロテアちゃん? あ、君にもお茶ねー。熱くて渋くて飲みにくいけど我慢するにゃー」
ディアーガさんが毛皮を敷いてくれて、そこに座れとわたしたちに指で示す。大人しくお尻を落ち着けた所で、ビシニアさんがジョッキみたいなカップに注がれたお茶をわたしたちに渡してくれた。
わたしはなんとか両手で持てたけど、まだ非力なソーニャちゃんはゆっくりと毛皮の上にカップを下ろし、ビシニアさんや二人の老いた凍人さんたちを見回す。
そしてわたしに声をかけてきた。
「この人たちに『わたしの霊脈は視えるのか』って聞いて」
「あ、うん。えーと、ご存知かもしれませんが、わたしはドロテアと申します。で、皆さんはこちらの女の子――ソーニャちゃんというのですが、彼女の霊脈が視えるんですか?」
長の老凍人さんは自分もお茶を飲みつつ、目を細めていた。
「若い凍人は視えんが、光が見えにくくなる替わりに視えてくるもんだ。ディアーガは、鱗人のギィに対抗して修練し、視えるようになったがの」
「長、不要ん話はいい。それより、この二人をしばらく連邦王国から匿ってやってほしいとのことだ」
「そちらの娘っ子――ソーニャか。魔人からも守らにゃならんだろ。本当に平人のようだからの」
「すごい」
たどたどしい連邦王国語で、ソーニャちゃんは暗がりではあまりわからないけれど表情をあまり変えずに天幕の中にいる様々な人種の方々を見回して、感嘆とした声を出した。
「私は魔女。なのに、こんなに怖がらない人間たち、たくさん。はじめて」
「――始原の魔人か。平人は何百年経とうと変わらんか。――ああ、名乗り忘れておったな。儂はゾグ。老いぼれゆえ、ここいらの部族の凍人をまとめておるというか、意見を聞く者だ。よく勘違いされるゆえ、先に言っておくが、儂は凍人の王でも頭でもなんでもない。見ての通りのただの爺だ」
「よく言うぜ。長にはまだおれは勝てないってのによ」
「客人と話しておる時くらい黙っておれディアーガ」
ゾグと名乗った老凍人さんに叱られて、あぐらをかいたディアーガさんは巨体をしゅんと小さくさせる。ちょっとかわいい。
それにしても、これがゾグ酋長か。
夫のヘルマートさんが伝手として名前を挙げた凍人だけれど、確かに理性と温厚さの中に、したたかさも垣間見えるご老人だ。
伴侶らしい老女の凍人さんは、たぶん微笑んでいるのだろう。お茶を飲みながら、何も言わず事態を見守っている。人種は違うけれど、いつかわたしもヘルマートさんと一緒にこんな風な穏やかで互いを労われる老後を過ごしてみたいなぁ。
能天気に考えるわたしと違って、ゾグさんは大変真面目なしわがれ声でソーニャちゃんを見下ろし話を始めた。
「魔女と名乗ったか。ソーニャよ。儂らは、はるか昔この島に訪れ定住を望んだ平人の中には、自ら魔女と名乗る者たちが多くいたと語り継いできた」
「うん」
「彼奴らは故郷を追われ飢えておったそうだからな。祖先たちは凍てつく北海の覇者たる凍人の誇りにかけて、弱き平人を助けることにした。助けられた平人どもも感謝したと言われておる。最初は、かように儂ら凍人と魔女などと名乗る平人どもの仲は良好だった」
「うん」
「だが彼奴らは魔を学び、魔の法を以って儂ら凍人に恩を返してくれようとした。これで話が拗れてな。魔を統べるはこの島では樹人の役目。魔の法など無くとも、儂ら凍人は古よりこの島と海での生活を好んでいた。平人どもは凍人も樹人の言い分も理解できなんだそうだ」
「……」
「今より便利な道具が無かった時代だ。平人にこの島の寒さは魔を操らねば堪えたのだろう。何より、彼奴らは絶対に魔を捨てることを良しとしなかったそうだ。儂ら凍人は、不本意だが助けた平人どもを追い出すしかなかった」
「…………」
「もうわかるだろう。魔に魅入られた平人どもはさらに凍てつく西の地に行き着いた。それが今では魔人と呼ばれる者たちであり、帝国じゃ」
ソーニャちゃんは、途中から頷くだけになっていた。
お茶を二人して飲む。
ビシニアさんが何か口を開きかけたが、わたしは口に指を当てて『黙って』と無言で伝えた。
今はソーニャちゃんの心の整理を優先したい。
「たぶん」
訛りのある連邦王国語で、ソーニャちゃんはカップを見つめたままたどたどしく口を開いた。
「悪いのは、平人」
「なぜそう思う? 小さな魔女、ソーニャ」
「魔法を捨てれば、特別でなくなったら、自分が無力であることを認めれば――出来ない、そんなの」
「助けられるのは、屈辱だとギィジャルガも言っていたな」
黙っていろと言われていたはずのディアーガさんが会話に入り込んできた。
「地上最強の人種、何者よりも強くあらねばならず強者に挑み弱者を守るのが鱗人だと、そのはずだと、そうであらねばならぬと、中々ギィはおれたちの助けを素直に受け取らず、本当に死にかけた」
「今のギィジャルガさんとは全然違いますね。普通の鱗人らしいと言えば、らしいですが」
「助けてもらわなければ生きていけないもやもやとした気持ちを、ギィは言葉にするまで時間がかかったぞ。屈辱という言葉を使ったのも、二年ほど前に初めて口にした。そういう概念そのものが、鱗人の文化には無いんだそうだ」
ヘルマートさんがいつだか教えてくれたことだけれど、鱗人が誇り高く高潔で最強の人種であらんとしているのは、祖霊信仰に基づくものらしい。
彼らの文化の中では、弱いことは罪ではない。ただしそれは鱗人以外の話で、鱗人という人種において弱さは罪であり悪なのだそうだ。そうでなければ、祖霊たちに申し訳が立たないからだという。
そんな鱗人のギィジャルガさんが、寒さに凍えて自分より弱いはずの人種に助けられて、生き延びたという恥は大きな衝撃だったのだろう。
でも、わたしたち平人は弱い。
平たい土地にしか棲めず、何事にも長けていない平たい者であるがゆえにわたしたちは平人と呼ばれ続け、慣習として自認している。
実際のところ、手先の器用さで道具を造り出しどこにでも適応できる能力がわたしたち平人にはあったのだけれど、それでも生身ではどの人種にも劣る。
わたしたちは、弱さという屈辱を生まれた瞬間からずっと胸に抱き続けて生きている生物だ。
「ドロテア」
「何? ソーニャちゃん」
共和国語の声色で話しかけてきたソーニャちゃんに、わたしも共和国語で応える。
「私の主人は魔人だって、私の一番大切な人間は、マリーだって、それ以外の人間なんてどうでもいいって、私は思っている。そう伝えたい。駄目?」
「自分の気持ちに素直になるのは良いことだよ。連邦王国語で話しにくいことなら、わたしが替わりに言ってあげるよ」
どう考えても、今から匿っていただく相手に言ってはいけない内容なんてことはわかりきっている。
でも、わたしはソーニャちゃんが、そう思って配慮したことを尊重したい。ソーニャちゃんは真っ直ぐな子だから、本当なら拙い連邦王国語で誤解も恐れずに言う子だ。
なのに、わたしに許可を求めた。
ソーニャちゃんの中で、何か大きな揺れ動きがあるのだろう。
わたしはソーニャちゃんの幼く純粋な心を守ってあげなくちゃいけない。守られているなんて自覚させずに、守らなくちゃいけない。
守られることは屈辱なのだから。
でもソーニャちゃんは賢い。よく周りを見ている。もうバレていた。
わたしはだから、そんなソーニャちゃんの背中を押すことを選んだ。
「お願い」
わたしの旦那様も、これくらい素直になればもっと生きやすいだろうに。
ヘルマートさんのことなんて言えないか。わたしも屈折して、夫の理想像を今も演じ続ける人形でしかないのだから。
「あのですね、皆さん。匿っていただく前に、ソーニャちゃんの個人的なお話をお伝えしたいと思います」
「この島でもっとも恐ろしいのはそこの小さな魔女だ。今言っていただけるならば、助かるな」
ゾグさんの言葉にわたしはうなずき、連邦王国語で先ほどのソーニャちゃんの、魔人のマリーちゃんを想う意志を率直に伝えた。
当然のことだけれど、天幕の中の雰囲気は一変して緊張に満ちたものになった。
「……脅しなのか、ただ正直なのか」
「正直なんじゃないんですか、あなた」
「そうだな婆さん。……いや気にするな。先ほど話した一件もあり、帝国を儂らは好かん。だがヘルマートが匿うと決めたのなら、魔女の主人である魔人も話の通じる奴なのだろう」
わたしの旦那様、すごい。こんなに人徳のありそうな人種の違うご老人にここまで信頼されているなんて。
もう少し自分に自信を――いや自分を好きになってほしいのだけれど、一年間の結婚生活でどれだけ言っても結局あの男性は駄目だった。
わたしたちは似た者同士の夫婦だから、人殺しの自分を未だに許せないわたしの言葉が届かないのは仕方ないのだろう。
ところで、今まではただの保護者としてしか見られていなかったわたしに、ゾグさんは視線を向けた。
「ドロテアといったか。ヘルマートが伴侶に選んだのだから、お前さんも中々に肝の据わった娘さんだな」
「ヘルマートさんは臆病者ですよ? わたしもお似合いの卑怯者です」
「ヘルマートはマイナードが命懸けで助けた男だ。あの時はまだ幼かったが、今は立派な男になったようだな。いずれ機会があればこの老いぼれが死ぬ前に顔を見せろと伝えてくれ」
「わかりました。でも、立派といいますか、わたしのせいで頭がおかしくなっただけなんです」
出会った時にはもう狂っていたけれど、わたしたちはお互いに頭のネジを外し合った仲だ。お互いに、付き合う時間が長くなるほどタチが悪い人間になっている自覚はある。
「……で、お話済んだみたいだから、ウチ喋ってもいいかにゃ?」
今まで顔を腕でこしこししていたビシニアさんが、遂に口を開いた。
今更もう、神聖皇国を出発する時にはセッテフィウミ邸に居たはずの彼女がなぜわたしたちより先回りして北海同盟で待ち伏せしていたか聞くつもりはない。
わたしたちは万能ではない。彼女の持つ情報網が、わたしたちの動きを先読みしていただけのことだろう。
「それじゃ、ウチもドロテアちゃんやソーニャちゃんを見習って要件だけサクッと言うにゃ」
爪を出したビシニアさんは、自分の首をなぞってソーニャちゃんを見つめた。
「ウチの業界名は新月婦刃。ソーニャちゃんを殺してほしいってお願いされて、ずっと待っていたにゃ」




