第七章 3:北海同盟上陸作戦(失敗)
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「ソーニャちゃん、用意はいい?」
「いい」
「じゃ、船から脱出します。北海同盟上陸作戦、開始」
大仰なようだけれども、初めての連携行動を取るわたしとソーニャちゃんの二人ではこれくらいやって気を引き締めなければいけない。
わたしは口の中に入れた肉体強化法式札を起動し、ソーニャちゃんは霊脈励起。
扉が開け放たれてもなお薄暗い貨物室の隅から、荷運びする水夫さんたちの出入りがまばらになるタイミングをお互いの観測魔法で確認し、わたしの合図と同時に二人で出入口へと疾走して抜ける。
船の甲板に飛び出すと、ソーニャちゃんはわたしの腕を引っ張って身を屈めた姿勢で大胆に船上を走り抜け、突如【反電】を起動。
電磁力の反撥で空中高く打ち上げられたわたしたち二人は、眼下の港を肉眼で見下ろした。
海洋貿易国である神聖皇国のゼナ港と比較すると、北海同盟に潜り込んだこの港はすこぶる小さなものだった。
わたしたちが乗り込んでいた船の船員さんたちは平人がほとんどだったけれど、船荷のやりとりをする地元の人々はほとんどが吠人だ。
あらかじめ決めていた行動通り、死角になりそうな場所をソーニャちゃんが見つけて指差し、お互い独自の魔法を使ってその場へと着地する。
わたしは使い捨てではなく、何度も起動できる替わりに一定の上昇気流しか発生できない木製法式札を連続起動して、落下角度と速度を調整して着地。
ソーニャちゃんは【路雷】で一直線に自分の身体を誘導して着地。
すくりと二人で立ち上がり、防寒用のコートや帽子が乱れていないか確認しながらごくごく自然に歩き始める。
密航者であるわたしとソーニャちゃんは、この場に突如として出現したようなものなのだけれど、互いにその後ろめたさを全く顔に出さず堂々としていれば、案外誰も気にしないものなのである。
「おいそこのお姉ちゃんとお嬢ちゃん。止まりな」
……後ろ――というより足下から野太い声を掛けられてソーニャちゃんがわたしの顔を見上げてきた。
わたしはソーニャちゃんに合わせて、共和国語で話しかける。この娘は仕草だけで意思表示すると、想像もしていない行為をその高い魔法技術で冒す危険性があるため、できるだけ口で説明しなければいけない。
「言うことを聞きましょう」
「全然駄目じゃん」
『やましいことをしていても堂々としていれば大抵怪しまれない』という事前の教えに対して、ソーニャちゃんは無感情に呟いていた。
一方でざばっ、と水飛沫の上がる音が聞こえたかと思うと、わたしたちの立つ波止場が揺れるほどの巨体が目の前に降り立ち、地面が揺れた反動で体重の軽いソーニャちゃんの身体が少しだけ宙に浮いた。
「駄目というか、密航はそれこそ駄目だろ。ましてや魔人相手なら、だ。何が目的だ?」
わたしたちを見下ろす彼――だと思う――の瞳はつぶらと表現してもいいくらいのだけれど、フードを被ったようなずんぐりとした頭に、猫のような口からは立派な太く長い剛質な髭が生えている。
問題は頭部ではなく、全身を被毛で覆った身体だ。
想像していたよりずっと大きい。成人した鱗人の胴体は酒樽二つ分くらいだけれど、目の前にいる方はそれよりさらに一回り大きく、でっぷりとした胴体を太い二本足で支えており、全体的にふくよかな印象を覚える。
「これが凍人……」
「……いやそうなんだが、見たらわかるだろう。質問に答えてくれ」
「思ったより大きくてびっくりした」
「そうですね」
何せ、この凍人さん一人の影でわたしたちは完全にお日様から隠れてしまっている。
小さなソーニャちゃんなんか、大きなお手で掴まれたら頭と爪先くらいしか見えなくなりそう。
ただ、その手には銛が握られており、威圧感がものすごい。
一方で、流暢な連邦王国語で語りかけてくる口調はどこか親しげでもあり、困ったように太い指で髭を跳ねさせている。
「まさか観光目的で来たというわけでもあるまいに」
「ええと、密航したのは諸事情あってのことで、申し訳ありません。謝ります。それと、この娘は信じていただけないかもしれませんが、魔人ではなく平人の子です。逆に言えば、平人なのに魔人だと勘違いされるくらいの魔力量を持つので困ってこの北海同盟に来たのです」
「俄かに信じ難いが、疑っても今見せられた魔法だけで、おれが敵う相手では無いとわかっているからな。信じるしかない。そして信じろと言うのなら、洗い浚い全てを話せ。おれは仲間にそれを伝えなければいけない」
「……話わかるじゃん」
ソーニャちゃんの声色は、状況がわかっているのかいないのか少し嬉しげだ。
けれど彼女の言う通り、この凍人さんは非常に理知的で冷静だ。身に着けている物は腰巻一つくらいで一見野蛮極まりないけれど、強者の余裕を纏うと同時に魔人の恐ろしさも知って驕らずにいる人物である。
「ええとですね。密航したのは、連邦王国からの港から出発すると危険だったんです。なので、渡航中の船上に潜り込んで……」
「完全に魔法使いで魔人の所業じゃないか。説得力が無さすぎるぞ」
「いえ魔人なら連邦王国を危険などと感じません」
「まぁあいつら程度なら確かにそうだな」
凍人さんも連邦王国に対しては思うところがあるらしく、中々に言う。
ちなみに渡航中の船に潜り込んだ手段は、マリーちゃんとヘルマートさんの二人がかりでやったことだ。
二人はどうせ帝国に向かうので、北海同盟行きの船に寄り道するのはさほどの手間ではなかった。だからマリーちゃんの飛翔魔法で三人抱きかかえられて、船に接触する瞬間だけマリーちゃんは熱量操作による気流制御の防音魔法を発動した。
一方でヘルマートさんはより難易度が高く消耗が激しい迷彩気流制御魔法で、わたしたち全員を肉眼で見えないようにしてくれた。気流によって光を自在に制御する魔法なのだけれど、熱量操作だけでこれをやれるのは机上の理論であるとされている。
この二人の魔法で身を隠している間にわたしとソーニャちゃんは貨物室に潜り込み、後は北海同盟に到着するまで大人しくしていたというわけだ。
「それで、無事到着したのでこっそり抜け出して、伝手があるのでそちらに向かおうかとしていたところだったんですが、貴方に見つかって、今こんな感じです」
「見回りがてら漁をしていたら、恐ろしい魔力量を船の中で見つけた時は肝が震えたぞ。それでも魔人の中ではマシかと思っていたら、魔人らしからぬ魔法の使い方をして、手練れだとわかった。それだけ強いのなら連邦王国など怖くもなんともないだろう?」
「無益な争いや殺生を望んでいるわけではないのです」
「と、お姉ちゃんは言っているが、お嬢ちゃんはどうなんだ?」
凍人さんが恐れているのはわたしではなく、ソーニャちゃんの方なのだ。彼女に問いかけるのは当然だ。
連邦王国語でのやりとりは理解できているらしいソーニャちゃんは、少し笑ったように見えた。
「貴方は嫌いじゃない」
「そうか。殺されずに済みそうで助かるが、連邦王国はどう思っているか教えてもらえるともっと助かる」
「地は人間のために呪われ、人間は生涯苦しんで地から食べ物を得る。地は人間のために茨と薊を生じ苦しませるだろう。土から生まれた人間は土に還る。塵は塵に。灰は灰に。土は土に」
共和国語で十字教の聖句をかいつまんで諳んじたソーニャちゃんに、わたしも凍人さんも困惑した。
その反応を見たうえで、ソーニャちゃんは連邦王国語でたどたどしく答える。
「人間は生きる価値を失った動物。塵。でも、貴方は嫌いじゃない」
銛を持ったまま、凍人さんは腕組みしてソーニャちゃんを見下ろしていた。
そしてうなずく。
「なるほど、確かにお前は平人の子なのだろうな」
「私は魔女」
「そうか。だが魔人は高慢で自惚れが多く、仲間意識が強い。一方で平人や吠人は同種族同士で憎しみ争う者が多く、とくに平人は平人同士で滅ぼし屈辱を味あわせることにためらわない者が多い。そのために北海同盟に加わった平人の子も少なくないからな」
凍人という種族から見れば、平人はそういう種族らしい。何一つ間違っていないけれど。
ともあれ、密航がバレて捕まったという事実が信じられないほど穏便に話が進んでいる。わたしは挙手して、事前に教えられていた伝手を切り出した。
「わたしはヘルマートの妻、ドロテアと申します。こちらの娘さんは、まぁご覧の通り事情があって保護している状態で、その――」
「ああ、なんだお前たち、セッテフィウミのお転婆お嬢様の友人か」
「え? はい?」
突然、凍人さんの緊張が和らいだ。
クラリッサちゃんに、今回のマリーちゃんの案件は伝えていないしセッテフィウミ海運の手も借りなかった。同志としてではなく、あくまでヘルマートさんの個人的事情が強すぎたため力を借りることをわたしたち夫婦は良しとしなかったのである。
けれど、クラリッサちゃんはもう既に手を回してしまっていたらしい。
「何年前だったっけな。セッテフィウミに雇われた若い鱗人が夏だからと油断して北海まで水夫としてついてきてしまってな。寒さで死にかけたのを助けて以来、どういうわけかあのお嬢様――名前はキュルルだったか? が、たびたび『親友が世話になったから』と情報交換するようになってな。もしヘルマートとドロテアという平人の夫妻が現れたら、良くしてくれと頼まれている」
「でも、騙っているだけかも」
ソーニャちゃんはどっちの味方なのだろう。
とはいえ実際にわたしがヘルマートの妻のドロテアだという確たる証拠である婚姻書類を見せても、納得してもらえない気がする。
なぜだか機嫌良く笑った凍人さんは「なら」と前置きした。
「その寒さで死に掛けた若い鱗人の名前、わかるんじゃないのか?」
「ギィジャルガさんですね。ずいぶんと鱗人らしくない、クラリッサちゃんと気が合う変わった方ですが」
「あいつは凍死しかけて、おれたちや吠人に助けられて性格が変わったからな。で、おれはギィの友人というか、殴り友達のディアーガという。あの二人の友人なら、そりゃ変人なり訳アリは当然だな。心配しなくても匿ってやるから、ついて来い」
銛を肩に担いでのしのしと凍人のディアーガさんは波止場から歩き始めた。
わたしはその大きな大きな、目の前を塞ぐくらいに大きな背中に語りかけた。
「とてもありがたいんですけれど、わたしたち密航者でとても怪しいですよ? そんな簡単に信用して良いんですか?」
「何言ってるんだ。あの帝国に吠え面かかせる悪企み仲間らしいじゃないか。奴らには最近でも仲間と森を焼かれた貸しがあるからな。それに一番協力してくれるのが、えーと、ドロテアか? あんたの旦那なんだろ?」
「ええ、まあ、正にその火山を噴火させたご本人に責任を取らせるため、帝国へ向かっています」
「最高だな! 痛快だぜ! やっとこれで、少しは死んだ仲間たちにいい報告ができそうだ」
「……死んだ仲間」
共和国語でぽつりとソーニャちゃんは呟いて、小さな歩幅を電気操作魔法を使ってディアーガさんの大きな歩幅の速度に合わせている。
大股で歩くわたしに、ソーニャちゃんは話しかけてきた。
「たくさん人間を殺した私を、怨んでいる人間はいるはず」
「そうだね。……わたしにも昔、大切な仲間がいたよ。みんな殺されて、わたし一人だけ生き残って、仲間を殺した男性はわたしが殺したけど、全然心は晴れなかったかな。わたしが馬鹿だったせいなんだけど」
「……なんで群れて、仲間の仇だとか、そんな理由で石投げてくるんだろう。どうせみんな生きている価値なんて無いのに」
会話が成立していない。
ソーニャちゃんは、降りかかる火の粉を振り払うことにためらいが無いのだろう。ただ、振り払う力が強すぎるだけだ。
でも、わたしは説教らしい説教は、ヘルマートさんみたいにできない。
「生きていていいって言ってくれる人間が傍にいないと、人間は生きていけないからかな」
「そんなに、綺麗な話じゃない。群れて責任の擦り付け合いしているだけのくせに、仲間が傷ついたら理由ができたって嬉しそうに痛めつけてくるのが人間」
「そうだね」
ソーニャちゃんの意見は間違っていない。
でも、ソーニャちゃんは気づいていないはずだ。
マリーちゃんという大切な主人を殺そうとした人間に対して、とても攻撃的になったソーニャちゃんも、あまり大して変わらない生き物なのだということに。
ソーニャちゃんの大切な人を想うが故の殺意は、相手がたった一人か複数かの違いしかないことに気づいた時、彼女は自分の殺意にどれだけの意味を持たせられるのだろうか。




