第六章 終:太陽のせいじゃない
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旅支度を整え終わったマリー様は、決闘――という名のただの兄弟喧嘩が終わった午前中にはもうラガーフォイア邸から文字通り飛び立つ最後の挨拶回りをしているところだった。
額の一本角が本当に危なっかしいのだが、それでもユニカ家の皆様は旅立つマリー様を口惜しげに抱擁し、アレやコレやと言ってやっと互いに額への口づけを終えてから次の人物へと移るので、見ているだけでは正直退屈だったりする。
数年家出していた娘がたった一晩顔を合わせただけで出かける。それを引き止めたくなるのは家族として当然だろう。というか普通なら力ずくで引き止める。
引き止めなかった原因は単純明快。
『ユニカ家の者みんながマリーの家族と会いたいなら、マリーは家族の下へと戻らなければいけない』
これである。
嘘もついていないし、どうせすぐに帰って来る気が無いだろうということも当然ご両親は見抜かれていた。それでも娘が選んで溺愛する家族と会いたいというのだから、もう俺には完全に理解ができない理屈である。
ただ、最後の挨拶となったメルセリーナ様は簡素としたものだった。
「姉様、今からわたくしヘルマート様とラガーフォイアの分家筋である男爵家を回るつもりです。行き道も同じなので、そちらまで一緒に連れて行ってくださいませんか?」
「うん。いいよ。父上も母上も許してくれるよね?」
「ああ。仕方あるまい。現状、ヘルマート君の話に付いて来れているのはお前たち若い者ばかりだ。メルセリーナは信じるとして――」
厳格な面持ちで二人の娘の顔を見下ろしたユニカ伯爵様は、俺に鋭い視線と角の切っ先を向けてくる。
「ヘルマート君。君はしばらくユニカ家預かりとさせてもらおう。君のおかげでマリーは魔法使いとして侯爵家との決闘に勝てるほどに大成したが、君のせいで我々がどれほど寂しく辛くマリーを案じる日々を送っていたか、理解していただかねばならない」
「……覚悟はしております。弁明の余地もありません」
大嫌いな生家に居座るのも嫌だが、針のむしろに座る生活を送ることが確定のユニカ家で暮らすことになるのも心底憂鬱ではある。
メルセリーナ様と計画について話し合いできるのは都合が良いのだが、おそらく一度ユニカ邸に連れて行かれたらしばらくは外出させてもらえないだろう。
……それにしても、侯爵家とまで決闘して、勝ってしまわれたのか。一体何があったのか聞きたいが、それこそ後々メルセリーナ様に教えてもらえばいいだろう。
「じゃ、父上、母上、ぼく行ってくるね!」
「ああ、これからはちゃんと連絡するんだぞ」
「寂しくなったらいつでも家族と一緒に帰ってきなさい」
「うん、ありがとうね。――じゃ、お兄ちゃんもなんかご家族に言うことないの?」
「はい?」
マリー様は俺を見て、ものすごく迷惑そうに伯爵家の皆様方を見送りするために立っているヒリアス子爵様殿を指差した。
貴族のご当主ってのも大変だよね。
「まぁどうせいつでも会おうと思えば会えるから細かいことはいいとして……姉上は立会人の中にいなかったけど、嫁がれましたか?」
「ああ」
それ以上、嫁ぎ先も何も言わない。とにかく俺ともう一言だって口を利きたくないという態度だ。まぁ魔力継承で身内の誰かに食われたわけじゃないことだけ、確認できただけ良かったとしよう。
俺は魔力継承という行為自体、生理的に受けつけられないのだがまだユニカ家のように互いを尊重しあったうえで魔力継承を行うのなら、当人たち同士の問題なので嘴を挟みにくい。
しかし嫡子の魔力量が物足りないための補充だとか、当主の座を賭けての『決闘』で敗者が食べられるとか、ああいう例はむごすぎる。
「それを聞いて安心したよ。じゃあ出発しましょうか、マリー様」
マリー様が髪を翼状に身体構造変化させ、俺が気流制御魔法で揚力を生み出し、飛翔魔法でメルセリーナ様と一緒に運ばれる中、ある程度の距離まで飛んでからメルセリーナ様が感嘆とした声で呟いた。
「ヘルマート様。気流制御魔法の調整、以前より上手くなっておられませんか? 元々達人でありましたが……」
「あ、それぼくも思ってた。お兄ちゃんの魔法式、色々応用して組み込んだけど気流制御に関しては足下にも及ばない。おかげで行きは大分楽させてもらったけど」
姉妹はそれぞれ俺を称賛なさってくれたが、気流制御魔法に関して上達した理由はとてもではないが褒められたものではないので、曖昧に笑ってごまかしておいた。
とにかくあの島で冒険者をやっていた五年間、俺は精神的にも逃げていたし仕事も逃げ足だけが頼りだった。そりゃあ熱量操作魔法の機動力である気流制御も上手くなろうというものである。
「よし、じゃあこのあたりでいいかな。二人とも降りるね」
マリー様はラガーフォイア子爵領の境目あたりまで来て、草原に降下した。
俺もメルセリーナ様も、まだ地面より大分高い位置でマリー様の腕から離れて独自に着地する。俺は上昇気流魔法で、メルセリーナ様は両腕を翼状に身体構造変化させてからはばたいて安全確保だ。
遅れて着地したマリー様は、ラガーフォイア邸の方角を見て様々な観測魔法式を多重展開している。
「うん、父上と母上はこっそり追いかけていないみたいだ。これで別れる前に三人だけの内緒話が安心してできる」
「……マリーお嬢様、ずいぶんと警戒心が強くなられましたね」
「姉様に決闘で負けた屈辱を、闇討ちで晴らそうとする貴族の風上にも置けぬ輩が何人かいらっしゃったのです」
……ジラルドから聞いた話だが、俺が帝国から逃げてしばらくしてから、マリー様はずいぶん荒れたそうで、今までなら見過ごしてきた他家から囁かれる『出来損ないの伯爵家長子』という侮辱を、全て決闘で晴らしてきたのだそうだ。
おかげでマリー様の雷名が帝国中に轟き、俺の教えと独自の魔法を使うことでより強くなられてしまった。挙句の果てに闇討ちを経験したからこそ、複数の観測魔法を恒常起動する隙の無い強大な魔法使いが生まれてしまったというわけである。
「まぁあいつらもぼくに負けたから反省していれば、メルセリーナとお兄ちゃんたちの話に耳を貸して……くれるわけないか。で、お兄ちゃん本当にいいの? 帝国に一人だけで残って。奥さん心配じゃないの?」
マリー様が恐れ多くも俺に心配の言葉をかけてくださったが、ありがたいと思う前に姉の腕に縋りつくメルセリーナ様の目の色が明らかに変わったことに気づいたので素直に喜べない。
メルセリーナ様は昔から色恋沙汰が大好きなのだ。外の悲恋愛劇を小説にまとめたものなど、大変喜ばれていた記憶がある。
……俺、後でどれくらいユニカ家の皆様に絞られるんだろう。というかメルセリーナ様に俺とドロテアさんの婚姻関係を納得していただけるだろうか。
「ドロテアさんは、むしろ俺が帰って来ることを望んでいないでしょう。片付けるべき仕事は片付けてないと、大変叱られましたので……」
「寂しくないの? 愛し合ったから結婚したんでしょ?」
「心配ではありますよ。妻をこの手で守るのが夫の本分だとも思いますしそうしたい気持ちもあります。でも、それを許してくれないんですよあの女性は」
「えぇ……メルセリーナわかる?」
「そういう愛の形も、あってもいいとわたくしは思います」
愛という言葉をためらいなく連呼するユニカ家と話していると小っ恥ずかしい気分にさせられる。
俺は少し強引に話題を変えることにした。
「ともかく。マリーお嬢様は俺の心配などいいですからソーニャ様の下に速く向かってあげてください。ドロテアさんとは反りが合わないかもしれませんが、彼女は大人です。マリーお嬢様も俺の奥様の話に耳を傾けてくれないと……恐ろしいことになります」
「うん。知ってる。あの女は狂っている」
真顔だった。マリー様は一片の悪ふざけも笑みもないその表情で、俺への詰問を止めない。
「お兄ちゃんはおかしくなっちゃった。ぼくの知っている優しいお兄ちゃんは、もういない。……お兄ちゃん、左手の指、ちゃんと動く?」
「ええ。問題なく」
嘘だ。マリー様を脅迫するために、俺は利き腕ではない左手を犠牲にすることを選んだ。
マリー様が止めてくれた結果、炭化したのは五本指だけで済み後で再生もしてもらったが、どうも左の指を動かす際に違和感と遅滞を覚える。ソーニャ様が拾ってくださっていたドロテアさん手製の婚約指輪も、嵌め直した今、どこか感触が他人事のようだ。
でもこれはマリー様がおっしゃるように、俺が狂気の所業と理解したうえで自分でやった行為なので、お嬢様に責任を背負わせてはいけない。
マリー様は、そんなことを考えている俺をどう見ているのか金色の瞳をまっすぐに逸らさない。
「聞かせてよ。お兄ちゃんは、元からああだったの? あの女のせいでああなったの?」
「……お嬢様の教師をしていた時分は、俺も叔父さんに守られていました。心に余裕があって、世間を舐めていた。でも一人で生きていく内にやさぐれて、いつのまにか普通に狂ってました。そんな狂気を諌めて止めて……思いっきり蹴っ飛ばして焚き付けてくれるのが、ドロテアさんです」
「……あのさ、二人ともさ。なんで命を大事にしないの? これから帝国の諸侯を説得するのだって、メルセリーナは大丈夫だろうけどお兄ちゃんは本当に危険なんだよ?」
どこまでも心配をかけて申し訳なく、それほど俺を案じてくださるマリー様の気持ちは嬉しいのだが、しかし俺は結局それを踏み躙ることしかできない。
「俺は俺で、ドロテアさんはドロテアさんで、取り返しのつかないことをしてしまったんです。あの女性が俺に結婚を申し出てきた時の一言ですが『死んだように生きるくらいなら、生きるために死ぬ』ことを選んだのが俺たちです。だから今俺はここにいて、妻の傍にいない。――ドロテアさんも言いましたが、お嬢様たちはこんな大人に絶対になってはいけませんよ」
本心からそう思う。マリー様は魔法使いの実力は化け物だが、精神的には十六歳という年齢より少し幼いくらいに純真だ。大人になっても、その真っ直ぐさは決して失わないでいてもらいたい。
俺やドロテアさんのような心が化け物になってしまった人間は、少ないに越したことはない。
そう思って口にした不躾な忠言だったのだが、案の定ユニカ家姉妹のお二人は互いに目配せしあってマリー様から口を開いた。
「お兄ちゃん、怒らないで聞いてほしんだけど」
「俺がお嬢様たちに怒るなど。身の上は弁えておりますよ」
「じゃあはっきり言うけど。お兄ちゃんの今の話を聞いてわかったよ。お兄ちゃんをおかしくさせたのはマイナードおじさんのせいだ」
――気づいていた。
死人は帰って来ない。喪われた命との断絶は永久で絶対だ。
俺は叔父さんに恨み言の一つも言えやしない。
「北海同盟でのラガーフォイア家のやらかし事件はぼくも調べたけどさ。マイナードおじさんは、お兄ちゃんと一緒に逃げることだってできたのに、一人でも多くの樹人を助けるために死んだ。それってさ、あんまりじゃないか。赤の他人より、ずっと傍にいた大切な人間のために生きることのどこが悪いの?」
「ヘルマート様は少し不本意ですが、今でも姉様の大事なお方です。死んでいただいては困ります。だからわたくしは、ユニカ家次期当主の権威と治療魔法でヘルマート様をお守り致します。でも、それは姉様のためです」
俺は、膝をついて姉妹に頭を垂れた。
昔の教師としての俺は、まだ幼いお二人に教えることはたくさんあった。けれど、この姉妹はもうとっくに俺よりはるか向こうにいる。
「出過ぎた言葉でございました。ご容赦いただきたく存じます」
「違うよ。ぼくはちゃんと『命は大事にする』って約束してほしいの。お兄ちゃんが死んだらそれこそぼくはお兄ちゃんたち夫婦みたいな狂った魔人になるかもしれないよ?」
「それは恐ろしい。世界が滅ぶかもしれませんね」
「いやそこまではできないと思うけど」
「でも、残念ながらお約束はできません。出来ぬ約束を出来ると言う方が、不誠実というものでしょう」
マリー様は、メルセリーナ様と顔を付き合わせてため息をついた。
もうどこまでも教師失格だな俺は。せめて反面教師として学んでくださっていることが幸いではあるが。
「メルセリーナ。悪いけど、お兄ちゃんと帝国を任せるよ。連絡はこれまで以上にこまめに取るし、メルセリーナ側からもぼくに教えるべきことができたら教えて。ぼくはソーニャの所に行かなきゃいけない」
「はい。姉様の家族をお守りできるよう、帝国に少しでも安全地帯を用意してみせます。もちろん、この帝国そのものを守るためにも尽力致します」
「うん、メルセリーナはやっぱりぼくの自慢の妹だ。名残惜しいけど、またね」
マリー様はメルセリーナ様を抱擁すると、すぐに振り返って走り出し、飛翔魔法を起動させて帝国の半端な色の空へと飛び出した。
その姿を見つめているメルセリーナ様は、俺のことを見ないまま笛のような声色だけで語りかけてきた。
「『またね』と姉様は言いました。だから、必ず帰って来るとわたくしは信じて安心して送り出せました。以前出奔なされた時も、同じでした。秘密の通信魔法も教えてくれましたから」
「ええ、本当にお嬢様たちは御立派になられました」
「ヘルマート様のおかげなのですよ。だからわたくしも、貴方に力を貸すことを許すのです」
ジラルドも言っていたな、俺は自分を過小評価しすぎていると。
だからどうした。
どんなに真心からの称賛を受け取っても、俺は俺をただの臆病者の利己主義者だとしか考えられない。
だからお嬢様姉妹たちの言葉の方が理があるとわかってはいても、それでも約束はできなかった。
俺はこれからも、目的のために必要と判ずれば自分の命を賭け札に使い続ける。
それがきっと、俺がドロテアさんに対してもっとも真摯に向き合う生き方なのだから。




