第一章 4:美食への追求
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「マリー! 五番テーブルのお客様、そろそろ次用意して! あと二番テーブルのお客様はもうデザートにするって! それから七番テーブルのお客様がいらっしゃったから!」
「はーいはい。ソーニャは今日も元気いっぱいでえらいなぁ」
ホールの状況を厨房へ伝えに行くと、ふわふわの髪を帽子に収めて白い調理師衣装に身を包んだマリーは、片手に持ったフライパンで肝臓のソテーを焼きつつ、もう片方の手を払ったかと思うと季節のフルーツを盛り合わせたアイスクリームを乗せたお皿がひとりでに浮き、私の手元に収まった。
もちろん、厨房ではマリー以外の調理師たちも一生懸命に働いている。そして、彼女は別にこのレストランの調理長でもなんでもなく、ただの見習いだ。
なのに、厨房は完全にマリーの支配化に置かれていた。
「ちょっとー、竃の火力高すぎるよー? パイ焦げちゃうよー? ぼくが温度調整できるからって、気ぃ抜いちゃだめだからねー? あと君ナイフの摩擦熱係数高すぎ。ちゃんと研がないから切れ味悪くなるんだよ」
マリーの声は外見のふわふわした印象通り、ちょっと掠れた女の子らしい声で威圧感はまるで無いのだけれど、彼女に注意されるたびに調理師たちに緊張が走るのがわかる。
私はそんな厨房の様子を背中に感じ、デザートのアイスを二番テーブルに持ってゆく。
マリーのペットになってから、一年余りの時が過ぎていた。疑う余地も無く、私の人生で一番幸せな、毎日毎日が充実した一日だ。
ウェイトレスとして働く私としては、ちょっと充実しすぎて疲れを感じることもあるけれど、主人に信頼されて同じ職場にいることを許されたのだ。相応の働きを報いなければ誉れ高き魔人のペットである資格がない。例えマリーが許してくれたって、私が私を許さない。
「お待たせしました。こちら、桃のキャラメリゼを添えたバニラアイスクリームになります」
「あら素敵。まるで桃が琥珀のドレスを着たようね。魔法みたいだわ」
ご婦人はデザートを眺めて感嘆の声を上げた。カットした桃の断面を砂糖で覆い、瞬間的に熱量操作魔法で焦がしてキャラメリゼしたのだから本当に魔法だったりする。
本来なら焼き鏝を使わなければこんなに綺麗なキャラメリゼはできないのだが、厨房で焼き鏝を用意するのはかなり危険で、桃をダメにしてしまうこともある調理法なので普通のレストランではそうそう簡単に出せるものではない。
共和国は美と芸術と食を愛する国だ。私は十三、四年ほどこの共和国で暮らしてきてそんなことはまるで知らなかったが、マリーが言ったのだから間違いない。
だから、魔法使いを調理師として雇っているレストランはわずかながらにある。海を隔てた冒険者たちの島であるツェズリ島で魔法を学んだ者や、そうした者たちから魔法を教えてもらった調理師もいる。
それでも、魔法使いの本場も本場、極北の魔法帝国からやってきた魔人の伯爵令嬢が働いているレストランなど、共和国でもこの店くらいだろう。
『料理の勉強がしたいから働かせてください』とマリーがこの店に入って言った時は、少しだけ店員たちが哀れに思えた。マリーは本心しか言っていない。彼女が帝国を飛び出して美食を愛する共和国にやって来たのは、私のような魔女を拾うことではなく本当に料理の修行のためだったのだから。
巡り合わせというものは中々に奇妙なものだとは思う。
※
「ふぅーっ。今日も皆さんお疲れ様でしたー。大変べんきょーになりました。ありがとうございまーす」
「あ、ああ、はいお疲れ様です、マリー様……」
閉店後、ホールの掃除をしていると厨房で調理師帽を脱いだ瞬間のマリーの姿が見えた。
小さな帽子の中に、どうやっても入るはずのないもっこもこの雲みたいな白い髪の毛が飛び出してゆらゆらしている。
私は厨房の方に顔を出して、注意しておいた。
「マリー。寄生干渉属性の魔法はとくに見た目がエグいから威圧感あるって私前に言わなかった?」
「あ、ごめーん。ぼくってこれでも箱入りのお嬢様で世間知らずでさ。みんなを怖がらせる気なんてとくになかったんだ。大丈夫大丈夫ぼくは怖くない魔人だよ」
初めて出会った時にもそう言っていたのだがマリーの自称「怖くない魔人」は口癖みたいなものだ。
私はマリー以外の魔人を知らないけれど、話を聞く限りどう考えたって魔人は怖い。海を蒸発させて軍艦隊を海底に叩き落し、地面を溶岩に変えてあらゆるものを焼き尽くし、地震や洪水すら起こす災害級魔法を行使する存在を恐れるなという方が無理だろう。
マリーいわく「恐がられるのも魔人のお仕事だからね」とのことだ。だからこそマリーは自分を怖くない魔人だと言うのだろう。
もっとも、マリーを怒らせると躊躇い無くマリーは人間を殺す。よほどのことでは怒らないのでこの場に限っては間違ったことは言っていないのだけれども。
「それじゃあ、悪いけどぼくもう帰らせてもらうね。ソーニャ、掃除はいいよ。ぼくと一緒に帰ろ」
「あ、うん。そういうわけで、主人の命令通り、申し訳ありませんが帰宅させていただきます。皆さんお疲れ様でした」
私は頭を下げて、掃除用具をそこらへんにほっぽらかして着替えの入った鞄を更衣室から取ってくると、着替える間も惜しんでウェイトレス衣装のまま玄関で待ってもらっているマリーの下に急いだ。
主人のマリーと言えば、調理師服とエプロンを皺くちゃになるのもお構いなしに鞄へと突っ込んで、下に着ていた質素なセーターとスカート姿である。
「ソーニャもお疲れ様。あとさっきはありがとね。そっかー。下等人種はアレでドン引きするのかー。仕方ないなぁ」
「本当は、マリーを怖がる人間たちの方が悪いんだけど。不気味だとか、変だとか、理由になってない理由で勝手に怖がって、群れて、こそこそして、嫌がらせばっかり。気持ち悪い」
「ソーニャはえらいね。優しいね。ぼくの前でしかそんなことは言わないんだから。よしよししてあげよう」
レストランの玄関を出て、夜の通りを歩き出した私はさっそくマリーに頬ずりされて頭をくしゃくしゃに撫でられた。
普通の人間がやれば髪型が崩れるので気持ち悪い愛情表現だが、マリーの場合は寄生干渉魔法で私の髪に干渉し、乱れた髪を元通りに戻してくれるので問題ない。そういう気遣いができる主人を持った幸福と、見た目通りにふわふわの雲みたいな髪の毛に埋もれることは私のささくれだった心を滑らかな気持ちにしてくれる。
でも、やっぱり完全に淀みは消えはしない。
「優しくなんかない。私こそ怖がりなだけ。マリーにくっついていれば、魔女の私なんかただのペットだって、みんな無視してくれるから。私は主人のマリーを盾にしている、ダメダメなペット」
「そーお? ぼくの方が強いんだからさ。ぼくが主人なんだからさ。ソーニャはいくらでもぼくに甘えてくれていいんだよ?」
「甘えさせてくれるっていうのなら、魔法の鍛錬はもうちょっとこう……優しくしてほしいかな」
「アハハ。それはダメ。それとこれは別。ぼくがソーニャを可愛くって大切に思うからこその気持ちだって、痛みで覚えてもらわないと。ぼくもそうして父上や母上に魔法を教えてもらったから」
基本的に私には砂糖菓子のように甘いマリーだけれど、こと魔法を教える時は容赦がない。折檻で骨の一本や二本を折られるのは当然で、その傷を即刻寄生干渉による治癒魔法で治して、次もダメだったら笑顔で血を吐くような平手打ちが待っている。それも治しての無限地獄だ。
もちろんマリーの愛情がわからないわけではない。彼女が本気で叩いたら、電気操作魔法しかまだ鍛錬していない私の身体など紙細工のように引きちぎられ叩き潰される。霊脈の根幹である脊髄を傷めてしまっても、魔法使いとして再起不能になるので主人が絶妙な手加減で折檻してくれているのはわかっている。
でもさすがに痛みを愛情と感じるには、私は痛みに関して嫌な思い出ばかりが多すぎる。
「さっきの話だけどね。ソーニャは優しいよ。本当だよ?」
「そうかな。マリーに綺麗で清潔な身体とお洋服を貰って、見てくれはよくなったけど、私の中身は全然変わってない。マリー以外どうでもいい」
「ソーニャ、それは十分優しいよ。ぼくもこれで出来損ないで産まれちゃってね。幸い、妹が優秀だったからあの娘が跡継ぎになってくれて家のことはなんとかなっているんだけど、ぼくが家の中で嫌な特別扱いなのは事実。
だからね、ぼくはそういう嫌なしがらみとか決まりとか、全部ぶっ壊したくて、家出しているの。ぼくがソーニャの気持ちがわかるとは言わないけど、仮にぼくがソーニャの立場だったら、目につく下等人種みんな灼き殺しているね!」
「そんなことしたら、マリーに迷惑がかかるもん」
「ペットの多少の粗相くらい、主人が責任取るのは貴族として当然の義務だよ?」
「主人に不要ない負担をかけないのも、ペットとしての責務だし」
「ああもう、本当にソーニャは可愛いなぁ」
感極まったらしいマリーに強く抱きしめられて、みしみしと骨が軋み内臓が圧迫され呼吸が出来なくなる。
嗚呼、うっかりこのままマリーに絞め殺されてしまえたらいいのに。
でも、事故で私が死んだらマリーが悲しんじゃうかな。私が死ぬ時はマリーが私をちゃんと殺したい時でないとだめだ。
だから、霊脈を活性化させて魔法式を脳内構築し、身体の周囲に放電した。
ばぢっ、と空気が弾ける音がして、マリーの抱擁が緩んだ。
「アハハ。ごめんごめん。あまりにもソーニャが可愛かったからつい」
火傷を負ったマリーの顔がみるみるうちに、元の綺麗なそばかす一つない白い肌に治癒されてゆく様が、街灯の明かりの下で見えた。
こういう時、普通なら主人への不敬として謝らなければいけないのだろう。でも私はそうせずマリーの頬に口づけをした。
「私を殺したい時は、マリーが決める。けど今こんな時じゃないでしょ?」
「うん。だからね。そういうところが優しいんだよソーニャは」
「私の我儘だもん」
「そうかなぁ? 帝国では他にペットを飼っている貴族はたくさんいるけれど、こんなに主人に対して気安く接してくれる子は少ないよ。大抵のヤツは媚びて甘えてちょっと気持ち悪いんだよね。ソーニャはその点、ぼくがソーニャに何を望んでいるのかよくわかっていて、ああ可愛い」
またも繰り返す、抱擁と放電。
私たちの日常。
これがとても異質で異常で、道行き傍から見られたら奇異と嫌悪の視線を向けられているのは知っている。
でもそれがどうしたというのだろう。
私たちの間の愛情は、私たち以外に理解してもらう必要なんてない。