第六章 4:兄弟喧嘩は始まったばかり
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帝国の滅亡。
メルセリーナ様が口にしたその一言は、魔人たちの間を静かに浸透し、マリー様とメルセリーナ様のお父上である現ユニカ家当主――申し訳ないがこれも名前を忘れた――が、総領娘を睨みつけた。
「メルセリーナ。滅多なことを口にするものではない。陛下が統べるこの帝国は、磐石だ。見よこの美しく蒼々とした肥沃な大地を。飢える者はおらず、病や怪我は我らユニカ家の領分であり程遠い。一方で移民たちは皆痩せこけてみすぼらしく、生きる希望を失った者たちばかりだ。あのような民たちを放置する国々など、取るに足らぬ」
「そうです父上。我々魔人は結束が強く、荒事はこのような『決闘』のみで済ませてきました。本来ならこの厳しい極寒の極北圏で生き延びるために、偉大なる祖の魔人たちの定めた法と、陛下のご加護の下、血が流れずに済んだ歴史は外の争いに明け暮れる歴史と比べれば素晴らしいと思っていました――姉様が家を出奔するまでは」
これは、嘘だな。
マリー様とメルセリーナ様は大変仲が良く、俺は結果的にメルセリーナ様にも授業をする機会が何度かあった。当時はまだ俺もガキだったので、つい口にしてしまったことがある。
『帝国は戦争を知らない。経験したことがない』
あの言葉を覚えていたからこそ、メルセリーナ様は即座に俺の目論見を看破したはずだ。
一方でマリー様は髪の毛を寄生干渉魔法の身体構造変化によって、ハリボテのように形状変化させる。まずは飛行船だ。
「これお空を飛べる船。よく燃える瓦斯で、この膨らんだ風船いっぱいにして空を飛ぶ結構頭のネジが抜けている危険が危ない乗り物。簡単に撃ち落とせる。だけど、お兄ちゃんの方がもっとこういうことは詳しいと思う」
「最近は大砲の精度と射程距離が伸びています。問題なのは数で、亡命した魔法使いが製造に加わっているのもあって列強国の大砲保有数は年々跳ね上がっています。さらに問題なのは、小銃という歩兵が普通に絶対持っている銃です。俺は実際に連邦王国の最新小銃を目の当たりにしましたが、十発まとめて装填できる弾丸を三秒程度で一発撃てる、極めて命中精度と殺傷力に優れたごく当たり前の装備です」
「銃は、船団で船に乗せる前に移民たちから押収することもあるが。軍のものはそれほど性能が上がっているのか?」
ユニカ家ご当主殿も少しは話を聞いてくれる気になったようだ。帝国の銃の認識は、先込め式の旋条が切られていない滑腔銃から止まっている。
一応言っておきたいので、俺はマリー様に注文した。
「小銃を再現できなくてもいいので、なんか細長い棒っぽいもの造って、俺に貸してくれますか?」
「はい」
兵器に関しては興味が無いらしいマリー様は、本当に引き金がテキトーに付いただけの棒を髪の毛を束ねて造り、投げ渡してきた。まぁ無いよりはマシか。
俺は後ろ腰からナイフを抜き、髪の毛の束の棒の先端に柄を押し込んで、銃剣らしきモノにしてみせた。
「それで、歩兵が誰でも持っているその小銃に、こういうナイフや針が――銃剣というんですが――付けられていて、接近戦になっても銃を槍として使えるんですよね。万能兵器です。何度も念を押しますが、こんなものを歩兵が誰でも持っていて何千何万という軍隊になっています。昔のように密集せず、散開して歩兵たちは動くので広域殲滅魔法で全滅させるのは難しいでしょう。
で、先ほどの大砲です。大砲でまず攻撃し、歩兵を突撃させる。これが現代の戦争の基本です。飛行船や気球は大砲の着弾地点を観測し、次弾修正させます。前線兵の応援要請次第で効果的な砲撃を加えることもあります。大砲と歩兵は互いが互いを守りつつ攻撃する矛と盾を兼ね備えており――魔人と言えども、大砲の射程距離内に飛び込めば、死が見えます。何せ肉体強化魔法を修練している魔人は少ないですからね。直撃どころか着弾付近の爆風に巻き込まれただけで良くて気絶、最悪死にます」
「すまんヘルマート君。君の言っていることが八割方わからん」
「つまりそういうことです伯爵様。そんな無知な状態で戦って無事に済みますか?」
こめかみを押さえるユニカ伯爵は、話がまだわかる魔人だ。愛娘が家出した原因を造ったのは俺だが、それまでは教師の実力を買ってくれたのが伯爵様である。……つくづくそんなお方の名前を忘れる俺も薄情だな。
マリー様は、にんまりと笑って俺に渡した自分の髪の毛の一部を取り込み直し、口を開いた。
「『愚かなる者は無知を喜ぶ。賢き者は歩みを正す』……ぼくの大切な家族が教えてくれた言葉だよ」
ソーニャ様はあまり口数が多くない印象だったが、マリー様の前ではそうでもないのかもしれない。ともあれ、現状の魔人を戒めるには大変良い言葉である。
だが、今まで事態が把握できていなかったらしい伯爵夫人――マリー様のお母上が、息女の肩を掴んで嘆くように叫んだ。
「マリー! 家族ですって?」
「うん。自慢の最高に可愛いぼくだけの家族だよ」
「それほど大事な家族なら、なぜ連れて来なかったのですか!?」
……叱りつけるのはそっちなのか。
俺はてっきり、勝手に国外で家族を拾ったことを咎めようとしているのだと思ったが、ユニカ家はみんなこうなのか。嫁いできたはずの伯爵夫人までこうなのか。
伯爵様も腕を組んで奥方の言葉に頷いている。メルセリーナ様はマリー様の服の袖を拗ねた表情で掴んでいる。
「全くだマリー。今の言葉、感銘を受けた。確かに我々魔人はあまりにも永く外の世界を知らない種族であった。それを主人に戒める家族とは――なんと良き出会いをしたものだ。私もぜひこの目で見たい。今すぐにでもだ」
「姉様はたびたび家族のことを自慢しておられましたが、わたくしは嫉妬と羨望と尊敬と哀愁が入り混じっております。一度面と向かってお話したいと思っていましたのに、会えなくてとても残念です」
「こういう扱いされるのが嫌なんだよぼくのソーニャは! 繊細なの! だからうかうか連れて来られなかったんだ。ぼくだってソーニャとはできたら片時も離れたくないよ」
「なんと……マリー、父は嬉しいぞ。お前が家出したこと、水に流そう。それほど良き出会いをしたのであれば、もはやこれは運命であり星の導きだ!」
「ええその通りです! あの喧嘩ばかりしていたお転婆なマリーに、それほど想わせる家族ができたなんて……」
「姉様、絶対に会わせてください、約束ですよ?」
狂ってるなこの家族。
率直な俺個人の感想を述べればそれだけで済むのだが、俺は魔人ではないので家族という概念を理解していない。このあたりは、他家の――身内の者に聞いてみよう。
「ヒリアス・ラガーフォイア子爵様。良き家族と巡り会うとは、あれほど喜ばれるものなのですか?」
「我が家は平人の家族は禁止だ。ホルムがどうも――いや、そんなことはどうでもいい」
草原に座り込んでいた兄貴は一瞬自分の幼い息子――俺からすれば甥の――ホルムに視線をやったが、すぐにかぶりを振り、俺を見上げた。
兄貴が俺を見下さない?
「決闘の勝者はヘルマート、お前だ。そして先ほどユニカ伯爵様に説明なされたこと、私もほとんど意味がわからなかった。――これからの時代、魔人に必要なのはお前のような男なのだろう。私を殺し、魔力とラガーフォイア家を継承しろ」
平手で頬を叩いた。
一瞬拳を握りかけたが、ドロテアさんの平手打ちを何度か喰らう内に、説教する前の折檻は拳より平手の方が利くと学んでしまった。……ドロテアさん限定の篭絡技の可能性もあるが。
ともあれ、兄貴は俺に平手打ちされても、反抗の気力も見せずうなだれて角を揺らしていた。
「アンタ本当に底抜けの馬鹿だな。俺みたいな貴族の品性を欠片も持ち合わせていない、臆病者で自分勝手で嫁さんほっぽって、兄弟喧嘩するために実家に帰るような屑のド阿呆に領主が務まるか。兄貴がいねーとこの子爵領は回らないんだから、いじけてないで働け」
「なぜだ? お前は――魔力量が平人並みというだけで、男爵級ほどの魔力でもあれば叔父上殿から引き継いだ魔法式と知識で、必ずや帝国を守る剣となるだろう。今はそれが求められる時だとお前は私に復讐しに来たのではないか」
「あのなぁ、内政あれだけ見事にやっている兄貴にンなこと言われても皮肉にしか聞こえねーんだよ。『自分が死んだ後困り顔を見るのが楽しみだ』とか考えているんだろ?」
「お前はつくづく品性が下劣な男だな。私は真心より帝国を憂いている。今の時代に私は必要とされていない」
「じゃあ絶対俺が面倒見きれない領民の皆様どうすんだよ」
「内政ができる人間など、どこぞなりから連れてきて任せればいいだろう」
「俺には魔人としての経歴も人脈も無い。そんな都合のいい奴見つかるか」
「ならば見捨てるしかあるまい」
「だから兄貴のそういう所に俺はキレてんだよ! いい加減にしろよ!」
つくづく俺たちは、生まれ持った才能が違っただけで似た者兄弟だったらしい。
「民あっての国だろうが! 兄貴はそれを見事に維持している! 俺はもうこの魔力量なりにやっていけている! わざわざ一個集中する必要はねーんだよ! 役割分担だ! 兄貴が昔みたいに現場にしゃしゃり出てきて不要んことしたヘマを、もう一回繰り返すつもりか!?」
胸倉を掴んでがくがくと揺さぶりながら、積年の怨みを吐き出す。
俺は命を賭け札にして目的を達成しようとしている、イカレた人間だ。ドロテアさんの同意の下とはいえ、あの女性が言ったように未だに俺は自分が納得できる死に場所を探しているだけに過ぎない屑だ。祖国を救うとかただの綺麗事のお題目だ。
兄貴は、先ほどの口ぶりからするに俺の方が魔法の腕は上だとは理解しており、魔人として当主として屈辱だったのだろう。それで負けたのだから、全部捨てて楽になりたくなっただけだ。俺だって一度自棄になって帝国から逃げたので、気持ちはよくわかる。
俺より生きる価値のある人間なんて、ごまんといる。散々怨んできたが、兄貴も俺より価値のある人間だ。
「父上は、僕の誇りであり目標です」
ホルムという名の俺の甥が、いつのまにか近づいてきて、脱力している情けない姿の父親に、それでも断言した。
「魔法の腕はハイダの方が筋がいい。なら僕は、尊敬される領主で貴族の、父上のような魔人になりたい」
「ホルム」
「それに、いきなり帰ってこられて、こんなに父上を乱暴にする叔父上が当主だなんて、僕は嫌です」
ごもっともだ。俺には人徳が無い。
「姪殿や、義姉上殿も、この子爵様に何か言ってやってください」
俺は今まで黙っていた兄貴の妻子たちに、皮肉交じりの懇願を投げかけた。
彼女たちは、姪殿は無表情に、そして義姉上は見るからに嫌そうな表情で、次期ラガーフォイア家当主であるホルムの意見に同調した。
「うん。叔父上さま、おもしろいけど、父上のかわりにはなってほしくない」
「私もこのような下品な男に義姉と呼ばれるだけで虫唾が走ります」
「ほらな。ラガーフォイア子爵様よ。兄貴の替わりなんて誰もいねーんだよ」
俺は兄貴の掴んでいた胸倉を離した。
兄貴は、数歩よろめいて、それでも自分の足で立って、俺を睨んだ。
「どこまでもいけ好かない男だ」
「その言葉、そっくりそのまま返してやる」
俺の復讐は終わった――わけじゃない。
『子爵でも条件次第でただの平人にあっさり殺される』実例の証明になっていただいたのは、もちろん嫌がらせに決まっている。
その結果、ラガーフォイア家がどうなろうと俺は知ったこっちゃない。それは兄貴がなんとかすべき責任であり、貴族としての義務だろう。




