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魔宵子たちの北極星  作者: 水越みづき
第一章 魔女は食材の羊と見初められた
3/93

第一章 3:ペットって何?

 3


 ペット。

 マリーは私の頬をするすると撫でながら、微笑みをたたえて言葉の反応を待っているようだった。

 彼女の手つきは優しいけれど、存外に早い。頬から片手は額からこめかみに、もう片方の手はうなじから首筋へと撫でる手が止まらない。

 一体いつまで撫でられるのだろうという好奇心と、それだけで満たされる胸の奥の熱い何かがあるけれど、でもそれはそれとしてやっぱりちゃんと会話は続けないとだめだとも思う。そうしてわかりあうのが人間の美しい在り方だとマリーが言ったのだから。

 ただ、私の言葉は自分でも情けないくらいにひどく稚拙な質問だった。


「ペットって……何?」

「あれ? 共和国語でぼく話したよね? あ、もしかして、ソーニャの村くらい田舎だとペット自体いない……?」

「……たぶん、そうなんじゃないかな?」


 マリーは自分を貴族だと言った。生まれた国も身分も種族も何もかも違う私たちに共通しているものがあるとすれば、性別くらいだろう。

 樹人(ジュト)の【森】が近くにあるほど山間の小さな村で生まれ育った子どもの私には、まだまだ知らないことは多すぎる。

 そんな無知な田舎娘にどう説明したらいいものなのか、マリーは一転して難しい顔になった。

 ところで、それでも私の肌を撫でる手は止まらない。


「うーん…………。猫とか、犬とか、飼うっていう文化はある?」

「犬は番犬とか猟犬に飼うけど、猫はどうだろう。ネズミ捕ってくれるかわりにちょっと天風凌ぐ場所を貸したげるって感じかなぁ……」

「ソーニャは、犬や猫は好き?」

「好き」


 即答した。ただ、どちらかというと犬より猫の方が私は好きだ。犬は明らかに私より自分の方がエラくて強いって思っているのがわかるから。人間と違って喋らないし単純だから舐められていても慰めにはなった。

 その点、猫は人間に対してほとんど平等に接する。危害を加える人間や、優しくしてくれる人間には相応の対応を取る子もいるけれど、基本的に「どうでもいい生物」と認識されている気がする。その距離感がいい。

 そういえば、私が暮らしてきた村の人間が皆殺しになったのなら、犬や猫はどうなるのだろう。猫が人間の死体を食べるのかどうかはわからないけれど、そうだとしたらとても気分が良い。ざまあ見ろだ。


「そっかー。それなら話が通じやすいかな? ソーニャは、貴族や王様なんかが犬や猫を飼っているのは知っている?」

「知らない」

「むむっ。そこは知らないのか。でも理由はソーニャと同じだよ。貴族や王様だって人間だからね。犬や猫が好き、っていう理由だけで飼うんだよ」

「そんなもんなんだ」

「そんなもんだよ」


 生活に余裕のある人間は色々と違うものだ。今マリーを目の当たりにしてなおさらそう思う。

 だってマリーときたら、私のべたついて虱も湧いている髪の毛に手櫛まで当て始めたんだもの。汚いだろうに、表情にも動作にも抵抗感がまるでない。私の常識の外にいる人間なのは間違いない。


「ぼくが犬と猫を代表にしたのはね。牛や馬や豚なんかは、アレ財産でしょ? 役に立つ動物すぎて、お金がどうしても関わってきちゃう。馬が大好き! って人間もたくさんいるけど、犬や猫なんかと比べると一線引かれちゃっている感じがするのはわかるかな?」

「それはわかる。牛や馬は大事。人間より大事」

「そうなんだよねぇ。帝国に移民してきたばっかの平人(ヒト)はそんな感じのばっかでさぁ。ちょっと困るんだよね。そりゃぼくも牛乳も玉子も大好きだけどさ。牛や馬のことなんかで平人(ヒト)同士で揉められると面倒なんだよねぇ。お優しいお貴族様ってのも大変だよ。ああいう時その場にいる奴皆殺しにしたら解決するんだけど、怖がられるからやっちゃいけないってキツくキツーく家族みんなに言われているんだぼく」

「……それは悪いけど、マリーの家族の方がどちらかというとまともだと思う」

「そっかー。やっぱそうなんだ……」

「でも、私はマリーのそういうところが好き」

「そう? 嬉しいなぁ。同じ魔人に言われるより、平人(ヒト)の子のソーニャに言ってもらえる方がなんだかずっと嬉しいや」


 私は魔女だから、マリーが口にした『面倒くさい問題』に関わる者全てが私より価値ある存在なので、そんな連中が死んだところでざまあ見ろとしか思えないだけだ。

 だから、私は殺したい奴は殺したいとはっきり言えるマリーが好きだ。もっと言えば、それを実行してくれたから今私は彼女に救われているから大好きなのだ。


「むー。それはそうとソーニャの髪の毛中々手強いね」

「手櫛でなんとかなるものじゃないんだけど……」

「寄生干渉魔法で今髪の汚れを分解しているんだよ。有機物なら大抵のモノは干渉して操作したり除去するのが寄生干渉属性だからね」


 言われてみれば、最初にマリーが私の髪の毛に手櫛を通してから明らかに彼女の手つきは一度通すごとに素早く滑らかになっている。

 ただ、少し気になることがあったのでたずねてみた。


「虱は……」

「え? 当然殺虫しているけど? いくらぼくでも虫くらいなら寄生魔法で(じか)に即時分解できるよー」

「……マリーは虫ケラを殺すのと、昨夜私を殺そうとした平人(ヒト)たち殺してくれたのと、やっぱり罪悪感が違う?」


 我ながら嫌な言い方だ。


「罪悪感……? まぁ、ソーニャを殺そうとしていたんだもん。そんなもん無いよ。ソーニャって名前を知らなかったあの時点で、すごい魔力量だからぼくのモノだって決めていたのに、話し合いで貰おうと思ったらいきなり殺そうとするんだもん。

 ソーニャに害する生き物を殺すっていう意味でなら、確かに虱潰しと同じ感覚。ああでも虱にアレだけ怒りはしないかなぁ。無駄な平人(ヒト)殺しはしないに越したことはないからね。ぼくもあの時は完全にキレちゃってた」

「ありがとうね、マリー」


 他人のことで感情的になるなんて、私には久しく失っている感覚だ。

 けどもし、今この場でマリーを侮辱したり危害を加えようとする奴が現れたなら、私はマリーよりずっと弱いけど、命をかけるだけの怒りが沸いてくるだろうということだけは確信が持てる。

 そして、今この話題で感情も思考も凍らせて生きてきた私が辛いという感覚を捨て切れなかった仕事を思い出す。


「私は猫が好きだっていうお話、もう少し続けてもいい?」

「うん。ソーニャのことをもっとぼくに教えて」

「私自身の話かちょっと怪しいけど。私はね、猫が好きだけど、仔猫を殺す仕事をやらされていた」

「……何ソレ?」


 一瞬だけ、手櫛をかける手が止まった。本気で困惑しているのだろう。


「猫はね、勝手に子どもを産んで増えるから。全部育てられるわけじゃないから。どうせ死ぬ命なら、丈夫で元気そうな子を少しだけ残して、母猫から弱そうな仔猫を奪って、ずた袋に入れて、川や池に沈めて、殺すの」

「……なんだよそれ」

「私は親猫に引っかかれて、噛み付かれて、仔猫をさらって、袋に押し込んで、何十匹も殺してきた。それが私の仕事だった」

「嫌だったんだよね?」

「うん。でも魔女の私は元から呪われているから、お前がやりなさいって。それにね。どうせ死ぬんならって、仔猫をね。玩具みたいにして壊して殺す奴もいるから。そんなの、あんまりだから。私にできることの限界がそれだった。……嫌な話してごめんね」

「嫌じゃないよ。ぼくはソーニャの主人だから、ソーニャの辛いこと吐き出したいこと全部受け止める。ソーニャもぼくのペットなんだから、遠慮せずにいっぱいぼくに甘えていいんだよ」


 髪を梳くのを止めて、マリーは私の正面に座り、優しく抱きしめてくれた。

 嗚呼、もし叶うことなら、今この瞬間に私は死にたい。

 もうこれ以上の幸福なんていらない。怖い。マリーの優しさを受け止め続けて、多幸感で頭がおかしくなって、もしマリーに飽きられて捨てられたりなんかしたら、魔女と呼ばれて石を投げられていた昨日よりずっと辛い日々が始まる。


「マリー、お願いがあるの」

「なぁに?」

「私を殺して」

「いいよ」


 あまりにもあっさりとした即答だった。

 こんなに都合の良い天使のような少女がいていいものなのだろうか。

 でもマリーは、私の肩を掴んで少し距離を取り、お互いの顔を見られるようにした。彼女は少し寂しそうに微笑んでいた。


「でもごめんね。それは今じゃない」

「……いいよ。私の我儘だから」

「あ、その顔、本気にしてないな? 言っておくけどね、魔人たる貴族にとって平人(ヒト)家族(ペット)に迎え入れるっていうのはね。『いつか殺して君を食べるぞ』っていう、そういう意味なの」

「…………はい?」


 言っていることの内容は頭に入ってきたけれど、意味が理解できなかった。

 でもマリーは私のことはお構い無しに、頬を赤らめてどこか夢見心地のようなうつろな目つきになり、体つきの割に豊かな胸へと両手をぎゅっと埋めて語り出した。


「ぼくたち魔人は魔力の高い平人(ヒト)や同じ魔人を食べることで、後天的に魔力を増やすことのできる種族なんだ。でも、食べる人間と食べられる人間の間に愛が無いと、絆が無いと、信頼が無いと、魂と魂を結びつける何かが無いと、十全な魔力継承が出来ない。当然だよね、それら無くして食べるなんて、食べる相手に対して失礼の極みだ。生命(いのち)の尊厳を踏み躙る行為だ。

 だからね、ぼくたち魔人は一番大切な人間をいつか食べるか、食べられるの。ぼくは昨夜遭ったばかりだけど、ソーニャのことが大好き。だからソーニャもぼくのことが大好きになってほしい。愛してほしい。ぼくがソーニャにあげられるものは全部あげるから、ぼくのことをこの世界で一番愛してほしい。

 そのかわり、いつかぼくがその気になった時、ソーニャはぼくが殺す。ぼくが料理する。ぼくが食べる。ソーニャの骨の一片、血の一滴も無駄にしない。ソーニャの全部、ぼくに頂戴」


 これが、ペットになるということなのか。

 なんて、なんて素敵な取引なのだろう。

 両手を伸ばして、マリーのうなじに触れる。


「私はもう、十分すぎるくらいマリーが大好き。愛している。今すぐ全部、あげられる」

「ダメだよソーニャ。それはソーニャの一方的で一時的な想いの押しつけだよ。だって正直、今のソーニャは痩せていて汚くてあまり食欲が湧かない。あくまで今のソーニャは磨けば光る原石」

「う……っ」


 いきなり真顔になったマリーにまともな説教をされてしまった。


「まずは綺麗にしないと。それから、もっと栄養もつけて。ぼくのこともたくさん知って、ソーニャのこともたくさん教えて。ソーニャを殺す時に哀しくて気が狂うくらい、ぼくにソーニャを愛させて」

「わかった。マリー、約束だよ?」

「もちろん。これからよろしくね、ソーニャ」


 マリーは再び私を抱き寄せて、うなじに口づけされる感触が伝わった。

 私もマリーの雲のようなふわふわとした髪の毛に埋もれながら、硬質な角に額が当たった。

 触覚があるのかわからないけれど、私のマリーに対する初めての口づけは平人(ヒト)ではない証である渦巻いた角に対して、恐る恐る唇が触れる程度のものだった。

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