第五章 3:ワイルドカードは気まぐれ
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キリール・ピーソークは帝国の下級男爵家嫡子として生まれ、魔法と同じくらい世界各国の言語を学ばされ、十代の頃にはもう年上の『騎士』に連れられ、国外の情報を収集する役目を担わされていた。
魔法帝国は世界各国から移民をかき集めているが、強制ではなく本人希望制を一貫し続けているため知識階級の平民が少ない。彼らは、あまりにも甘く美味い話に満ちた帝国の移民船団を警戒し、わざわざ今の地位や立場を捨ててまで得体の知れない魔窟に飛び込もうなどとはしないからだ。
もしいるとすれば、それは倫理感が壊れ罪を犯し逃げ出す場所として帝国を選ぶような、人格的に問題しかない連中だけである。
だからキリールのような男爵は、国外で急速に発展して行く技術や科学について学び、本国にそれを教え伝える役割を担わされていた。
最先端の学問を学ぶには、相応の頭脳が必要である。
キリールはその点、優秀だったと自負している。だが若かったこともあり、最早仕事や任務などという名目を忘れて、ただただ未知を学び、学友たちと議論し、新たな技術とそれがもたらす明るい未来が楽しくなり、焦がれた。
故郷より、国外の友や現地で出会った今の妻との方が、はるかに大切になってしまった。
何より、魔力継承の儀という行為がどれだけおぞましいものなのか、外の常識を知り学び身と心と魂に染みるたび、戦慄した。
平人は平人を食べない。いくら相手を尊重し、丁寧に調理し、思い出に浸り故人を偲びながら身体の中に取り入れたとしても、それは狂った食人行為である。
ましてや、親族であるならばより魔力継承効率が良いということから、跡継ぎとして選ばれた嫡子は祖父母の魔力継承をすることが通例となっていたことが、若き頃のキリールには耐えられなかった。
そのような忌まわしい行為をしてから、愛した女性と添い遂げる道をキリールは選べなかった。
連邦王国に亡命してから、キリールは軍部に取り入った。
実際にキリール自身が学んだ魔法を見せ、移民船団の提督が振るう災害級魔法の脅威を説き、魔法教導官として受け入れてもらえるよう交渉した。
連邦王国の軍は新しいもの好きで奇抜な発想を実検することに躊躇いがない。魔法という新たな兵器を提供するキリールを匿い、立場と相応の見返りを与えてくれた。
いつか来たる魔法帝国の軍事的侵略も、長く長く説き続けたことで今では真剣に検討してくれている。
魔力が高い者や、魔法式を理解し行使できる頭脳を持ちながらにして兵士としての身体能力まで持ち合わせる人材を探すのは苦労した。いや、今も苦労している。
だがそんな貴重な人材である彼らを育て、人類史上かつてない魔法兵部隊というモノを自らの手で築き上げていくことは大きな充実感を得られた。
地上最強の人種、鱗人をも平伏させられるやもしれない可能性の塊は、軍部を高揚させた。
そしてそれ以上に、キリールは妻との間に生まれた我が子がすくすくと育っていくのが、どうしようもなく愛おしく、絶対に家族を守らねばならないと決意させた。
家族が家族を喰む狂った帝国に、キリールの家族を蹂躙させてはいけない。
そのためならば、どのような手を使ってでも第二の祖国となった連邦王国と家族を帝国の魔の手が伸びぬよう、策も力も――自ら鍛え上げた部下たちをも、何もかも使わなければいけない。
盟友、あるいは共犯者とも言えた帝国に仕え続けていたマイナードの死は、そうした想いを抱えていたキリールの導火線に、火を点けた。
自分より若く、魔力量は少ないがそれ故に魔法式の研究を重ね研鑽し続けるマイナードに亡命することを、キリールは何度も説得して薦めた。
だが彼は言葉を変え態度を変えながらも、要約すれば同じことを口にして断り続けた。
『国外で芽を育てる役目は、ピーソーク殿が就かれた。志は同じです。私は帝国内部で芽を育てる』
あのような狂って凍てついた土壌に、何が芽吹くものなのだろうか。
キリールは長年そう疑念を抱き、そして、結局マイナードは志半ばに死んだ。それも、甥に殺されるも同然の形で。
さもありなん。マイナードは高潔で異才な男だったが、就くべき相手を見誤った。惜しかったが、見方を変えれば敵に回れば恐ろしい帝国の手駒が無駄死にしてくれたとも取れる。キリールにとって、そこらの伯爵よりマイナード一人の方がはるかに厄介な魔法使いであったことも事実なのだから。
だがマイナードが北海同盟で死んだという情報を手に入れてから数年後、去年の夏にポール都で彼と同一人物としか思えない、若い熱量操作属性の魔法使いが現れた。
彼は二人がかりだったとはいえ、キリールの部下の中でも魔法戦という一点においては最強だと太鼓判を押せるキャスト准尉を倒して逃げた。殺せる状況だったろうに、あえて殺害しなかった点がいかにもマイナードと瓜二つだった。魔法兵部隊は選別された貴重な人員であり軍隊と相性が悪い、という弱点を正しく認知しているが故に、狡猾とも甘いとも言える処断をする点が、だ。
ヘルマート。セッテフィウミ海運に雇われた熱量操作属性の魔法使いというこれらの情報だけならば、キリールは彼に興味を持たなかったし、また足跡も追えなかった。
間違いなくマイナードの弟子だという確信を持って、情報部を動かした。結果、想像以上の空恐ろしく――だからこそ危機は好機と取れる情報が掴めた。
ヘルマートはキリールの盟友マイナードの甥であり、直接魔法を仕込まれた弟子であり、父子同然の関係だったという。似ているのは当然だ。
問題は、このヘルマートが育てた、いわばマイナードの孫弟子である。
帝国本国に何人かはいるようだったが、マイナードが独自に改良した魔法式は特殊で使いこなすのは難しい。そのため、才能を花開かせたのはたった一人――そして最悪の令嬢だった。
近年共和国を中心に、好き勝手遊び歩いているという魔人令嬢、伯爵ユニカ家長子マリー・リー・ユニカ。
子爵級魔力を保有し、高度な寄生干渉魔法を中心に、熱量操作と電気操作を巧みに組み合わせた、帝国本土でも類を見ない独自の魔法を扱う化け物としか表現しようのない魔人。
あれは最悪だ。魔人の多くが戦闘慣れしていない、慢心しきった貴族であるが故に勝機もあるのだが、マリー伯爵令嬢はその例外にして埒外、常識外れだ。
どこでどう培ったのか、マイナードに匹敵するほど戦闘慣れしたとしか思えない被害報告。
マイナードが研究した独自の魔法式を、自分の適性属性である寄生干渉と電気操作にも応用して組み込んだ才能。
これが、常人の数万倍を誇る子爵級魔力で振るわれるのだ。
災害魔法の方がまだ可愛い。
彼女が本気になれば、各列強国政治中枢の人間の首を百単位で文字通り刎ね飛ばし、都市を一つ崩壊させ、それが一夜の内にいくつも起こせる。
最悪の果てに、あの聡いマイナードの孫弟子であるならば、その脅威性を自覚して、自制しているだけに過ぎない。
帝国最強の切り札。それがマリー・リー・ユニカだ。
帝国を統べる魔人たちが、マリーの戦略的価値に気づいたら終わりだ。間違いなく世界は本当に魔法帝国の手に落ちる。
なんとしても、どんな犠牲を払っても、殺しておかなければいけない。
キリールは、マリーの唯一の弱点と言ってもよい幼稚な精神性に付け込むしかなかった。
彼女が兄のように慕って探しているヘルマートの情報を、準備が整うまで彼女の下に流させないよう徹底して亡命魔法使いたちを従わせた。
ヘルマートも、マリーと接触する機会がないように連邦王国の情報部に頭を下げて貸しを作り、セッテフィウミ海運へ流す情報を操作することで、彼の動きも操った。
だが、とうとうヘルマートもマリーの情報を別口で掴み、共和国へと向かってしまった。ならばもう、準備が不完全であろうが作戦を起こすしかない。
マリーにヘルマートの過去と現状を明かし、精神的な打撃を与えて弱らせる。
あとは、常時観測魔法式を起動し続けている彼女をどう一撃で殺すか、である。昨夜マリーがポール都に帰ってきた直後、砂浜に単独で向かった様子は監視していた。
だが、あの場所ではいくら精神不安定な状態であっても、狙撃なら着弾される前に気づかれ直接近づけばそれも不審人物としてやはり警戒されるので断念せざるを得なかった。
使える部下と武器に限りあるキリールには苦渋の選択しか残されていなかった。
市街で、通りすがりの老紳士として、従者と会話することに気を取られているマリーと接触した瞬間、魔法式が観測されない肉体強化魔法を最大限界解除で行使し、仕込み杖の剣と銃で殺す。
自分が失敗した時のための保険として、部下たちを周囲に配置させる。
時間が経過すればするほど、マリーの精神状態が安定することがわかっている以上、市民に被害が出ようともこの無謀な作戦を、軍部の許可なく強行するしか無かった。
キリールは失敗した。
脊髄を断ち切るつもりで放った乾坤一擲の突きは、弱っているにも関わらず超反応で避けられ、心臓付近を貫く程度にしかならなかった。
すかさず掌中銃で脊髄を撃ち抜こうとしたが、従者の魔女がマリーごと電撃魔法で攻撃するという予想外の即決判断によって、狙いが逸れ、これもまた致命傷を与えられなかった。
後はもう部下に任せるしかないというのが、キリールの途切れる意識が紡いだ最後の思考だった。
だが、その途切れたはずの意識が、今はぼんやりと覚醒されている。
おそらく、寄生干渉魔法によって、キリールの記憶を読まれている。
「ご明察。さて男爵。弁明は終わったよ。何か最期に言い残すことはある?」
帝国最強の切り札というキリールの評価に合わぬ、甘ったるい少女らしい声が脳内に響く。
キリールは、無理矢理掘り起こされた記憶の中に無かった、もっとも大切なモノを胸中に思い浮かべた。
「そうですね。一昨年、孫が生まれたんですよ」
「それはおめでとう。心から祝福するよ」
「最近、じいじ、じいじと呼んでくれるようになった。赤子は本当に、あっという間に大きくなるものです」
「ぼくにはその感覚、よくわかんないや」
「ご令嬢はまだ幼い。そう、私に心残りがあるとすれば――あの子が今のご令嬢より成長し、私がそうしたように愛する人間と出会い、晴れ姿を見ることができなかった――というところですか。いやいや、あの子がどのような生き方をするのか、あの子自身の自由だというのに、この老いぼれの寿命ある内にそうあることを望むのは、なんとも押し付けがましい爺の戯言なのですがね」
「ふうん」
寄生干渉魔法でキリールと話す余裕は、それほど無いのだろう。上の空の返事だ。部下たちがそれほどマリーを追い詰めてくれていることを祈る。
キリールが死んでほしいと願う相手は、しかし、どこか優しげな声色を頭蓋に響かせた。
「なら、長生きしなよお爺ちゃん。見逃してあげる」




