第五章 夜が降りてくる
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マリーが壊れた。
「ねえソーニャはぼくに殺されるならどんな方法がいいかなぁ? 平人を屠殺するにも色々と方法があるんだけどさ、例えば首の動脈を正確に一気に切って血抜きを兼ねるやり方なんかは結構主流なんだけど、あ、もちろん血は血でちゃんと受け皿で回収して後で別加工するから安心してね。それでそうこの首を切るやり方は苦痛を最小限に済ませて、でも即死するかっていうとそうでもないあたりが好まれている要因なんだよね。最期の瞬間にはやっぱり愛する相手にちゃんと殺されることを理解させる余韻を、食べられる側の人間にも与えるのが平等なんじゃないかって。ぼくもその意見には賛同したいんだけど、あまりにも最期のお別れの時間が短すぎるのがぼくは切なくってなんだか処理とか手順とかそんな素っ気無い言葉で済まされるやり方だって感じがして、抵抗感が無いわけじゃないんだよね。でもお別れの時間が長いやり方ってどうしても苦痛が伴うから、このあたり愛情の矛盾っていうか、現実と理想の両立はできないところがぼくには悔しくって苦しくって魔法とかなんとか言っても限界があるんだなって。大体魔力継承のために屠殺する場合は、実際問題選択肢が少ないのが頭の痛いところなんだよね。霊脈も臓器もほとんど傷つけずに致命傷を与える手段って限られているからさ。でもぼくはソーニャを家族として迎え入れた主人として、最大限ソーニャの意思を尊重したいんだ。ソーニャが望むなら、どんなに奇抜で肉質低下に影響を与えるやり方もぼくはやってみせるよ。必ずだよ。約束するよ。ねぇだからソーニャ、そんなに悲しそうな顔をしないでよ。ぼくまで悲しくなるよ。ソーニャ、何が辛いの? 言ってごらん」
「マリー」
私の肩を掴んで、ベッドに横たわる主人はぼろぼろと涙を零しながら、満面の笑みを浮かべていた。
夜の散歩に出かけると言ったマリーを、一人にはしたくなかった。
あれほど落ち込んだマリーを見るのなんて、初めてだった。
私に何かできるとか、そんな傲慢なことは考えていない。マリーに拾ってもらってから、私はずっとマリーに手を引かれて付いてきただけのペットだった。私はマリーに貰ってばかりで、何もお返しなんてできていない。
お返しは、私を殺して食べる時だと決まっていたから。
でも、私は失敗った。主人の命令だから、ちゃんと言うことを聞いてホテルで待っていた。そんなことはしちゃいけなかった。色々と屁理屈をこねくり回して、マリーに付いているべきだった。
そうすることで、マリーが壊れるのを止められたのかはわからない。
でも、こんなことを思うのはおこがましいけど、マリーが嘘偽りなく本当に私を大切に大事に愛してくれているのなら、辛い時は傍にいるだけで、たったそれだけで良かったのじゃないのかと、私はうわ言のように泣きながら語りかけ続ける主人を見るしかない。
いや、しかないとか、仕方ないとか、そんなことばかり思って、逃げていたせいでマリーはこんなことになったんじゃないか。
「マリー! 私はね、猫が好き。さんざん仔猫を殺してきたこの手で、たくさんの猫を撫でてきた。寄り添われて、膝の上で丸まって寝られると、すごく心が安らいだ。私が、私は、そうしなくちゃいけなかったのに、ごめんなさい、至らないペットで」
「なんでソーニャが謝るの? ソーニャは最高の家族だよ。何も悪くないよ。ソーニャを傷つける奴がいたら、泣かせる奴がいたら、ぼくが殺してやる。ん? あ――」
「マリー! それはやっちゃだめ! 私を大事に思うなら」
マリーの脊髄に構築されかけた魔法式を見て、私はマリーに抱き着いた。ふわふわで、柔らかくて、妙に体温が高いマリーの身体を、絶対に離すもんかと全力で抱きしめる。
こんなのいつもと逆だ。
「ああ――ごめん。今、一瞬何も考えてなかった。ぼくは主人として最低だね。ぼくが死んだら、誰がソーニャとの約束を守るんだって話だよね。無責任だ。こんなのちゃんとした貴族じゃない。ソーニャ、こんなぼくを主人にさせてごめんね」
「そんなことない。そんなことないから、何があったの? マリーらしくない。マリーらしくなくてもいいから、どんなお喋りをしてもいいから、泣かないでよ。話したくないならそれでいいから、わかりあおう? 喋って、笑って、わかりあうのが人間だって、マリーが私に教えてくれたことじゃない」
「そうだったかな? ぼくがソーニャの何気ない一言を大切にしているように、ソーニャもぼくのなんとなく言った言葉を、大切にしているんだね」
「そう」
マリーが、瀕死の私に話しかけたあの一言が、凍てつかせて何も感じないようにさせていた私の胸に火を灯した。
そうだったら良かったと思ったら、次の日にはマリーと話して、私は笑っているのかどうかわからなかったけれど、マリーはたくさん笑って、お互いに知らないことをたくさん知った。
でも、私はまだまだマリーを全然わかってなかった。だからマリーは今、壊れている。
無理に今聞きだすのはたぶん、良くない。マリーは今日知ったことがあまりにも多すぎて、混乱している。心の整理がついていない。心に詰め込んだぎゅうぎゅうから、無理にずるずると別の何かを引きずり出そうとしたら、それこそ取り返しのつかないことになる。
「こういう時は別のことを考える。本当にくだらない、どうでもいいことを考えよう?」
「そんなことしている時間がもったいないよ」
「私はマリーといる時間は全部大切。それ以外どうでもいい。うん、そう、私の嫌いなもののことを今から話す。だからマリーは『そうじゃない』っていつもみたいに言って?」
「そんなこといつもしていたかな……?」
「マリーは私がどんなことを言っても好きでいてくれた。それを言葉にして、話してみて? そう、私は、お日様が嫌い。あいつがぐるぐるぐるぐる毎日飽きもせず空を散歩するせいで、なんだか私たちって、太陽に縛られて生きているみたいじゃない?」
私はマリー以外みんな嫌いだ。
でもマリーは私以外の色んなものが大好きだ。
そんなマリーが、私は好きだ。
私みたいな魔女でも、もしかしたら居場所があるんじゃないのかと、大っ嫌いなアレもコレも許して隣にマリー以外の誰かを座らせてもいいかなと、思わせてくれるから。
マリー以外どうでもいいのに、マリー以外のモノを好きにさせてくれるから、私はマリーが好きなのだ。
「そんなことないよソーニャ。お日様だって狂っちゃう場所もある」
「何それ」
「帝国がそうなんだよ。ちょっと前までは白夜って呼ばれている期間で、一日中お日様がぼんやりお空の中途半端なところでブラブラしていて、すごく明るい真昼間が無いかわりに、夜がない。冬になると、逆にいつまでたってもお日様が顔を出さない極夜って期間になって、昼間の時間になるとちょっと明るくなるだけ」
「何それ。普段威張りくさった顔して、私たちの知らないところでテキトーな仕事している嫌なヤツじゃない」
「ぼくは逆に家出して、こんなに年中規則正しく働いているお日様を見てびっくりしたよ」
いい感じだ。マリーの気が逸れ始めている。
それに、私自身も今交わしている会話そのものが興味深くて、楽しくて、今まで当たり前だと思っていたことを壊してくれる内容が、面白くて仕方ない。
太陽なんて大っ嫌いだ。それを認めてくれる場所がこの世界にあるというだけで、意味もなく元気が出てくる気がした。
「ねぇマリー。『お日様に顔向けできないような生き方をするな』って言葉があるんだけど、意味、わかる?」
「え? ……そうだなぁ。えーと……太陽は眩しいから……こう、身の程を知った生き方をしろ? みたいな? あれ? でも結局どうやったって太陽を魔法使わないで生の肉眼で見たら目が灼けるし……あーもー降参!」
「正解はね、『清く正しく、自分にも他人にも恥ずかしくないよう、胸を張って正々堂々とした生き方をしなさい』って意味。ふざけてない?」
「あ、そーいう意味か。アハハ。ぼくはふざけてはないと思うなぁ。お日様が無いと結局作物は育たないし、間違ってはないよ。帝国だと極夜があるせいで知らんぷりできる期間がちょっと長すぎるけど」
「でもね。マリーの言ったことも私は間違ってないと思う」
「何が?」
「太陽を肉眼で見たら目が灼けるって話」
「そっち」
「結局、どこの国に行ってもそれは事実みたい。だから、私はこの言葉が嫌い。顔向けできる生き方したら、失明するじゃない」
そんなんだから、お日様に顔向けできるような生き方をする奴は、平気で他人を踏みつけにできるんだ。
「結局、こんなことを言ってやってる奴ってのは、自分の目で何も見たくない、自分より頭の上に輝いているヤツの言いなりになるしか能の無い、屑。屑だから『ホラお前も一緒に失明しろ』って他人の頭掴んで力ずくで太陽を直視させる。ね? 自分で何も考えられないお人形さんの群れのできあがり」
「ソーニャは相変わらずだなぁ」
「うん。だから私はまだ、牧師様が教えてくれた言葉の方がマシだと思っている」
「ああ、十字教とかいうアレ。ぼくアレ全然意味わかんない」
私もはっきり言って、よくわからない。ただ、好きな言葉だけうろ覚えしているだけのことだ。
「救世主が言うのよ。『お前ら私が助けに来てくれたと思ったのか? それは違う、お前らの仲に剣を投げ込むためにやって来たんだ。両親より、息子や娘より、私を信じてガタガタ言わずについてこい』って」
「すごい」
「まぁその救世主も弟子の一人に裏切られて磔にされて死ぬんだけど」
「むごい」
「でも、信じてついてきた弟子の内の一人が書いた本に載っていた言葉が、ソレ。逃げて追われてそれでも先生の教えを忘れまいとあがいて、綺麗事だけじゃなくってそんなことまで書いちゃった生き方は、私は、ちょっとだけ、好き」
私は、話し疲れてもお喋りを続けた。
夜が更けて、暗いホテルのベッドの上で、私はマリーに一晩中話し続けて、窓から差し込む陽光が白々しくなって、お互いに眠りこけるまでそうし続けた。
何もかも明るみに照らす傲慢な太陽なんて嫌いだ。
それくらいなら何も見えない暗闇の中で、目の前にある、触れられる大切なものを怯えて抱えて生きる方が、まだいい。
第五章のタイトルは「東方萃夢想」あるいは「夢違科学世紀」の「夜が降りてくる~Evening Star」から借用させて頂きました。
この第五章で「第一部」と一応区切りをつけさせていただく予定です。




