第四章 4:魔人ジラルド子爵
4
初夏の晴れた暖かい午後に、彼の魔人はセッテフィウミ邸に来訪した。
わたしはその時、法式札を自室として貸してもらった部屋で紙と筆を手に、一心に集中して打っていた。紙の繊維を見極めながらインクの浸透率を予想し、指と手と腕を精密に動かし、霊脈を通して魔力を込める法式札を製作する作業は、それ以外のことを考える余地が無いほど神経を使う。
そんな作業中に、莫大な魔力の塊が降り注ぐ感覚が、わたしの脊髄を貫いた。
手が震えて書き損じた法式札を放置し、わたしは締め切っていたカーテンを開いて窓を開く。
雲が浮かぶ青空に、何か豆粒のようなモノが――あっという間に大きくなり、そして、庭園に着地した。
季節の花々を吹き散らす上昇気流によって軟着地した人影は、今日の温暖な気候に合わない姿をしていた。
全身を覆う黒い外套は、はためいて裏地の橙がかった赤色の生地が見えた。
氷の結晶を象った赤い留め具が陽光を照り返し、膝をついた姿勢から立ち上がった男性はマントのフードを外し、明るめの茶髪を太陽の下に晒す。
その両側頭部には、牛のような短めの角が生えている。
「失礼を。このセッテフィウミ家の末子、クラリッサ殿との盟約によって馳せ参じたアールベルク家が次期当主、魔人ジラルドだ。ヘルマート殿はいらっしゃられるか」
ヘルマートさんがよく使う、気流制御によって声を空気に乗せて効率的に運ぶ魔法式が見えた。窓からはかなり距離があるのに、まるで目の前にいるかのように神聖皇国語の声が聞こえる。
ただ、わたしの夫が使う式と比べると構文が長く、魔力点火から実際に起動するまでの時間差を感じられた。やっぱりヘルマートさんの魔法式はかなり特殊なのだと改めて思い知らされる。
わたしもヘルマートさんに改めて色々な式構成のやり方を教えてもらったので、それらの実験を兼ねた作業中だったのだけれど、文句を言っても仕方ない。相手はこちらの要望通りに来てくれたのだから、むしろ感謝すべきだ。
「あいっかわらず魔人サマは過剰演出が大好きだな」
同じ気流制御魔法を使いながら、一階の窓を開けて庭園に出てきたのは白い調理服を着て片手にボウル、片手に泡立て器を持ったわたしのヘルマートさんだった。
かしゃかしゃとボウルの中身を攪拌し続けながら、相手を敬う様子の欠片も見せずに今まで何をやっていたのか一目でわかる有様のまま、玄関口へと歩いて喋り続けている。
「はじめまして、ジラルド・アールベルク子爵殿。ラガーフォイア家の面汚し、出来損ないのヘルマートだ」
「私より洗練された式を見せておいてその自己紹介か。中々の皮肉屋ではないか」
貴公子と呼ぶにふさわしいジラルドさんの端正な顔つきの口端が吊り上がり、一方でわたしの夫はボウルの中身に視線を落としている。
「見ての通り、もう少し来るのが遅かったら茶菓子の一つでも振る舞えたんだが、焼き菓子で勘弁してくれ。こっちも客分であまりデカい面すると、その、申し訳ないんで」
「魔人より、世話になっている平人や吠人の配慮をするその振る舞い、クラリッサ嬢やギィジャルガ殿の話に違わぬ、見上げた胆力だな」
「ヘルマートさんの場合、怖いもの知らずなんじゃなくて単に怖いものを怖いと認めるのが怖いだけのものすごい臆病者なんです」
肉体強化魔法を使って自分の部屋の窓から飛び出し、夫のすぐ傍まで走り寄ったわたしはヘルマートさんの腕を掴んでぎゅっと抱きつき、笑顔を作ってみせた。
最近は法式札で何度も身体に式を流したからか、瞬間的に簡易的な肉体強化魔法なら自分で脳内構築して起動できるようになってきた。ヘルマートさんの心拍数がみるみる上昇するのが、密着しているからわかる。
「はじめまして子爵様。ヘルマートの妻、ドロテアです」
「お目にかかれて光栄だ、ドロテア殿。仲睦まじい夫妻のようで、うらやましい限りだよ」
そう言って苦笑いを浮かべたジラルドさんは、この場に来て初めて本心を述べたようにわたしには思えた。
変人だらけのセッテフィウミ家に勤める使用人たちや社員さんたちは心得たもので、魔人来訪という状況にも混乱せず、緊張する程度で客室に案内してくれた。もちろん、クラリッサちゃんが事前に連絡しておいたことが一番大きかったのだろうけれど。
テーブルに着いたわたしたち三人は、お茶と焼き菓子を運んできた吠人の使用人が部屋から去るのを待ってから、話を始めた。
「さて、どこから話したもんかな、子爵サマ」
口火を切ったのはヘルマートさんで、同時に気流制御魔法式が部屋全体を覆い起動される。
それを横目にしたジラルドさんはテーブルの上で指を組んだ。
「そうだな。ヘルマート殿。その防音気流制御魔法だけでは物足りない。貴殿の腕前では、本当は迷彩気流制御魔法まで使えるのではないか?」
「アレ使う魔力量が燃費悪んすよ。大体アレって魔法式ぐるぐる纏うから一般人の目は誤魔化せても魔法使いの目にはむしろ目立つんで使い勝手が悪い」
「『使えない』とは言わないか。つくづくラガーフォイアは惜しい人材を使い捨て、手放したものだ。……今更ながらだが、マイナード殿の冥福の意を、甥であり弟子である貴殿に私個人から示したい」
そう言って、ジラルドさんは胸に手を当て、黙祷した。
わたしは隣の夫に、視線を配る。
「ヘルマートさんの叔父様と言うと、もう弟子とか甥とか抜きで、父親同然の方ですよね? 帝国ではそれほど有名な方だったんですか」
「いや、恥ずかしながら私も亡くなってから初めて、彼の功績に気づいた愚かで慢心した魔人の一人だ。誤解を恐れず実態を打ち明けるのならば、そう、どうでもいい人材と扱われていた。だから――」
「もう一人の甥っ子、俺の兄が魔法災害で巻き込むような事故が起こったわけですよ。あいつは本当に、不要ん現場に出てきて邪魔して引っ掻き回して全部ぐずぐずの溶岩で無駄にした阿呆だ。一応聞いておきますけど、俺の兄上、反省してます?」
ヘルマートさんの目は完全に据わっている。
ジラルドさんは沈痛な面持ちで首を横に振り、ヘルマートさんは歯軋りした。
「他家の私がマイナード殿を評価していることが、異例なのだ。他の、熱量操作家系で彼や貴殿を惜しむ声など全く聞こえてこなかった。貴殿の兄上も、あれほど国外の情報を正確迅速に収集し、危険な工作活動まで着実且つ勤勉に忠実に行っていたマイナード殿を、貴殿の価値を理解していない魔人の一人だ」
「ええ、ええ、そうでしょうとも。わかってましたよ。結局誰かが阿呆の頭はブン殴って理解らせるしかねーってことは、帝国から逃げた時からわかってましたよ……」
「重ね重ね恥ずかしながら、私もその愚かな殴られて理解した魔人の一人だよ」
お茶を少し飲み、ジラルドさんは自嘲するような笑みを浮かべてティーカップを見つめている。
「ギィジャルガ殿とクラリッサ嬢について話していなかったな。私は国外で移民船団に乗せる有望な平人を探しながら、帝国への移民意思を煽る情報工作をしていたのだが、そういった工作を次々潰してくれたのがあの二人でな」
「ちょっと待って。子爵総領サマともあろうお方が、直々に国外に出て工作してたんすか」
「そこまでおかしい話なんですか?」
爵位のあらましについて聞いたことはあるけれど、わたしは帝国の実情を知らないのでどちらともなく質問を投げかけた。
ヘルマートさんの方が呆れ返るように肩をすくめて答えてくれた。
「子爵以上くらいになると、領地管理の方が重要ですよ。そういう意味では俺の兄はそっちだけはちゃんとしているし、移民ばっかの帝国平民たちの管理はすんごい重要な仕事です」
「まぁ私も、クラリッサ嬢のことを言えぬほどに、一つ所に収まることができぬ落ち着き無い人間だということだ。だからまぁ、かちあって、目障りだったので、消そうとした」
「で、負けたと。つくづく信じられない話だけど、どうやって負けたんすか」
「簡単な話だ。私が慢心と油断の塊だっただけのこと。ギィジャルガ殿は鱗人なので、低温気候では本来の身体能力を発揮できない。鱗人以外に戦力は無い。だから、まぁ、遊んだ。いや、二人の挑発が本当に上手くてな。頭に血が昇って、完全に手の平の上に転がされていた」
自分より圧倒的に強い相手と交戦する時は、相手の正常な判断能力を失わせるというのは、ヘルマートさんのみならずわたしも使う姑息な心理誘導である。
とくにわたしは自分の外見を利用する。
「そうしたら、ギィジャルガ殿が肉体強化魔法の体温調節を使っていてな。実は私の攻撃魔法はほとんど効いていなかったのだ。あとは不意討ちで一発喰らい、さらに完全に眼中になかったクラリッサ嬢が魔法具で【閃雷】を撃ってきて、痺れた所を二人に制圧された。頭に【閃雷】を発動できる魔法具を突きつけられたら、もう完全に敗北と認めるしかないだろう」
「……クラリッサ嬢、そんな物騒なモノ持ってんすか」
「私自身が撒いた種だ。魔法具という、国外でこそ洗練されてゆく道具と技術に興味が湧いて、つい、その、なんだ。蒐集して、面白いと思った者に、ばら撒いてしまった」
「アンタなぁ」
ヘルマートさんが呆れ返った声で、ジラルドさんの所業を評した。
ただ、わたしはそれについて思い当たる節があったので発言する。
「もしかして、クリステラという貴族の女の子に魔法杖を渡したりしました?」
「……電気操作属性と魔力双方に見るべき所があった、豪胆な令嬢を見かけたので、魔法具製造の本場であるツェズリ島の様子をうかがわせる駒として交換条件に渡したな。今も定期的に手紙を届けてくれている」
「それ、クラリッサちゃんの文通友達です」
「知っている。……情報が手に入るのは助かるのだが、クラリッサ殿を怒らせたのは完全に失策だったな。だからもう、魔法具のばら撒きは止めた。アレは巡り巡って帝国を滅ぼす一因だと我が身で味わったよ」
「子爵サマがクラリッサ嬢の味方に回った理由がよくよくわかったよ。アンタが負けるまでの略歴は俺が危惧している帝国滅亡の縮図だ」
ヘルマートさんの言葉に、ジラルドさんは自戒するように目をつむって頷いていた。
わたしはさらに質問を重ねた。
「それで、ジラルド子爵様は現在、どのような活動をなさっているのですか?」
「帝国本土に私が敗北したことは伝わっていない。元々私は国外で活動していることが多かったので、怪しまれてもいないようだ。移民船団に私が武装蜂起させた牙人たちを乗せて本国に送り、現在は私自身が撒いた火種の鎮火作業に追われている。自業自得で、責められたなら返す言葉もない」
「自分の責任は自分で取るだけまだマシだよ。まぁ子爵サマがすげぇ多忙なのはわかったから、あまり無理も言えないし、アンタ腹芸するの苦手そうだからこのまんま国外活動に専念してくれ。帝国内部から切り崩す味方が欲しかったんだが、その、うん。もう言わないから落ち込まないでごめん」
ヘルマートさんが言葉を連ねるたびに、肩を縮こませどんどん小さくなっていくジラルドさんに、とうとうわたしの不器用な旦那様は謝ってしまっていた。
こうなるとやっぱりヘルマートさんのご実家に挨拶するしか無い。立派なお嫁さんとして立ち回らなければいけないという圧力は、むしろわたしの心に火を灯す燃料となっていた。
けれど、わたしの思惑とは全く違う話を、立ち直りかけてきたらしいジラルドさんは切り出した。
「それとなヘルマート殿。貴殿個人に伝えたいこともあって、良い機会だとこうして会合の場を設けたのだ」
「子爵サマ直々に俺なんかに言うことなんかあるんすか」
「マリー・リー・ユニカ伯爵令嬢が貴殿を探している」




