第三章 終:星を食べる
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ポール都には、翼と気流制御魔法で帰ることにした。
行き道は、ソーニャとの連携魔法を実験しつつ手がかりが得られる高揚感で最高の状態だったけれど、帰り道で同じことをやると確実に死ぬとわかっていたから。
朝から出発して午前中にはツェズリ島を立ったけれど、ゆったりと自然の気流にも任せて飛行する飛翔魔法は音速を軽く越える行き道に比べるとかなり遅い。ポール都の拠点にしているホテルに帰る頃には、すっかり夜も更けていた。
「ねえマリー」
「ごめんソーニャ。言いたいことがあるのはわかっているんだけど、ちょっと今晩だけは一人にさせて」
飛行中、ずっと腕の中でぼくのことを案じてくれているソーニャの様子には気づいていた。
そんなソーニャが愛おしい気持ちも変わらない。本当のところを言うと、精神的にも魔力的にも疲れているのでしっかり食事を摂って、いつものようにソーニャと同じベッドで眠りに就きたい。
でも、今のぼくにはそんな今までの日常がたまらなく怖い。
「大丈夫。夜の散歩に行くだけだから。ちゃんと夜中の内に帰ってくるよ」
「待ってるから」
「ありがとうね、ソーニャ」
ソーニャも帰り道で疲れているだろうに、ぼくのことを何より優先にしてくれている。だから主人のぼくの命令には逆らわず、ホテルで待つことを選んだのだろう。
ホテルの玄関口からぼくは、そのまま翼を広げて飛翔魔法で砂浜に向かった。
連邦王国の夏は短い。ポール都に着いた時にはこの砂浜――海水浴場という名で開かれている娯楽施設はこんな時間になっても、まばらに人間がいたものだ。
今は夜風が冷たくなって、夜の海にわざわざやって来る人間などいなくなってしまった。
また来年の夏になれば、ここも観光客で騒がしさが戻ることはわかっている。でも寂しい秋に、厳しく長い冬を経て、暖かな春を越えて、わずかな期間だけ賑わしくなるのが、この海水浴場というものなのだろう。
ぼくたちはその頃には、一年分大人に近づいている。
どうせ来たって、誰も彼もぼくとソーニャを怖がるだけだ。大体ソーニャはこういう娯楽施設で戯れる人間を見るのが本当に嫌いなようで、ポール都に訪れて少し覗いた時には霊脈が仄暗い光で励起反応しており、ものすごい殺意を漲らせていた。
「角……消したら平人だと思われるんだろうな」
ソーニャの前では言えない愚痴を、夜の海に向かって無意味に零す。返って来るのはさざ波と風の音だけだ。
でも、魔人の角は、貴族であり魔人の誇りそのものだ。寄生干渉魔法で後付けしているただの飾りだからこそ、誇りなのだ。
人間なんて、どうせ裸に剥いたら大差は無い。皮の下には筋があって骨があって神経が通っていて内臓が詰まっていて、脳みそは魔法式を紡いでもおとぎ話で語られた魔法のような奇跡は起こせない。
そんな無力さは結局みんな一緒なのだ。家出したばかりの頃はわからなかったけれど、ソーニャと過ごす内にぼくも大したことのない、世間知らずの箱入り娘だったのだと思い知らされた。
でも、ぼくたちは大きくなる。箱には居られ続けなくなる。産まれた瞬間に決められた道に戻らなければいけなくなる。
「嫌だよ……ずっとソーニャと一緒にいたいよ。お兄ちゃんはなんでぼくを置いて行っちゃったんだよ。寂しいよ」
ぼくは砂浜に手を埋めて、身体構造変化魔法で指を伸ばした。
細く細く針よりも糸よりも細く、細胞数個分の霊脈を通せる最低単位まで極細にした指は、砂を抜け地面を抜け海底を通り北へ北へと向かっていく。
霊脈励起を、あらかじめ決めているリズムに合わせて何度も起こし続ける。
電話を待ち続ける心持ちで、ぼくは夜空を見上げていた。
方角を知るために、季節の移ろいを知るために、運命を読み解くために、星詠みの技術は必要とされ祖先たちの間では重要視されていたらしい。
今となっては形骸化して季節の祭祀を残す程度で、星を詠むことより魔法の技術を磨くことの方が優先されてしまったけれど、家出をする前に旅に必要だと思って少し勉強したことがある。
ともあれ、何はなくとも天上において不動の頂きに御座する北極星。
我らが魔人の王であり、やがては世界を統べる魔王皇帝陛下の象徴たる星。
あれに導かれて、ぼくらの祖先は太陽すら狂う極北圏に辿り着き、理想郷を築いた。
でも、ぼくはその理想郷から飛び出した。
じゃあぼくの北極星は、ぼくを導く星はいったいなんなのだろう?
――姉様?
霊脈が絡み、鼓膜ではなく脳に直接響くような声が返って来た。
「メルセリーナ。久しぶり。あまり連絡してなくて、あとこんな夜遅くに、ごめんね」
――姉様。まだこちらは白夜の名残で、夜はそう暗くありませんよ
「アハハ。ぼくはすっかり帝国の感覚を忘れちゃってたよ」
美しい横笛のような、自慢の妹の声が脳に響き渡る。
寄生干渉魔法の応用で、ぼくは自分の身体の一部を帝国本土付近まで伸ばすことができる。ただ、別にだからといってこれだけではなんの意味もない。
けど霊脈の励起反応を微弱に帝国へ送ることができる。本当に弱く、ぼくのことをよく知っている人間でなければ、そして特定のリズムに載せられて反応が起きていることに気づかなければ、自然の木々や獣たちの霊脈反応と勘違いするほどの弱さで送るのがコツだ。
旅立つ前に、妹のメルセリーナにだけこの魔法とリズムを教えておくことにした。
ぼくたちは両親が同じ血の繋がった姉妹で、先天属性も同じだからか、互いの霊脈の反応に他より敏感に察することができる特性を利用した。
あとは、ぼくの呼びかけに妹が応えて、お互いの細胞を絡ませれば、神経と霊脈が通い合いこうして遠く離れた土地でも『会話』ができる。
「ちょっと待って。ぼくの五感をメルセリーナに『繋げる』から」
何千にも広げた細胞線を回収し、一本の通信細胞線を太くすることで送受信できる情報量を多くする。
ぼくの五感の共有がメルセリーナに届いたらしく、歓喜とも驚きともつかない声が伝わってきた。
――姉様、これは砂浜というものですか?
「そうだね。海水浴場って言って、みんな裸みたいな恰好で昼間はワイワイする所」
――なんて……はしたない
「でも今は夜中で涼しすぎて誰も来ない。ぼくが独り占め」
――姉様とわたくしの二人占めですよ
「うん、そうだった」
ぼくは靴を脱いで、波打ち際に近づく。
濡れた砂に足底が沈み、冷たい海水が砂ごとぼくの足首を洗い海へと引き寄せようとする。
ぞわぞわする未体験の感覚だ。脳内では妹の感情に任せた言葉にならない声が響き回っている。
「どうかな? これが海水浴っていうらしいんだけど。泳いだりする?」
――いえ、そういうのはお風呂で十分です。血のような匂いがして、泳ぎ回るのは、少し
「潮の匂いをメルセリーナは嗅ぎ慣れてなかったね。たしかに血の匂いに少し似ているや」
――姉様、何かあったのですか?
五感全てを繋げていて、たった一人で夜中の砂浜に繰り出し、いきなり連絡を寄越したのだ。ぼくがぼくらしくないことに、妹が気づかないはずがない。
父上にも母上にも黙って家出したけど、妹には全てを話したうえでぼくは旅立った。出来損ないのぼくを姉として尊敬してくれている妹は、ソーニャとはまた違うとても愛おしい家族である。
ぼくは、何から話そうか迷った。
「お兄ちゃん、たぶん見つかった」
――それは……おめでとうございます。なら、これで……
「どうしよう。まだ会ってないんだけどさ。会って何話せばいいのかもう何もかもわかんなくなっちゃった。ぼくは出来損ないのうえに頭まで良くなかったみたいだ。とにかく会うんだって、それだけでメルセリーナに家の責任全部押しつけて飛び出して、やっと会えるあと一歩まで来たら、どうしようもなく怖くなって、寂しくなって、でも家に帰りたくなくて、頭の中ぐっちゃぐちゃで最低のお姉ちゃんだよ」
言い出したら止められなくなった。愚痴を吐き出すためだけに、妹を吐瀉袋みたいに扱っているぼく自身が嫌いになってきた。こんな情けない主人を持たせてしまったソーニャに会わせる顔が無い。何もかも変わってしまったお兄ちゃんは、今のぼくをどう評するだろう。
――姉様は、わたくしの誇りです
「そうかな」
妹の励ましの言葉にもまともに取り合えない。
――伯爵家長子として、大きな枷を持って生まれながら、自分自身の手足と頭を使って、わたくしでは掴み取れないたくさんのモノを掴み取ってきた。そして掴み取るために家を飛び出した姉様は、誰がなんと言おうと立派です。わたくしの自慢の姉様です
「アハハ。でもさ。掴んだものを手放すのが惜しくなっちゃったんだ。掴むのが怖くなっちゃったんだよ。もう何もいらないよ。なんで時間は止まってくれないんだよ。メルセリーナと一緒に遊んでいた小さかったあの頃に戻りたいよ。ぼくは大人になんて、まっとうな貴族になんて、魔人になんてなりたくない」
ああ、言ってしまった。
跡継ぎではないとはいえ、伯爵家長子として思ったとしても口にしちゃいけないことだったのに。
ユニカ家次期当主である妹は、ぼくよりさらに重い責任が小さな肩に乗っているというのに。ぼくは本来、それを支えてあげなきゃいけない立場だったのに。
ぼくはなんでこんな所にいるんだろう。
――姉様、なら、掴み取ったモノを姉様の一部にすれば良いのです
「うん、それが魔人だね」
愛する者を、愛するからこそ、一緒になるために殺して食べる。
それが魔人という種族だ。
――姉様が、どうしても、本当にどうしても、掴み取った愛する方々と一緒になって、生きることが辛くなったのなら。ユニカ家次期当主として、何よりも姉様を愛する家族として、メルセリーナは覚悟ができています
「メルセリーナは立派だね。魔人の鑑だ。ぼくにはもったいないくらいの妹だ」
大人になって、知らない男の魔人に抱かれて、望まない義務を続ける人生が待っているのなら、それもいいかもしれない。
ぼくは本当に最低だ。かく在るべき道から外れて、好き勝手やった挙句、妹に全てを放り投げるなんて。
でも、
「わかったよ。ありがとう、メルセリーナ。その言葉だけで少し、勇気が取り戻せた」
――それなら……わたくしも嬉しく存じます
「うん、こっちこそ。ぼくもそろそろ帰らないと。家族を待たせているから」
――では、わたくしはこれで。姉様、ご壮健であられますよう
「うん。メルセリーナも身体には気をつけて」
いつのまにかぼろぼろと零れていた涙を、袖で拭い去った。
海と夜空に背を向けて、ぼくは街へと戻る。
ソーニャにぼくは約束したんだ。気が狂れてしまったとしても、ソーニャを殺して食べると。
愛する者を喰むことで連鎖された種族が魔人であり、ソーニャがそれを望んだというのなら、ぼくは絶対にその義務と約束を果たさなければいけない。
お兄ちゃんがどんなに変わってしまったとしても、ぼくにはお兄ちゃんに愛を伝える最終手段がある。
その先の人生を耐え切れるかどうかはわからないけれど、メルセリーナがこんな情けないぼくの背中を支えてくれると言ってくれた。
「なら、美味しく食べるしかないよね」
見上げた夜空はにじんで星も月も曖昧だった。
あけましておめでとうございました。
今回のサブタイトルは「たま」の「きゃべつ」に収録されている「星を食べる」から借用させていただきました。




