第三章 2:故郷は遠くに在りて思うもの
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「結局、直に目で見て聞いてしてって範囲だと大したことなかったねー」
「去年のごく短い間の話だし、当たり前といえば当たり前かも」
ぼくは借りたホテルの一室に入るや、胸から湧き出る気怠さに歯向かわず、ベッドへと飛び込んで仰向けに寝転がってソーニャに向かって愚痴いた。
ソーニャの言う通り、お兄ちゃんと思しき魔法使いは去年数日の間、連邦王国に滞在していただけに過ぎないようで、絶対にお兄ちゃんだという証拠があったわけでもないので素直に喜べない。
天井に使われている木材繊維を見ながら、ぼく好みにこの部屋を改装する魔法式を組もうかと思って、やめた。そんな些細なことでも平人や吠人たちは怯えてしまうのだとソーニャが教えてくれたし、無駄な魔力を使う必要もない。
三角帽子をコート掛けに掛けて、黒のワンピース姿のソーニャは「そんなことより」と前置きして、ベッドに腰掛けてぼくに視線を投げかける。
「このホテル、共和国の通貨でチェックインしたけど、あれ駄目なんじゃない? 私もちゃんとよく知らないけど」
「駄目かな? どうぞどうぞーって言ってくれたし、お金も払ったし、問題ないんじゃない?」
「……魔人のマリーに『駄目』『いいえ』を言える人間は、魔人か魔女だけ。身に覚えない?」
「うーん……ソーニャを貰おうって村長さん? にお話した時は『どうぞどうぞ』って言われた気がする。で、連れてこられるの待ってたらソーニャが殺されかけていたから、皆殺しにした。これって本当は村長さんの答えは『駄目』だったってことかな? でもそれ以上に嘘つきも人殺しも『駄目』」
「ようするに、人間は口では『いい』って言っても心の中の『駄目』に従う生き物。自覚も罪悪感も無い嘘つき。『隣人に偽証するべからず』以前に自分に嘘をつく。塵。マリーはちょっと、強すぎて人間を疑えないんだと思う」
今日もソーニャの人間観は辛辣だ。ただ、あくまでぼくのことを気遣って注意してくれているのだというのはわかる。
だから起き上がったぼくはソーニャの後ろから抱きついて、耳たぶに口づけをする。
「うん、ソーニャ、ありがとう。でもぼくそういうのって、やっぱり苦手だから。……ソーニャにそういうところは任せちゃ、駄目かな?」
「気持ちはすごく嬉しいけど、マリー、それじゃ駄目なの。私はマリーが誰かに騙されて傷つくのは嫌だから、守りたい。でもいつまでもってわけにはいかないでしょ? マリーはいつか、私を食べるんだから」
ソーニャはぼくの肩に頭を預けて、髪の中で埋もれるようにして角に口づけを返してくれた。
そう、大切で一番愛するソーニャだからこそ、ぼくはいつかソーニャを殺して食べる。ぼくの中にずっと一緒にいてもらう。ぼくの一部になってもらう。それが家族に迎えるということだから。
だからいつまでもソーニャに甘え続けることはできない。魔人じゃないのに、ソーニャはぼくの矛盾する気持ちをぼく以上に理解していると思う。やっぱりソーニャは慧眼の魔女だ。
本音を言えば、食べなきゃいけないけど、殺したくない。できることならずっとこうして永遠にソーニャと一緒に好き勝手に世界中を旅して遊び回ってみたい。
でもぼくもいつかは大人になる。子どもだから許されているだけで、大人になったらぼくは血脈を途絶えさせないために、用意された婚姻相手の下へと嫁がなければいけない。それが魔人として、ユニカ家に生まれた者としての義務だから。
そしてぼくは、ぼくが産んだ子供か孫か、あるいは親類縁者の誰かに食べられる。ぼくがその相手を愛していようといまいと、関係がない。魔人の魔力継承とは、実際のところそういうものだから。
「嫌だなぁ」
「マリー?」
「ごめん、ソーニャ。ソーニャがぼくの将来を気にして言ってくれたのはわかるんだ。でも、まだ、今はまだぼくを突き放さないで」
ソーニャの身体を抱きしめる。
出会った時に比べて、ずいぶんソーニャは大きくなった。まだぼくの方が少しだけ背丈があって、お互いに成長しているから、最期の時までソーニャはぼくの小さなソーニャのままなのだろう。
「マリー、心配しなくても私たちはいつまでも一緒」
腕の中でそう言いつつも、普段のぼくらしくない言動にソーニャが戸惑いの吐息と鼓動を鳴らしていることは、抱擁しているのだからわかりきっている。
だからぼくは主人としてあるべき言葉を口にした。
「約束は破らないよ、ソーニャ。ただ、ちょっと、ぼくも知らなかったんだ」
「何を?」
「ぼくがソーニャをこんなに大好きになってしまうなんて、愛するって気持ちがこんなにも重いものだったなんて、知らなかったんだ。それだけだよ。だから安心して。気が狂れても、ぼくは絶対に君を殺して食べるから」
いつか大人になって、誰かに譲るくらいなら、奪われるくらいなら、踏み躙られるくらいなら。
ぼくはソーニャを守るために、ぼくの手でソーニャを必ず殺してみせる。
「私こそごめんね、マリー。私の幸福が、マリーの幸せじゃないって忘れていた。私みたいな魔女でも愛しい動物を殺すのは辛いに決まっているのに、先ばっかり考えさせて、ごめんね」
ああ、ソーニャは可愛いなぁ。
そう思っていると、いつものように電撃が身体を走った。
「うん。落ち着いたところで、先じゃなくて今後の方針について話さない?」
ソーニャは手で弾くように展開していた魔法式を解きながら話しかけ、ぼくは笑って頷いた。
「そうだね。まずは情報集めと一緒に連邦王国のお金を稼いで面倒なことにならないようにしよう」
「それって、いつものアレをやるの?」
「うん。このポール都は共和国と近いから、ぼくの噂は広がっていたみたい」
「そういえば、マリーに話しかけているおばさんいたね。高価そうな服着た」
「ぼく、自分で言うのもアレだけど目立つからね! 一目でも遠目でも特徴知っていたらわかるよね!」
「……マリー、これ、ただの興味本位の質問なんだけど、魔人ってみんなマリーみたいなの?」
「移民船団の魔人をソーニャは見たことないんだっけ。ちょっと待ってね」
ぼくはちょっとソーニャの質問が嬉しくて、自慢したくって、荷物鞄を開けて中身を漁った。
そうして取り出したるは、アルバムだ。帝国にはまだ帰りたくないけど、父上も母上もぼくは好きだし、何より妹のことはいつかソーニャにちゃんとお話したかった。家出する時に持ち出して来て良かった。
アルバムを膝の上で開いて、二人でベッドに腰かけて並びっこする。
「これ、ぼくの家族アルバム」
「え? 写真になんで色ついているの?」
開いた瞬間にソーニャはそう言って口元を手で抑えた。そう言えば、国外ではまだ白黒の写真機しか出回っていなかったっけ。そのうえで彩色した写真もあるそうだけれど、帝国の写真はちょっと違う。
「光学系魔法で写真撮影しているからね。魔法具や光学系魔法使いがいれば、今現在の帝国の風景が見れるよ」
「あぁ……。うん、私、光学系の話、教えてもらっても全然わかんない」
「魔法は科学のお勉強できなきゃちゃんと使えないからね。でもソーニャ。光学系の観測魔法式や攻撃魔法式だけは後で教えてあげるから、丸暗記だけでもしておいて。危険だよ」
ソーニャはとっても頭が良いし、物覚えもいいけれど、さすがにたった一年で魔法を扱ううえで必要な色々な科学理論を理解させるのは無理な話だった。ぼくの教え方が下手なのかもしれない。
なんとか電気操作系と寄生干渉系はかなり、少しだけ熱量操作系のお勉強は教えられたけれど、それ以外はハッキリ言ってサッパリである。ぼくも自分が使える以外の魔法の科学理論については、ちょっと怪しい。家出して勉強を放棄した結果でもある。
「まぁとにかく、これ家族写真。ぼくが六歳くらいの時かな?」
父上と母上、ぼくと妹のメルセリーナを屋敷で撮影した一枚だ。
ぼくが説明する前に、ソーニャの瞳は困惑でぐるぐるしていた。
「え? みんな髪の毛が青白い……? 角も違うし、え? これマリーなの?」
「うん。寄生干渉系は身体構造変化ができるから、ぼくは今、好きでこの髪と角を選んでいるだけ。ユニカ家の髪と角はみんなこんな感じ」
浄化と治癒を本領とするユニカ家は、その印象に合わせて清浄感のある青白く真っ直ぐな髪質をしている。角は額から鋭く少し溝の入った一本角で、イッカクとかいうクジラに似せてデザインされたものだ。
ぼくはいつだったか、互いに手作りした花冠を交換して頭に被せた姉妹写真をソーニャに見せた。
「こっちの小さいほうがぼくの妹のメルセリーナ。お姉ちゃんのぼくが言うのもなんだけど、すっごく美人で可愛いでしょ?」
「うん……このくらいの頃から、もうマリーは今みたいな性格だったんだ」
写真には、妹の心のこもった花冠が嬉しくて笑っている小さな頃のぼくがいる。まだこの頃は髪の毛も角もユニカ家の伝統あるものに合わせていた。
ただ、この髪質と角は淑やかで慎ましく弱者に優しいメルセリーナの方がよく似合っている。妹がぼくのような出来損ないではなく、見た目も性格も魔力性質も跡継ぎにふさわしく生まれて、本当に良かった。
あれこれ二人で話しながらアルバムを見ていたけど、最後の方になって改めて今のぼくをソーニャは見つめた。
「……その羊みたいな髪の毛と角、家出する時に変えたの?」
「そゆこと。ぼくにこの青い髪は似合わないなって思ってたから」
「どうして羊なの?」
「目が好き」
瞳孔も本当は羊っぽくしたかったのだけれど、実際にやってみたら視界がまともに機能しなくなったので諦めた。
「あと変えてから思ったけど、髪の毛も角も、自分で決めたものだから、これこそがぼくだ、マリーだ、って今は思っている。……ソーニャも、変えてみる?」
一応たずねてみたけれど、ソーニャは目を閉じて首を横に振った。
「魔女の私は、魔女と呼ばれたこの姿で在りたい」
「そう言うと思ってた」
ソーニャは魔女であることを望んでいる。ぼくと二人きりの時以外は、ソーニャが珍しく自分から望んで欲しがった三角帽子をほぼ必ず被っているくらいだ。
理由はぼくにはわからないけれど、頑なに魔女であるという姿勢を崩さないことだけはわかっている。
そんな痛ましく、強いソーニャがぼくは好きで、家族であることを誇りにしている。
アルバムも最後の頁となり、閉じようとした時、うっかり紛れ込ませていた一葉があることに気づいた。
「……これ、誰?」
これといって特徴のない、どう表現すればいいのか難しい灰色髪の少年。年の頃は今のぼくと同じくらい。
無理矢理撮った写真なので、困惑気味の表情だけれど、いつだってお兄ちゃんはそういう表情だったような気もする。
「お兄ちゃんだよ」
「……この人を探して、マリーは王国まで来たんだよね?」
「うん」
「……ねぇ、なんでこの男、角が生えてないの?」
わかりにくい描写になっていて申し訳ないのですが「マリー&ソーニャ」パートと「ヘルマート&ドロテア」パートでは一年間の時間差が生じています。
時系列順に述べると
・マリーがソーニャを拾う
・ハゲタカがヘルマートに戻って夫婦で活動開始
・マリーが共和国を旅立つ(ソーニャを拾ってから一年余り経過)
こういう順です。




