第ニ章 終:真なる勇者は太陽の下で戦う
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「キャスト准尉、起きてください」
キリールは『巣穴』であり山火事の中心点だった現場に担架で運び込まれた部下に、できるだけ冷徹な声色で話しかけた。
その途端、目を開いた准尉は上半身を起き上がらせ、周囲を見渡した。
既に朝日は昇り、煙も無く、夏ではあるがそれ以上に嫌な熱気と焦げた臭いが渦巻く山中である。
キャスト准尉の顔面は包帯に巻かれ、表情が把握し難いが担架に拳を叩きつけたその様から、胸中を察することはできる。
しかし軍人としてキリールに求められるのは、有望な若者の敗北を慰撫することではない。
「本来なら病院で聞くべきなのですが、早急に報告をお願いします」
「はい、中佐殿。自分は下山する残党を追跡しましたが、魔法使い二人の抵抗に遭い、任務に失敗致しました。如何なる処罰も受ける所存であります」
「それは後で上と決めることです。准尉は我が部隊の中でもとくに魔法戦に長けた兵と私は評価しています。その准尉が敗北したのであれば、相手は相応の魔法使いなのでしょう。今すぐ情報が欲しいのです」
「はい、中佐殿。自分が追跡した魔法使いは、法式札を使い山中に放火を繰り返し、自分の判断能力と魔力を削ったところで、不意討ちの肉弾戦に持ち込まれ、敗北しました」
「ああ……あの戦いの跡はそういうことですか。法式札が全く見つからなかったのですが、本当に札が使われたのですか?」
「物的証拠が無いのであれば、自分の目を信用していただく他ありません」
「准尉の言葉は正しいですね。交戦した魔法使いの特徴や属性はわかりましたか?」
「平人の若い男女で、男は熱量操作属性です。女は、不明です。肉体強化魔法を使用していましたが、法式札の使用を任されていたように自分は判断しました」
「ふむ……。いやしかし、それだけで准尉がこのような敗北をするとは思えません。何かしら他の要因があったのでは?」
「……あのような魔法式で魔法が起動できるとは、自分は知りませんでした」
「ほう。どのような?」
「非常に式構成が短く、単純なのです。ですがその中に中佐殿に教授していただいた構文に無い、解読不可能なモノが混じっていました。短く単純ゆえ式出力から魔法発動までの時間が極端に短く、おそらく消費魔力も少ないかと思われます。
しかし、言い訳のようですが、短く単純な式構成とは思えぬ複雑な気流制御を行い、並列起動し、さらに発煙筒の使用や水鉄砲を拳銃に見せかけるなど、道具による不意討ちまで使ってきました。大変高度な魔法使いであり、戦闘慣れしているかと見受けられます」
「熱量操作属性で特異な式とそれほどの腕前となれば……」
キリールが知る限り、そのような魔法使いはたった一人しかいない。
だが彼は北海同盟で五、六年ほど前に火山の噴火による溶岩に呑まれ、死んだという。
第一、彼はそれほど若くはない。キリールよりは年下だが、今生きていたとすれば四十歳前後のはずである。
帝国から亡命してキリールも長く、捨てた故国の事情に疎い。
最期の時まで帝国に仕えながら、帝国の未来を憂いていたあの男がどのような行動を本国でしていたかなど、知る由も無い。
もっとも現実的な可能性は、彼が仕込んだ魔法使いがセッテフィウミ海運と接触した平人の男――ヘルマートとやらである、というところだろうか。
「准尉、よくやってくれました。ご苦労様です。手空きの方、キャスト准尉を病院に運んであげなさい」
キリールが軍人らしからぬ軍人――実際、魔法教導官として王国軍に雇用されただけであって根っからの軍人ではないから仕方ないのだが――だと承知しているキャスト准尉は、敬礼をしてそのまま担架で運ばれて行った。
それを見送った後、副官であるフォージング少尉を呼び寄せた。
「昨夜この三燕山に侵入した平人の男、ヘルマートの経歴を洗うよう情報部に交渉しなければいけません。段取りをお願いできますか?」
「はい。いいえ中佐殿。そのような場合は命令をなさってください」
「そうでしたね。では段取りをしなさい。また、セッテフィウミ海運の監視も引き続き怠らぬよう。決して手出しはせぬよう……これは私自身が出向いてお願いしなければいけませんか」
亡命したとはいえ元帝国の魔法使いが大きな顔を軍部でするのは敵を作ることに繋がる。
そんなことになれば、妻子の平穏の暮らしのために亡命した意味が無くなってしまう。
だが、キリールとしても、決して帝国に負けるわけにはいかない。どんな手段を使い、どれほどの屍を築き上げようと、せめて愛する家族だけは守らなければいけない。
キリールが生まれた頃にはとうの昔に狂ってしまっていた帝国は、もうどうしようもない世界の敵なのだから。
「ごめんな、みんな。でも神聖皇国に到着するまでの辛抱だ。そこでならもう少し人間らしく扱ってくれる」
――はずだ、という余計な言葉は飲み込み、鉄格子の檻に入れられ手枷足枷も付けられた牙人の子どもたちに俺は話しかけた。
貨物室は暗く、熱源観測魔法を使えばネズミらしき生き物がちらほら見える。床が動くわけではないが、大きく上下に時折揺れることは体感でわかるため、わけもわからず『巣』から連れ出され、いつの間にやら檻に入れられ、船に放り込まれた子どもたちが不安を覚えないわけがない。
「にゃーんでヘルマート君がごめんにゃさーいって顔してんの?」
ネズミを片手にした寝人の女、ビシニアが貨物室のドアを開いてやってきた。
いつも俺の傍らにいる伴侶のドロテアさんは、困ったように眉根を下げてビシニアに微笑みかける。
「そういう男性なんです。すぐ背負い込もうとするんで、わたしが荷物整理と一緒に持つ役をしなければ、簡単に死んじゃう男性なんです」
「まぁあの場でとっとと一人だけ逃げて、当たり前のように合流地点で毛づくろいしていたアンタはある意味立派だよ、ビシニアさん。オマケになんでか知らんが俺たちにくっついて来るし根性図太いな」
嫌味ではなく本気で思ったままのことを目の前の寝人に言った。
ビシニアは指先の爪を出さずに、もがいているネズミの頭をつんつんとしながらやる気の無さそうな態度で答える。
「んー、でもクラリッサってーお嬢様が許可出してくれたし。ウチの船賃も出してくれたし?」
「ビシニアさんは、わたしたちの恩人です。このお姉さんがいなかったら、わたし、今頃生きていません」
牙人の女の子が鼻を鳴らして俺に訴えかけてきた。俺の言葉には何も返さなかったのに、ビシニアを庇う言動をするあたり、所詮俺たち平人は牙人との信頼関係を取り戻せないのかもしれない。
ところでドロテアさんは、檻の中の子どもたちにいつもの朗らかな笑顔を向けて何やら言い出した。
「うん。でもね。あなたたちは、わたしの大切な旦那様、ヘルマートさんと、あなたたちを買い取って信用できる相手の下に送ってくれたクラリッサお嬢様のことも、きちんと感謝しないとダメなんだよ?」
「平人なんて信用できるか」
「難しいよね。簡単にできるわけじゃないのだけはわかるよ。でもね、あなたたちを守ってくれたあの片目の牙人のおじさんの言葉だけは絶対に忘れないでいて。この先どんなに辛くても、惨めな思いをしても、それでも生きて、生き抜いて、絶対に暴力を使わず、あなたたちの苦しみを平人や吠人に一人でも多く知ってもらうこと。それこそが真の勇者だって言った、あなたたちの恩人の言葉を」
ドロテアさんの言葉には耳を貸す様子は無かった牙人の子どもたちだが、隻眼の牙人を持ち出されたことで面持ちが変わり、最初に声を上げた女の子が俺たちを見据える。
「お兄さんやお姉さんはそれに協力してくれるんですか」
「お前たちの傍にいる限りは、クラリッサ嬢への貸しもあるから面倒見てやるよ。でも、俺たちには俺たちでやらなくちゃいけないことがある。お前達は、明るいお日様の下で、正々堂々とその牙を血に濡らさず戦って行け」
「ごめんね、お姉さんも同じ。わたしの一番は、ヘルマートさんだから」
「……こんな平人たちを信用しなくちゃいけないの?」
「まっ、人生なんてそんにゃもんだにゃー」
ネズミをつつくのに飽きたのか、場違いに明るい声を上げてビシニアは手にしていたかつて生き物だったものを放り捨てた。床に落ちたネズミは血の一滴も流していないにも関わらず、なぜか微動だにしていない。
ビシニアは俺たち夫婦を細くなってゆく瞳孔で見つめ、近場にある木箱に腰掛けた。
「ウチとしては、アンタたち夫婦が今度どうするつもりかの方が興味あるかにゃ?」
「クラリッサ嬢の実家でしばらくは世話んなるよ。俺は五年もツェズリ島って所で引きこもっていて、世界情勢にちと疎くてな。海運業者ならそっちにも明るいだろうから、しばらくは情報収集に徹して、世話になる礼もある以上、義理は通すつもりだ」
クラリッサ嬢は、俺の代理交渉の結果には決して満足はしなかった。
しかし現実問題として、そして死んだ牙人が去年暴れた現場に居合わせたこともあって、彼女は最終的に苦々しい表情でこの結果を認め、牙人の子どもたちを正式に買取り、俺たち夫婦もろとも実家の神聖皇国行きの船にぶち込んだ。有無も拒否権も無かった。
『ヘルマートさんが、わたくしのお兄様とお話して、気が変わっていただけることを願います』
という皮肉なんだか勧誘なんだかよくわからない一言と、紹介状は貰ったが。
なお、表向き今回の件に関しては「武装組織に誘拐された牙人の子どもを確認したため、自社に勤務している水夫と、在野の魔法使いに依頼して子どもを救出させた」という筋書きをクラリッサ嬢は用意しており、俺たちも口裏合わせするよう念を押されている。年齢の割に本当に小賢しいご令嬢である。
ギィジャルガは相変わらずそんなクラリッサ嬢のワガママに付き合うつもりらしく、そしてビシニアはちゃっかり『ウチこの子たち助けた恩人だにゃ~』と言って、俺たちにくっついてきたというわけである。
そのビシニアは、俺の返答に色々と思うところがあったらしく、牙をちらりと見せて笑った。
「にゃんだ。ヘルマート君、元冒険者だったんだ」
「真っ当な冒険者してなかったけどな。最初の二年は魔物を狩るだけでとにかく逃げる。この三年ほどは死体を漁ってとにかく逃げるしていた」
「……え? にゃにそれ。ウチでもドン引きモンだにゃ」
「ああ、だからビシニアさんが気まぐれなのはわかるが、あの島に近づくのはオススメしねー。俺はあの島でも変な方の人間だったが、それで生計立てられる環境も大概異常だってのはわかるだろ?」
「ウチとしては世の中みーんにゃ狂っているってのが持論にゃんだけど、自分がイカれてるのわかったうえで、悪党じゃにゃいイカレた生き方するっていうヘルマート君とドロテアちゃんは、正気にゃんだか狂してんだか心底わかんにゃい」
うつむき悩むような素振りを見せるビシニアだが、それは俺にもわからない。というか、正気も狂気も善悪もどうでもいい。
たぶん、自分のやりたいことが世間的定義に照らし合わせればたまたま悪党という基準に触れにくいだけなのだと思う。
俺もまだ若い。二十年、三十年後には立派な悪党になっているかもしれない。
それまで生きていれば、の話だが。




