第ニ章 5:死にたい奴は勝手に死ね
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「つまり、アンタら牙人は自分たちだけでも生きるのに手一杯のくせに、わざわざ子どもの同胞を巻き込んで今にも殺されそうな場所に連れ込んできたってわけか」
「平人のお前にはわかるまい。今日死なせぬために、明日死ぬやもしれぬ場所に同胞を連れて行かねばならぬ我々の気持ちなど」
隻眼の牙人のリーダーから聞いた話を俺が一言でまとめてしまうと、その傍らにいた別の牙人が鼻を鳴らした。
問題の子どもの牙人に視線をやると、大人たちの話を不安そうな眼差しで聞き、洞穴の隅に縮こまっている。
この子たちも奴隷として使役されていた所を、隻眼の牙人たちは見るに見かねて助け出したというのだ。
連邦王国の法的には牙人は家畜と同じ扱いになっている。いや大陸全土を見渡しても大体そんな感じで、彼らに人権は無く商品であり計画的に殖やされ計画的に消費される動物なのである。
固体としては屈強で強いのだが、数百年ほど前に絶滅寸前にまで数を減らして以来、今日までこの状態が続いているのだ。
主人が良ければ人権は無くとも牛馬と同じくらいには丁重に健康にも気を使って飼われる。だが逆に、生まれつき牙人としては弱く生まれた子どもを酷死させて消費してしまう主人だっている。
なんなら、なまじ言葉が通じるだけあって面白半分に玩具として殺す主人もいる。
そういった連中から、同胞の子どもを助けてしまったという事情は俺も言葉では責めつつも内心としては逆だ。例え、自分たちが保護した結果死ぬまでの日数が多少延びるだけだったとしても、だ。
「まぁ人数が予定より増えている経緯はもういいぜ。とにかく、抵抗なんて止めて早いところ投降しろ。子どもがいるならなおさらだ。この子たちはアンタたちと違って、まだ手は汚してないんだろ?」
「我々を虐げてきた平人や吠人に仕返しをしてやったのを『手を汚した』と表現するのなら、その通りだ」
リーダーらしく頭の回転が早いらしい隻眼の牙人は中々に嫌味な言い回しをする。
その時、俺の背後で野太い牙人の声と鼻息が充満するこの洞穴に似つかわしくない、高くよく通る声色が響いた。
「にゃんでもいいじゃん。ウチは平人と同じ意見だよ。もう潮時じゃない。諦めてお縄につこうよ。クラリッサ? って娘がアンタら法廷で守るって約束しているんでしょ? 投降したって絶対死ぬわけじゃにゃいんだし、なんなら牢屋の方が奴隷として働かされるよりマシなんじゃにゃい?」
自分の頭を手でかきつつ、ぺろぺろと毛づくろいしながら寝人の女はそう言った。カンテラ程度の灯りの下では寝人の瞳孔は黒目の部分が多く、昼間に見るほどの威圧感はない。
全身を茶褐色とほんの少しの橙が混じった被毛で覆った、立ち耳の猫のような頭部を持つこの種族は寝人だ。概ね個人主義者が多く、あまり大きな群れを作らず平人や吠人の社会になんとなくいつのまにか潜り込んでいる連中である。
そして、この寝人はどうやらこの『巣』にも潜り込んでしまったらしく、なんとも言えない鼻息が牙人たちの間で充満する。
俺は率直に質問した。
「で、あいつなんなんだよ。アレこそ資料に無かったぞ」
「アレって酷いにゃあ。ウチはビシニアってーの。アンタらこそ名前、名乗りにゃよ」
「ヘルマート。熱量操作属性の魔法使いだ」
「ドロテアです。ヘルマートさんの妻です」
「夫婦揃って武装集団の投降交渉とは、なんなのだお前たちは……」
牙人の一人がごもっともな意見をおっしゃられた。これに関しては俺も返す言葉もない。
だが寝人のビシニアには言いたいことはまだある。
「ビシニアさん、寝人のアンタがこの『巣』にいる理由が一個も見当たらないんだが」
「脛に傷ある者同士、互助扶助してる。ウチは敏捷しこくて、牙人は力持ち。いい関係じゃにゃい?」
「牙人の方がよくこんな素性の怪しい奴を受け入れたな」
「子どもたちを助けるのにも協力してくれた。危険な斥候も担ってくれた。種族は違えど、信用に足る相手だと思っている」
「まぁようするに、同胞というより客分扱いだと?」
「そういうことだな」
では、先ほどのビシニアの投降を促す意見もどこまで聞き入れてもらえるか怪しいものだ。
しかし俺が言うよりは大分マシだろう。ビシニアはかなり正確に状況を把握している。
「俺の言いたいことはビシニアさんが全部言っちまった。意地張らずに投降しろよ。大体、この山にあんたらが潜伏していることはもう軍にバレていて監視されている。いつ襲撃されるかわからないんだぜ」
「我らはここを死地にするつもりだ」
隻眼の牙人は俺の意見を巌のような手の平で遮った。
「軍に監視されているのはわかっている。これまで同胞を殺してきた宿敵だ。我ら全員が刺し違えれば、皆殺しは無理だとしても半数以上は道連れにしてみせる」
実際のところ、言われるまでもなくそうなのだろうなと察しはついていた。
この山に潜伏したこいつら牙人がまだ軍に襲撃されていないのは、樹人の縄張りである【森】が付近にあるためだ。いわば連邦王国と樹人の緩衝地帯にこいつらは『巣』を張り、軍に対して牽制しているのである。
樹人はおそらく、小規模集団の牙人に対しては本格的に【森】に侵入しない限りは動かない。わざわざ好き好んで厄介事に首を突っ込むような連中ではないからだ。
しかし、連邦王国軍に対しては違う。樹人と連邦王国の共生関係は常に微妙で、小規模でも軍部隊を付近に派遣すれば、後で何かしら政治的に面倒な事態を引き起こす。そうしなければ樹人側も王国に舐められて先祖代々の居場所を失うので、必死になるからだ。
そういった、なりふり構わぬ体で地の利を使っている牙人たちは命を惜しまないだろうということは、言われるまでもなく知っていた。
だが、今日ここに来て少々意見が変わった。
「アンタらはそれでいいとして、このビシニアさんや子どもたちまで巻き込んでいいのか?」
「……痛い所を突いてくるな、魔法使い」
両目を閉じ、牙人のリーダーは腕を組んだ。
そして、あぐらをかいて座っていた姿勢を解き、周囲をぐるりと片目で見渡した。
「我々は一度、クラリッサとギィジャルガに敗北している。強き者こそ、勝者こそが正義。それが我々が掲げた御旗だ。なれば、今一度クラリッサとギィジャルガがこのように接触してきた今、その命令に従うことこそが我らの正義の本分である」
「か、頭。本当にそれで良いのですか?」
「おれたちは頭のその侠気と力に惚れて、今までついてきたんだぞ!?」
「有り難いな。だが話はきちんと聞け。命令に従うこと、が正義なのだ」
動揺が走った同胞に対しても、隻眼の牙人は堂々と両腕を広げて演説だか説得だか詭弁だかを続けた。
そして、ギィジャルガに残った片方の視線を投げかけた。
「強敵よ。我々の降伏と投降はお前たちの命令か?」
「違ウ。キュルルは多分、懇願ダ。ギィジャルガは……ギィジャルガも、ソウ、願ってイルか。――牙人の自由意志ヲ。ギィジャルガは、お前タチの、好きにシテもらいタイ」
「おいおいギィジャルガ、お前親友のクラリッサ嬢と意見が違うぞ」
俺は思わず横槍を入れてしまったが、ギィジャルガは今度は俺を相手に正面から顔を据えて、膝をついて視線を合わせてきた。
見下ろされるより、なぜか威圧感を強く感じる。
「お前の意見ハどうナノダ、ヘルマート」
「俺個人にこの件について発言権なんてないだろう。この場の俺はクラリッサ嬢の要望通りに事が成るよう代理交渉に来た牙人に人権を認める平人代表だ」
「お前の意見ヲ聞かセロ」
二度目のギィジャルガの言葉は、叱責にも似た声色を帯びて俺を打ち据えた。
傍らのドロテアさんと、俺は目配せする。伴侶となった彼女の黒い瞳は、憂いと優しさが混じっているような気がした。
ただ、俺の手に優しくその手の平を乗せてくれた。
すまんな、クラリッサ嬢。正道はやっぱり俺の道じゃない。
「生き延びたい奴は、どんなに辛くても、屈辱を味わうことになっても、その先にここで死ぬ以上の価値を見出している奴は、生きていいだろう。でも、自分の命を武器にして成し遂げたいことがある奴は、勝手に死ね。俺は邪魔もしないし協力もしない」
思ったままのことを口にした。
俺は牙人たちに偉そうに「生きて真っ当に罪を償い、裁かれろ」とは言えない。
自分の命を賭け札にして事を成そうとしているという点で言えば、俺と隻眼の牙人たちとの間になんら変わりはない。ただ俺は今はまだこの札を切るべき時ではなく、隻眼の牙人たちはここが生涯たった一度だけ使える切り札を切るべき時なのだ。
大体、資料で読んだこいつら武装集団の牙人の暴虐っぷりも目に余った。兵士や警備といった者を殺すのはまだいい。
だが、非武装市民全員を、女子供も区別なく殺し、犯し、喰らったという。それが数百年屈辱に耐えた正統な報復だと言われたのならわからないでもないが、犯ってしまえばもう後戻りは効かない。暴力で以って事を成す者は暴力で以って打ち倒される。これもまた人類史だ。
だから、まだ罪を犯していない者と、犯した罪を償う覚悟がある者だけはなんとかしてやりたいというのが本音だ。
そういった罪を犯した隻眼の牙人は、堂々とした声を洞穴の中に響かせた。
「うむ。それでは、頭として命じる。まず子どもたち。お前たちはヘルマート殿と一緒に今から逃げろ。クラリッサがお前達の身分を買い取り、必ず良くしてくれるはずだ。次にビシニア殿。貴女もヘルマート殿と同行してもらいたい。際の際で裏切るとは信じたくないが、単独行動は許可できない」
「まっ、当然だにゃ」
「そして同胞たちよ。ヘルマート殿の言った通りだ。平人や吠人どもが勝手に定めた法で、屈辱を味わうのはもうたくさんだ。だがそれでも、理不尽に抗い生き残り、我らの無念と恥辱の想いを代弁する者こそが、真の勇者だ。他の同胞がどう言おうと、オレが認める。牙突き貫いて今死ぬか! 牙折って泥水啜り勇者となるか! 自由だ! 今ここで決めろ!」




