第一章 魔女は食材の羊と見初められた
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私は魔女だ。名前はソーニャというけれど、そんなものはただの名札だ。
いつから魔女と呼ばれるようになったのかなんてもう覚えていない。年端もいかない私が幼い頃には既にもう村の誰かがそう囁いていた。だからママに「魔女って何?」と聞いたら、いつしかママにもパパにも魔女と呼ばれることの方が多くなっていた。
何が原因だったのかなんて知らないし覚えていない。今私が理解っている確信を一つだけ挙げるとするなら、私の見ている世界は私にしか見えていないということだけだ。
人間はみんな、誰しも背骨が光って見える生き物だ。いやいや、人間に限らず猫も犬も馬も牛も鶏も、それぞれぼんやり光るか微かに瞬くかの差はあれど、背骨のある生き物は私にはそれが光って見える。
みんなそんなものは見えないと気づいたのはいつだっただろう。どうでもいい。私は生まれついての魔女だったというだけだ。
「アハハ! アハハハハ! 魔女かぁ、平人だからこそ魔女なのかなぁ? ぼくはじゃあなんなのか、わかるかなぁ? ねぇねぇ君、まぁ誰でもいいや。ぼくは誰か言ってごらんよさあさあさあ!」
私の目には、光るヒト型のソレが月を遮るように浮かんで、少女の声で笑っていることくらいしかわからなかった。
大体、私の身体の感覚はどうでもいい今までの人生を振り返っている間にも痺れて滲んで朧げになっている。
農具のピッチフォークでお腹を刺され、頭や手足を踏みつけられ、蹴りつけられていたらそうもなるだろう。
こんなことになっちゃった原因はなんだっけ。
背骨の光が弱まってきた人間を「もうすぐ死ぬよ」と言ってしまったのがいけなかったのだろうか。
肉体は無いけれど、背骨の光だけで声をかけてきた人間とお話してしまったのがいけなかったのだろうか。
いつからか手足にビリビリとするなんだかよくわからない良くないものが憑いてしまったのがいけなかったのだろうか。
それで荷車に轢かれそうになった子どもの腕を引き寄せて、バチバチさせてしまったのがいけなかったのだろうか。
まぁいいや。私は魔女だ。魔女は恐れられて殺される。仕方ない。そういうものだ。だって魔女は悪いんだから、悪者は殺されるのが正しい。
「なぁんだ何も誰も言ってくれないなんて寂しいなぁ。ぼくの共和国語が下手っぴなせいかな? あれ? ここ共和国でいいよね? んー、なーんでみんな何も言わないのさぁ。一緒に喋って笑ってわかりあって一つになるのが人間の美しい在り方じゃないのかな?」
美しいか。
確かに、彼女――彼女なのだろうか? そもそも人間は空を浮くものなのだろうか。あれが牧師様がおっしゃっていた天使というものなのだろうか。魔女の私なんかを迎えに来てくれる天使がいるはずないから、きっと別件で来たのだろう。
ともかく、アレは綺麗だ。
月の光を浴びて、静かな夜を打ち破って、感情そのままに子どもらしく笑うアレはなんだかよくわからないけれど、美しい。
「そ――、――にね」
返事をしたかったけど、言葉にならなかった。
喉からは熱くて鉄臭い何かが溢れて呼吸もままならず、ロクに喋られるわけもない。
私だって、そんな人間らしい生き方をしたかった。でも、魔女は人間ですら無いらしいから仕方ない。
思えば仕方ないばかりの人生だった。
けれども、これが私の最期に見る光景なら、血が胸に溢れ返っているからではなく、気持ちで熱くなれるのだから幸せだったとも言えるのかもしれない。
天使のようなナニかの声だけがはっきりと聞こえる。
「なぁ君たち、この魔女っ子が何をしたのかな? 殺されるほどのことをしたのかな? もったいないことをするもんだよね。君たちよりずっとずーーっと魔女っ子ちゃんはぼくから見たら美味しそうなのに、なんの権利があってぼくの獲物を奪うのかな?」
腕は、動かない。踏みつけられているから動かない。
でも、手を伸ばしたい。彼女に触れてみたい。彼女と話したい。彼女に私は、もっと、もっともっと見てほしい。声をかけてほしい。
魔女の私を欲しいというのなら、天使でも悪魔でもいい。全てを捧げる。
「さあもうわかっているよね? お喋りの時間はお終いだよ。ああ、ぼくだけが喋っているんだっけ? まぁいいや。魔人の怒りに触れた下等人種の行く末は皆同じ」
光の腕が、振り下ろされた。
「皆殺しだ」
無数の糸のように光の腕が変形した。
糸は私の目に映る光る背骨の少し上を一つ残らず突き刺し、次の瞬間には焦げた臭いが微かに感じられた。
嗚呼。
これが。
極北の帝国に棲む。
魔人なのか。
魔女の私が最期に出会う人間として、最高だった。
幸せな人生だった。