助手
「立院先生、今回の事件は難航してるみたいだな……」
そう呟きながら吉祐二(25)はオフィスの机に並べられた書類へと、目を通す。
吉は立院探偵事務所において、創立者である探偵・立院の助手として働いている青年である。アナログからデジタルまで幅広い面で情報収集を行い、それを完璧に整理する。さらに事務所に持ち込まれた依頼の整理や事務所のSNS更新など、あらゆる方向で立院を支える立派なアシスタントだ。
だが、彼の仕事はあくまで「助手」。自分が支えるべき探偵・立院が探偵としての仕事に煮詰まっていれば、自ずと吉の仕事も滞ってくる。そんなわけで溜め息をつく彼に、私は威厳のある口調で語りかける。
「人間よ、お前の願いを聞き届けてやろう……」
立ちこめる硫黄臭に吉は返事をすることなく、さっと机の下へ身を隠しこちらの動きを窺うような素振りを見せた。探偵の仕事を手伝う彼にとって、危険な事態に陥る可能性は想定可能な事態だ。それゆえいきなり現れた私のことを不審がるより、まずは警戒を表すことにしたらしい。だが、悪魔である私にそんな行動をしても無意味だ。それを裏付けるように私は余裕を持って、吉へと語りかける。
「私は地獄の悪魔・ダメストフェレスだ。お前は、自分の主である探偵が事件の謎を解けないことに困っているのだろう? 私と契約すればお前の死後の魂と引き替えに、その事件の真相を解き明かしてやろう」
「瑠璃の名前を持った、どこかの自称『ナゾの宝石商』みたいなものか?」
「……」
もうこのやりとり嫌になってきた。
そう溜め息をつきたくなるのをぐっと堪え、私は未だ緊張した面持ちの吉に悠然と微笑んでみせる。
「私と契約すればこの事件だけではない。この世のありとあらゆる謎を追究する力を授けてやろう。ジャック・ザ・リッパーの正体も、三億円事件の真相も全て解決させることができるぞ。そうすればお前は世界一の名探偵になれる。お前の魂は私がもらうが、その名は未来永劫語り継がれるようになるのだぞ。さぁ、契約すると言え……」
人間に知識を与えるのは、悪魔にとって最高の愉悦。未知なるもの、他者が知り得ないものに人間は心引かれるものなのだ。まして目の前にいるこの男、吉は助手とはいえ「探偵」という謎に立ち向かうべき存在。知識欲は人より高いはずだ、今度こそ私と契約を……
「断る。帰れ」
「っなぜだ!?」
短く、淡々と返された言葉に私は思わず食らいつく。もはや悪魔の威厳も何もあったものではないが、このところずっと人間の魂を得ることができていないのだ。今日という今日は、今度こそと意気込んだ矢先にあっさり断られたのだから噛みつきたくもなる。だが吉はそんなこと知ったものか、と言いたげに冷めた目つきでこちらを見つめる。
「探偵は、ただの推理ごっこじゃない。採取した情報を元に得られた事実を、依頼者の役に立つよう活用してこそ真の探偵と言える。立院先生はそれができる方だし、俺はそんな先生のサポートができるのが好きで『助手』をやっている。だからお前は帰れ」
「っそんなこと言わずに! 謎を解く力を与えるだけなら、今の助手のままでもいいから……!」
「黙れ。古今東西、悪魔と契約したらろくな結末が待っていないってフィクションでさんざん証明されてるだろう。それにお前、臭いぞ。このまま事務所に匂いが染みついたら損害賠償を請求するぞ。それが嫌なら、とっとと帰れ」
……っまた「臭い」と言われた……! 硫黄臭は悪魔の禍々しいオーラを放つのに必要不可欠なのに……! っていうか、地獄にいる悪魔の先輩方をしれっと馬鹿にされた……!
悔しげに吉を睨みつけてやるが、吉は「それがどうした」と言わんばかりにこちらへ白けた目を向ける。強面の警察官から凶悪な犯罪者集団まで見てきた彼にとって、悪魔である私は恐れることなどないらしい。その目から逃れるように私はしょぼくれて……硫黄臭もきちんと回収して、去って行く。
「ファウスト博士じゃあるまいし、悪魔と契約なんかするもんか。立院先生は絶対に、自力で謎を解いてみせるからな。そもそも神とか悪魔とか、そんなものに縋り始めた時点で探偵はもうおしまいなんだよ」
吐き捨てるようにそう呟くと吉はうんざりした顔でまたデスクに向かい、書類の方へ目を向けるのだった……。




