いじめ
「バカ」「死ね」「臭い」「ゴミ」
そんな心ない言葉を机に書かれた少女、石井芽衣子(17)は深く溜め息をつく。
彼女の鞄はカッターナイフで無残に傷つけられている。その中に入っている教科書やノートもまた、無残な姿となっていた。
よくある、しかし当人からすれば十分に心を抉るいじめに石井は深く項垂れる。
「もうやだ……死にたい……」
涙混じりにそう呟き、蹲る石井。そこに、硫黄の匂いが立ちこめた。
「何っ!?」
言いながら石井は立ち上がり、怯えたように後ずさる。
階段で突き飛ばされる。殴る蹴るの暴行。エスカレートしていくイジメを考えれば、いじめっ子たちは石井の命に関わることをもやりかねない。まさかこの匂いも——と身構えたところで私は威厳のある声で語りかけた。
「人間よ、お前の願いを聞き届けてやろう……」
もうもうと黒い煙を上げて私——悪魔ダメストフェレスは石井の前に姿を現す。
「私は地獄の悪魔・ダメストフェレスだ。お前は、心ないいじめを受けているのだろう? 私に願えば死後のお前の魂を引き替えに、いじめっ子たちを皆殺しにしてやろう」
「どこかの藁人形で恨みを晴らしてくれる地獄の少女みたいなもの?」
「……少し、違うな」
私は別に復讐専門ではないからな。そう言いたいのを堪え、私は石井に穏やかに話しかける。
「石井芽衣子よ。お前が望むのなら、お前をいじめた人間たちにあらゆる苦痛を与え惨たらしい死に方をさせることができる。私はお前の魂をもらうが、いじめっ子たちはお前の何倍も辛く苦しい状況に合わせて死に追いやることができるのだぞ……」
もともと地獄には罪を犯した人間の魂が送られてくるのだ。そこで常人には到底思いつかないような辛苦を与えるなど、容易いこと。もちろん、その魂だって最終的に私がもらう予定だ。私としては一粒で二度美味しい話。あとはこの女が頷けば……
「……によ」
「によ?」
石井の呟き声を反芻すれば石井はかっと目を見開き、地団駄を鳴らす。
「何だってアタシが、いじめてくる連中のために悪魔と契約なんかしなきゃなんないのよ! 辛いのは私なのに! 苦しいのは私なのに! どうしてっ、どうして私ばっかりこんな目に……!」
「お、落ち着け石井よ……だから私がその復讐に、手を貸してやろうと……」
「うるさいうるさいうるさい!」
苛立ちのままに暴れ回る石井を宥めようとするが、彼女はヒステリックに叫ぶばかりで話にならない。
なんてことだ……度重なるいじめに精神が追い詰められたはいいが、それが私の出現によって振り切れてしまったらしい。ここで上手く人間を誘導し、契約に持って行くのが悪魔の腕の見せ所だが石井は一度ふーっと息を吐くと私の方を睨みつける。
「決めた。私、アンタとは契約しない」
「は?」
「幸い、証拠はうんざりするほどあるから警察で被害届出すなり高校辞めて働くなりしてアイツらと戦う。こっちは一度、悪魔に会ったんだもの。腹を括って、徹底抗戦してやるわ」
「いや、待て! 私ならいじめっ子たちを文字通り地獄に落とすことができる! 私の力を借りた方が何かとスムーズだし、その方が長期的にいじめっ子たちにダメージを……」
「アンタなんかよりアイツらの方がよっぽど悪魔じみてるわよ! とりあえずアンタに用はないから帰ってちょうだい!」
腕を組み、仁王立ちする石井は覚悟を決めたような強い眼差しをこちらに向けている。
……どうやら彼女は本気のようだ。私は仕方なく、その場から姿を消す。
石井は汚された机を前にし、考え込むような素振りを見せる。
「まずは警察ね。あと、教育委員会とかも行った方がいいかしら。とりあえずアイツらに何をされたか、きちんと証言できるようにしとかないと……」
鬼気迫る表情の石井は最初の捨てられた子犬のような表情ではなく、死地に挑む戦士のような形相をしていた……。