夢見れぬ者は夢見る者に恋をする
ある夜、私は高校生になっていた。いつもよりスタイルがよく、普段絶対に着ないような清楚でかわいいワンピースまで着ていた。きっと顔もいつもよりかわいいはずだ。
「次の方どうぞ」
面接官の声がする。ついに私の番が来た。私は思い切ってドアをノックする。
「失礼します」
この夏始まる舞台の主演オーディション。私の女優としての物語が今はじまる…
「…おい。…おい柚月そろそろ起きた方がいいのでは?」
「はっ…」
私の目の前がオーディション会場から見慣れた天井に変わった。家中にスマホのアラームが響いている。
アラームを止めるために枕元のスマホを手に取ると、既に午前8時を回っていた。
「うわっ遅刻じゃん。なんで起こしてくれないのよ!」
叫びながら飛び起きる。
「何回も起こしたけれど無視し続けたのはあなたですよ柚月。人のせいにしないでいただきたい」
ふよふよと私の後ろで浮いている紺のタキシードを着こなした男は獏の紫煙だ。
「よく言うよ、人の夢をどうせのんびり見てたんでしょ」
呆れながら言うと紫煙は窓の外を見ていた。聞いていないフリをしてもバレバレだ。
「まぁまぁ早く大学に行きなさいよ。ちゃんと気をつけて行くんですよ。あなたは本当にそそっかしいんだから」
紫煙は優しい目をして言った。
私はよく夢を見る。楽しく明るい夢が多いのでついエンジョイし過ぎて時間を忘れて寝てしまう。見た夢はたいてい覚えているから、私はその日のうちに夢の内容をブログに書くことを日課というか趣味にしている。
「私、オーディション通ってたかな…」
スマホのメモに夢の内容を打ち込んでいる時に思わず呟いてしまった。
「え、柚月オーディション受けたの?なんの?」
隣で同じ講義を受けていた沙代に聞かれてしまった。
「え、いや受けたというかなんていうか…」
「またどうせ夢でもみたんでしょ」
後ろの席から身を乗り出してきて美咲が言った。
「夢?」
沙代の頭にクエッションマークが浮かんでいる。
「そう柚月は夢に恋する夢子ちゃんだもんね」
「やめてよ、そんなんじゃないよ。夢に見たことをブログに書くのが趣味なの」
恥ずかしがる必要はないと分かっているものの自分で言うとなぜか照れてしまう。
沙代は不思議そうに首を傾げていた。
「夢日記的なやつ?」
「まあそんな感じ」
「確か高校の時から続けてるよね」
「うん、もう4年ぐらいかな」
「え、そんなに。すごいねずっと続けられるなんて」
高校からの友達である美咲には前から話していたが大学ではその話をしたことがなかった。自分のあまり公表していないことを人に知られるのはなんともこそばゆい。なんとか話をそらさなくちゃと思った時、講義の終わりを告げるベルが鳴った。
「さ、お昼行こう」
美咲が席を立ったのをきっかけに話が終わりちょっとほっとした。
紫煙と出会ったのはブログを書き始めて1年ぐらいした頃だ。いつも通り家で夢の内容を投稿していたら突然コメントがついた。
“いつも拝読しています。あなたの夢は読んでいて面白いので一度一緒に見てみたいものです。”
今までコメントなんてきたことがなかったから、すごく嬉しかった。つい私は「是非是非」と独り言を呟いてしまった。
「それはよかった。では早速今晩お願いします」
突然頭上から声が聞こえた。慌てて見上げると男がいた。あまりの突然の出来事に私は口をぱくぱくしながら固まってしまった。
「あ、失礼しました。先程コメントを投稿しました紫煙と申します。あなたの夢がいつも美味しそうだったので会いに来てしまいました。以後お見知り置き…ムグっ…!」
なんとか体を動かした私はそばにあったクッションを男の顔に投げつけた。
「不審者!!何者よ!どこから湧いて出た!」
「いや、だから紫煙と申します。あ、見ての通り人間ではございません。獏というものです」
そう言いながら紫煙と名乗る男はすーっと床に降り立ち顔に当たったクッションをそっと床に置いた。よく見ると私好みのイケメンだった。
「ばく?」
「はい、我々獏は人の夢を見ることが主食のようなものでして、あなたの夢はいつもとても魅力的なので是非一緒に見たいと思い伺いました」
紫煙はドラマでよく見る執事のように深々と頭を下げた。
「私にどうしろって言うのよ」
「何もする必要はございません。1つお願いしたいことは私をあなたの家に住まわせてください」
「へ?」
「掃除洗濯、食事に至るまで全て私がいたします。あなたはいつも通り寝て、夢を見るだけで結構です。私はあなたが見る夢を一緒に見るだけでいいのです。もちろん夢に私は介入いたしませんし記憶がなくなることもございません」
「私にデメリットなくない?」
「ええ、もちろんございません」
私は紫煙をマジマジと見つめてみた。黒髪でしょうゆ顔、顔面偏差値は高めで何故か服装はタキシード。コスプレですか?レイヤーの方ですか?と聞きたくなったがそれは置いておくことにした。
「じゃあ、お願いします!」
こうして私と紫煙の奇妙な同棲生活がはじまり3年ほどになる。
紫煙に夢を見せるようになっても私の夢は本当になにも変わらなかった。特に見られている感じもしない。でも、紫煙は本当に私の夢を見ているらしく、夢の話をするとまるでそこにいたかのように楽しそうに話に乗ってきてくれる。
起きてから夢の内容を楽しく話せる存在ができた事はすごく嬉しかった。家事負担が減り、夢の話ができる存在ができ、いつも家にイケメンがいる。私にデメリットはない。世の中ラッキーなこともあるもんだ。
「そろそろお別れの時期かと思っています」
夢を見ている時、私はそれが夢だということがなんとなくわかる。紫煙が私に別れを切り出しているこの唐突な状況が今日の夢のようだ。
「別れるってどこへ行くのよ。もう帰ってこないってこと?」
「そうですね。実は美味しそうな夢を見ている方を見つけまして、気になっているのです」
「そうなんだ。じゃあ行っちゃえばいいんじゃない。どうせ私の夢に飽きたんでしょ」
夢の中とはいえなんだか腹が立ったので、強気に出てしまった。
「そうですね。そうしたいとは思うのですが」
突然紫煙は申し訳なさそうな顔をした。
「そんなに泣かれると行くに行けないのですが」
「へ?」
私は気がつけば号泣していた。
「そんなに泣いてしまって。どうかしましたか?私に惚れてるんですか?」
少し嬉しそうに話す紫煙を見て私は顔が熱くなるのを感じた。
「そんな訳ないじゃない!」
私は自分の大きな声で目が覚めた。周りを見るといつもいるはずの紫煙が側にいなかった。
今まで紫煙が私の夢の中に出てきたことはない。そもそも介入しない言っていたのでわざわざ夢に出てきたという訳ではなさそうだった。
でも、いつもベッドの横にいた紫煙が今日はいない。私は嫌な予感がしてならなかった。
その日から紫煙が出てこなくなって2ヶ月が経った。
「おーい柚月、柚月!起きてるか?」
「えっ、あっ!」
美咲と学食でお昼を食べていた時、私はぼーっとしてしまった。
「柚月最近おかしいよ?いつも心ここにあらずって感じ。何かあった?」
「いや、特に何もないんだけど。ちょっと疲れが取れないというか」
「はい嘘、絶対何かあったでしょ、何年友達してると思ってんの。最近の柚月、おもちゃを無くして今にも泣き出しそうな子どもみたいな顔してるもん」
「えっ…」
「ほらその顔、ってえ、ちょっと本当どうしたのよ!?」
私は急に涙がこみ上げてきて堪えきれなくなった。
私は美咲に紫煙のことを初めて話した。今まで誰にも話した事がなかったから、なかなかうまくまとめられなかったけど、美咲はちゃんと最後まで聞いてくれた。
ずっと泣きじゃくる私を見つめる美咲の目は優しいお母さんのようだった。いつもツンツンのくせにここぞって時に優しい美咲はずるい。けどそんなところが好きでもある。ツンデレがうまいのだ。
「獏っていう存在がいるかどうかは私の範疇外だけどさ、柚月はその紫煙て人のことが好きなんじゃないの?で、その事に気がついた紫煙さんは距離を取ろうとしてるんじゃないの?」
「距離?」
「理由はわからないけどさ、柚月が別れようって言われて夢の中で泣いたんでしょ?それで何か思うとこがあって距離を取ったんじゃないの?」
「なるほど…じゃあ私はどうしたらいいの?」
「そうねぇ…とりあえず見つけ次第ヘッドロックかましてどうして勝手に出て行ったのか問い詰めてみれば?」
「なるほど……いや、なるほどじゃない。ヘッドロックは私には無理無理。でも、とりあえずもう少し待ってみることにする」
なにも解決してないけれど、私は少しすっきりした気持ちになった。
「ありがとう美咲」
「いいのいいの。いつも講義ノート借りてるからたまには恩返ししないとね」
美咲は少しはにかみながら言った。
心の重りが少し減り、いつもの景色に温かみを感じたその日、家に帰ると紫煙がいた。
「今までどこ行ってたのよ」
「いや、ちょっと柚月の夢を見て少し距離を置いたほうがいいかと思いまして」
「なに勝手なこと言ってんの。しかも、距離を置いた方がいいってどういうことよ。何?私が嫌いって訳?」
自分が思っていた以上にきつい言い方になってしまった。
「いやいや、そういう訳ではなくて、大変言いにくいことではあるのですが…」
「わかった、夢で言ってたみたいに他に気になる人でもできたんでしょう?」
久々に会えて嬉しいはずなのに、溜まっていた感情がどんどん溢れ出る。「おかえり」って言いたいのにそれが言えない。
「もうそしたら勝手にすればいいじゃない。勝手に距離を置いて、勝手に私から離れて、どうせ私なんか代わりのきく…」
言い切る前に私は紫煙の唇によって口を塞がれた。
初めてのキスだった。
「それ以上は言わないでください。あなたの代わりがいる訳がないでしょう。勝手に去ったのは本当に申し訳ない。恥ずかしながら怖くなってしまったんです」
紫煙は唇を離し優しく話し出した。
「怖い?紫煙が?」
私は突然のキスにぼーっとなった頭をフル回転させて理解しようとしたが無理だった。
「本来、獏というのは特定の人と深い関わりをもったりしません。ましてや何年も同じ家に居座るなんてありえません」
「え、そうなの?」
「あと、この際白状しますが私は柚月のブログにコメントを書く前からあなたの夢を勝手に見ていました」
「え、ちょっと待ってどういうこと?」
なにこの展開。カミングアウト畳みかけすぎでしょ。私の思考は完全にフリーズした。紫煙を見ると、顔を真っ赤にして床を見つめていた。こんな表情初めて見た。
「私はいつもふらふらとしていたのです。初めてあなたの夢を見た日も今まで通り勝手にお邪魔してそのまま立ち去るつもりでした。でもあなたの夢を見た途端あなたの夢をもっとずっと見てみたいと思ったんです」
今まで紫煙にどうして私の家にいてくれるのか聞いても、いつも話をはぐらかされてきた。私は初めて聞く話に心臓がドキドキした。
「初めての感情だったんです。それまで何度も同じ人の夢を見たいと思うことなんてなかったから。それで何度かあなたの夢を見ていたらあなたと話してみたくなった。だからコメントを送ったんです」
紫煙は照れながら言った。
「あなたに惚れてしまったんですよ。いつも夢の中で夢と分かりながらも楽しそうに過ごすあなたの笑顔を独り占めしたいと思ってしまったんです」
私の頭は完全に真っ白になった。マジか。嫌われてなかった。それどころか逆だったなんて、もうどうするのが正解なのかがわからない。
とりあえず私の顔はこれでもかっ!てぐらい真っ赤になっていた。
「どうして私なのよ…」
そう言うのが精一杯だった。
「どうしてでしょう。長く生きていますがこんな気持ちは本当に初めてでして。人であるあなたに迷惑をかけたくなかった。だから勝手に出て行ったんですがそのことが余計にあなたに迷惑をかけてしまった。本当に申し訳ない」
「そうよ、勝手に出て行って心配したんだから」
「申し訳ない」
「だったら約束しなさい。もう二度と勝手に私の元から離れないって」
私は勇気を出して紫煙に飛びつき唇を奪ってやった。
「むぐっ!」
紫煙は一瞬かなりびっくりした顔をしていた。ざまあみやがれ。お返しだ。
「私も紫煙のことが好きなんだから」
そう言ったところで私は緊張の糸が切れてしまったからかそのまま寝てしまった。
今、私は台本を片手に舞台に立っている。この夏公演の舞台のリハーサル中なのだ。どうやら私は気がつかないうちにオーディションで主演の座を勝ち取っていたらしい。私の女優として活躍が今ここから始まろうとしている。
「…おい。柚月。そろそろ時間がまずいですよ。柚月」
「…はっ」
私は慌てて飛び起き時計を見る。午前9時を過ぎたところだった。もう1限の授業には絶対に間に合わない。
「ずっと起こしていたんですよ?」
紫煙は呆れながら言った。
「だって仕方ないでしょう?リハーサル中だったんだから」
私は口を尖らせながら言い返しつつ美咲に「講義ノートよろしく!」とだけメッセージを送った。たまには甘えてもバチは当たらないだろう。
「さぁ朝ごはんはもうできています。さっさと食べてください」
紫煙は私を追い立てる。
「はーい」
私は気怠い返事をしながらベッドから出てリビングへ向かった。
紫煙が帰ってきてから1週間が経った。あれ以来、紫煙は勝手に消えることもなく我が家にいてくれている。前と何も変わらない日々に戻った。
いや、嘘だ。一つ変わったことがある。あの一件以来私は紫煙の顔をあまり直視できなくなってしまった。見ているとどんどん顔が赤くなってしまうのだ。
「なんとか解決しなくちゃ…」
私は思わず呟いてしまった。
「何か言いましたか?」
「いや、なんでもない。独り言だから気にしないで」
「そうですか…」
そう言いながらなにかを察したのか紫煙は優しい笑顔を私に向けてきた。
こいつ、余裕出しやがって。見てろよ。私はなんとかこの状況を打開してやると決意したが、顔は決意に反して真っ赤になってしまった。
火照る私を見て紫煙は上品に笑いながらすっと顔を寄せてきた。
「愛していますよ」
甘い囁きが私の頭にジーンと響いた。