第七章 少年と記憶
1
傷心の魔女は、口を閉ざしたまま先に進んでいく。
結界とやらが壊れて益々不安定になったのであろうホムンクルスは、ヒトの姿を留める事すら難しくなっているようだった。ある者はヘソから上を無くし、ある者は末端から泥に還元されていく。
どれも泥に変わっていく、嫌でもそう自覚されるのに表情は変わらず、あるいは穏やかな笑みすら浮かべて床に身を散らす。
異常は益々異常を起こし、踊るように身をくねらせて壁に激突し四方に泥を散らす者、近くにいた同じ顔を抱きしめ、その拍子で同時に泥に変わっていく者さえいた。
世界の終わりのようだ。
ヒトの形をした物が僕の目の前で全てを終わらせていく。同じ顔が、僕と同じヒトの形をしたカノジョ達の死はまるで一つの作品にすら思えた。
「雰囲気に飲まれ易いタイプ?」
「僕は魔女の君とは違って、ただの学生だからね」
笑いながらそんな事を返す僕だが、内心はケイに感謝している。彼女の一言が僕を現実に戻してくれる。
死に急ぐカノジョたちを見ていて平気でいられるわけがない。
どこか取り残された孤独感を、そうして僕もカノジョたちを同じ行動をとらなければいけないのだろうか。と、さえ思わせてくれる。
その中で生きたヒト、というのはとても心強かった。
「君は学生? 魔女の学校はないの?」
「魔女の学校なんて私は通った事ないわ。下手に知識を広めて危険に、自然を歪めさせる訳にはいかないから」
「秘密主義みたいな感じ?」
「技術職、機密情報だってある」
BB弾を補充しながら彼女は言う。
やはりその恰好、武器で魔女と自称するのはやや難しく思える。思考こそ読めないだろうけれど顔で判断したのだろう。彼女は不機嫌そうにトイレから出てきたホムンクルスに発砲する。
泥――……。
人糞と血液と精液で作られた彼女たちにトイレは不要ではないのか。人権すらない泥人形は、それでも人間のフリをさせられているのだろう。そう思うと不憫でならなかった。
「ホムンクルスを作った人はさ。どうして、こんな事に手を出したんだろうね」
「大事な人を失ったからでしょ。好きで好きでしかたないって一種の依存だと思う。……その依存先が突然いなくなったら誰だって耐えられないと思う」
「ケイは、あのおじさんが依存先?」
「心に強く残ってるっていうのは、好き嫌いじゃない。その中にはトラウマだってある――……とにかく、彼はそれ程あの女性を愛していたんでしょうね」
ケイは淡々とそう言うけれど、言葉の端々に何か重いものを感じさせるような素振りを見せる。何か言えたらとは思うけれど、僕はそこまで出来た人間ではなかった。ただ俯いて異臭を放つ泥を見つめるしかできない。
下手に慰めて何も分からないのに傷つけてしまう方が恐ろしいと思った。
2
二階の探索はあまり良い結果を見つける事は出来なかった。日記の一つでもあればと思ったけれどそんな都合よく情報は落ちていない。
「パソコンがない」
少し経ってからケイが言った。
「持っていない、とか?」
「印刷機器はあるのにパソコンは無いの? 繋ぐコードもあるし、パソコンを一台置くのにちょうどいいスペースがあるわ」
ケイは机の上に手を置きながら続ける。確かに机の窓なりにある小机にプリンターが置かれておりパソコンに繋ぐ優先は机の上に伸びたままだ。
「パソコンを持って逃げたのかも」
「行動範囲が極端に狭いホムンクルスを置いておくかしら……。でも、そうとも考えられるわね」
机の引き出しの中に、目ぼしい物は無かった。
それでも少ない本棚にケイの興味をそそられる物があったのだろう。
彼女はまるで家主のようにその本を抜き出すと、持参したバックへしまっていく。あまりにも堂々とそんな事をしているが盗用で犯罪行為だ。
咎めようとした僕に彼女は未来を先に見ていたのだろう。キッと僕を睨みつけながら本を仕舞う。
「それは泥棒だよ」
「見つかりもしない家主と口もきけないホムンクルスに了承を得るべきかしら? それとも犯罪行為だとするなら、あなたは不法侵入及び強盗のそれね」
僕がそんなに憎いのだろうかと思わせる程、彼女は攻撃的にそう言いつけると五冊目の本に手を伸ばした。先程までの穏やかな彼女とはまるで違う、その豹変ぶりに僕は何も言い返せなかった。
ケイはペラペラと紙を捲っていたが、ふと動きを止める。
「どうしたの?」
僕は尋ねながら恐る恐る覗き込む。どうやら厚めの本はアルバムらしい。ホムンクルスに酷似した女性と優しい顔をした男性の写真があった。
アルバムは何度も見られていたのか、それとも扱いが乱雑だったのか表紙は汚れ写真には指紋が幾つも見えた。汚れたアルバムは覗いて、写真はとても幸せそうなものに見える。
お腹には赤ん坊もいたのだろう。腹の大きい女性の写真の下には妊娠六ヶ月目とその幸せが綴られていた。けれど、そのアルバムは途中から白紙になっていた。
ヒラリと、アルバムから紙が落ち拾い上げれば「魔女紹介」という名刺である。後ろには乱雑な、筆記体にも思える字体で金額と指定場所、そしてホムンクルス、そう書かれていた。
「君たちに相談したわけか」
「紹介したのは意地の悪い魔女でね。『どうせ出来ないだろう』とバカにしながらホムンクルスを教えたの。私はそれの尻ぬぐいに来た」
「その魔女は?」
「今は謹慎処分中。こんな状況では、追加処分があるでしょうね」
きっと連絡しているのだろう。携帯電話を弄りながらケイは答える。あまりにも真面目に文章を打ち込んでいるからだろうか話さなくても良い事を話しているように感じた。
3
アルバムと名刺を写真に収めながらケイは他に資料がないか再び机の中を探る。
手持ち無沙汰な僕は、それでも彼女の仕事を手伝っていると形だけは見せたく本棚を探る。一体何が情報となるか分からない。
本棚を探りながら僕は頭痛を感じていた。先程まではなかったのに頭の中がジクジクと痛む。声に出す程でも寝なければいけないという訳でもないが、頭が重く感じるのはとても不快だった。
きっとこの異様さに、体調不良を起こすという事で体が拒絶反応を見せ始めたのだろう。この頭痛を少しでも忘れる為に、僕はケイの嫌う無意味なお喋りをする。
「封印をあと一箇所、壊せばいいんだね」
「そう。だけど、言った通り厄介な魔法も加わっているから私がやる。あなたは帰る事だけを考えて」
「また、さっきと同じ魔法なのかな……」
「そうでしょうね。『壊されないようにする』というのが第一の目的でしょうから。どうせ部屋の中に入ったら作用されるんだからそこまで心配しなくてもいいわ」
ケイが言い終わる前に、ふと楽し気な声が聞こえた。
この家に入って来て声というものは僕とケイ以外聞いたことがない。僕は反射的に声の主を探した。ホムンクルスも数が減っているのか姿が見えない。もし、ここに僕と同じように迷い込んだ人がいるのならば助けてあげるのが道理だろう。
ケイといえば携帯を弄ったまま微動だにしないし恐らくその声には気が付いていない。
「ケイ。声が聞こえる、多分僕みたいに迷い込んだ人がいるんだと思う」
「そう」
ケイは冷ややかにそう言うけれど、動こうとしない。
二分、いや四分経っただろうか。痺れを切らした僕は、せめて廊下だけでも見ようと歩きだした。
ココにいるのは大抵泥であり、攻撃的にも見えなければ動くだけでもその四肢を壊してしまう脆い物である。だから、そこまで怯える事は決してない。けれど、今年の夏、あの忌ま忌ましい経験した僕は、どうしても警戒せずにはいられない。
そっと頭だけ出して、廊下を確認する。
泥も声の主もいない。フローリングに泥が無いのは、きっと他のホムンクルスが掃除をしているからだろう。
ケイの所に戻ろうとした時階段を下りる少女の姿が見えた。黄色いシャツにジーパンのその少女は、老婆のような白い髪をしていた。少女はホムンクルスでも見たのだろう、今にも泣きだしそうな顔で走って行く。きっと階段を使ったのだ、足音はパタパタと遠ざかっていく。
「あの!」
僕は反射的に彼女を追いかけた。
この騒ぎならさすがにケイも気が付くだろう。そんな気持ちのままそうして階段を駆け下りていく。
4
ペタペタと聞こえる足音からするに彼女はきっと裸足だ。チラリと見えた容姿、そしてこの足音に嫌な予感がしてたまらない。
ホムンクルスが一体も見えない事を良い事に僕は彼女の後を追って行く。といっても彼女は相当足が速いのか一向にその背中を見る事も叶わない。
階段を下りて廊下を走り、そして階段を再び下りる。
一階から下りれば、それは地下室と呼称する場所だった。
フローリングだった床が石畳に変わり、埃の無かった家が地下室だけはこうも埃が積もっている。
一番近くにあった扉を細心の注意を払いながら開けるが、中は誰もいない。
この部屋は太陽光すら差し込まない。
窓には全て遮光カーテンが閉められていた。そのカーテンの前には棚が置かれ、何が何でも暗さを保持したいという気持ちが見えた。女性が使うような家具はどれも埃が積もっていて使われた形跡はない。
安心したくて窓に近寄り棚によって隠れきれてない遮光カーテンを少しだけ捲る。それだけで日光が差し込んできた。背伸びをして外を見る。ここは地下なのか僕の目線で丁度地面と人の足が見えた。
人の足――……。
それは、もしかしたらホムンクルスかもしれない。けれど、履き潰された白いスポーツシューズには見覚えがある。どうにか上を見ようと体制を変えて再度覗き込もうとし――……僕はギクリと動きを止めた。
この部屋、そして僕のこの行動一つ一つに覚えがある。あの白いスポーツシューズは、あの持ち主、そしてあの足の本人。
頭が、心臓が、それ以上考えたくないと悲鳴を上げた。頭痛がより一層強くなり、心臓はバクバクと五月蠅くなり続ける。
咄嗟に逃げ出そうとする僕の前に、扉を静かに閉める人が居る。
白髪で赤い目をした少女。
悲鳴を上げなかったのは、あまりの恐怖と驚愕に声が出なかったからだ。
「外は危ないのよ。マリアと一緒にいよ?」
今年の夏。忌ま忌ましいあの事件。僕は頭を抑える。頭痛は強くなり続け、もはや頭が割れてしまいそうだった。
幾度となるカウンセリングで僕はあの事を少しずつ忘れていった筈だ。悪夢も見なくなったし、暗所が怖いと思う事も少なくなった。忘れる努力をしていた僕を現実はこうも嘲笑う。
僕の目前で、死んだ筈のマリアが微笑んでいた。