第六章 少年と彼女
1
この家はどこも掃除され生活感こそあるが、いるのはホムンクルスと呼称する女性ばかりだった。どの女性も同じような服を着、同じ顔で、髪形で、顔をプリントし貼り付けたような表情でここに存在している。
そんな彼女たちをケイは同じく無表情のまま撃ち殺していく。
実弾ではないBB弾のそれは彼女の頭、額、あるいは胸を貫通し、泥に変えていく。まるで僕らが強盗になったような感覚だ。
ホムンクルスたちは何も表情を見せないまま泥になった自分そっくりの『ソレ』を掃除している。その様子を見、こちらに敵意はないのだと気が付いたのはこの家に侵入して数十分もたったころだ。
人糞と血液で汚れたフローリングを彼女たちは雑巾で、モップで各々どこからか持ってきて黙々と掃除をする。まるで僕らが見えないかのように一心に手を動かしている様はなんだかとても哀れに思えた。
「作った人は、どこにいるんだろうね」
「分からない」
ドラマや映画で見る、警官や特殊部隊の突撃よろしくケイも部屋の扉を右手でそっと開け、そして素早く銃を構えて入り口に立つ。少し扉を開けた時点で、麻痺した筈の鼻が再び異臭を察知した。
ケイは少しも表情を変えず、その部屋を素早く目視しする。ホムンクルスがいないのを確認するとそこでようやく後ろで待機していた僕を呼ぶ。
呼ばれた僕は、出来る限り音を立てないようにしながら彼女に駆け寄る。
何か一つでも力になれたらとは思うけれど、家具を勝手に持ち出しホムンクルスの怒りを買ってはならないとケイに厳しく言われてしまった。
「どこにいるのか分からないけれど、やってはいけない事だと自覚はあるみたい。……それとも、この家から出したくないのかしら。ホムンクルスを制御する為の結界がある」
見て、と指さす方向にはフローリングに書かれた白いチョークの魔法陣と黒い靄を出すフラスコ、そしてフラスコに血を注ぐ為の不思議な機械が置かれている。この強烈な異臭はこのフラスコからするようだった。
ポタリポタリとフラスコに垂れ落ちる血液。
透明なチューブが垂らされており、まるでフラスコへの点滴のようだった。それに加えて異様なのは、他の部屋と比べてここの部屋はなんだか熱が籠もっている。
「結構オリジナル要素が強いけれど、あれがホムンクルスを作る装置。毎日人間の血液を与えながら、馬の胎内と同じ温度で保温しなければいけないから。本来ホムンクルスはとても小さい人間が仕上がる筈。……なのに、ここにいるのは、成人女性。それが、何体も作れる事が出来るのだから、相当な技術と時間、血液となる犠牲がいる。どうしてこんな事出来るんだろう。あの人はそこまで上手じゃなかった。奥さんが亡くなってから確かに異様なくらいに熱心だったけど、色々足りなかったから」
独り言なのだろう。ケイは早口に呟きながら吸い込まれるようにフラスコに近寄った。
ふと、フラスコが吐く煙の量を上げた。
それに呼応するかのように床に広がる模様が赤く染まりあがる。紙に水を垂らした水が一気に紙に染み込み色を変質させる。そんな事思い出させた。
『ホタル』
女でもない、男でもない声が聞こえた。今にも消えそうな声が『ホタル、ホタル』と静かに連呼する。ホタル、というやや不明瞭な発音に僕は自国の言葉ではないとすぐ理解した。
2
いまいちピンとこない僕の代わりにホタル、という音に反応したのはケイだった。
彼女は初めて表情を変えた。きりっとしていた顔からは血の失せていき、眉は八の字に下がり、瞳は恐怖で開かれる。
「オジサン」
僕には意味の分からない言葉を彼女は呟く。白いチョークで描かれた魔法陣がフラスコの呼応で赤くなったが、今度はケイの足元から赤から黒に変色していく。
ケイを魔法陣からどかさなければ、と思う前に煙を吐き続けるフラスコからベタリと泥が這い出てきた。それはモゾモゾと動きまるで生きているかのように身をくねらせている。
黒い泥はゆっくりと形を変え、高く積もりあがり、そして僕の身長より大きくなると、足元から次第に色を、形を整え始めた。
僕にとって、それは数分の、数時間の感覚ではあったが動けないケイを見ると数秒しかたっていないのだろう。
その間にも泥は形を変え、整え、そして白衣の男性に変わった。癖のある黒髪に、黒い瞳、無精髭。……日本人だろうか。細身の男性が、そこに立っていた。
『ホタル。ドウシタンダ?』
僕には分からない言語で、泥で出来た男性は言う。
まだ泥が固まり切っていないのかケイへと伸ばされた手は、ボタボタと悪臭を放つ泥を落としていく。ケイはそれを振り払おうとも逃げる様子も見せず、ただ恐怖に固まりながらその手を凝視していた。
『ドウシテ、オレヲ、ミテイル?』
泥が再びそう言うと、突然その足元から真っ黒に染まりあがった。
泥のような色ではない。まるで、燃えていくかのように色鮮やかな赤から黒い焦げた色が足元から頭へと伸びていく。その急激な色の変化にヒッと声を上げたのは決して僕ではなかった。
同じように不明瞭な言語。それでいて悲鳴のようにケイは何かを叫ぶと、容赦なくその泥とフラスコを狙撃した。
撃たれた男は何一つ抵抗も見せずに、ただただ満足げにケイを見つめ口元には笑みさえ残しながら泥に還った。割られたフラスコは、中身を四散させ、そして瞬きをする間もなく魔法陣も跡形もなく消え去っていく。
その一連の出来事は、本当に一瞬のような出来事だった。
ケイは息を荒らげたまま銃をしまうよりも先にへなへなと脱力しその場に座り込んでしまった。
「ケイ……」
座り込んだケイは頭を垂れたまま動こうとしない。震えている手からはBB弾が詰まっていた銃がカシャンと落ちた。
床は泥とケイは撃ったBB弾で溢れかえり、汚れている。僕は傷心の魔女に何も告げる事が出来ずただただ見つめていただけだった。
3
「フラスコを守るための防衛策。記憶と想いから出来上がる幻覚」
何も書かれていない床を撫でながらケイはそう言ったのは、少し経ってからだった。
「あの人はね。私のおじさん。……夏、私たちを助けてくれた白髪のお兄さんを覚えている?」
ケイの突然の問いかけに僕は頷いた。
今年の夏、あの出来事で僕を助ける為に銃を使った眼帯をした白髪の男性。普段は冷たいケイが頼もしいから連れてくるといっていた人……。そういえば、先程の泥で出来た男性を雰囲気が似ているように思えた。
「さっきの泥は、そのお兄さんの親。だから私のおじさん。強盗にあって刺されて死んで放火までされたヒト。私は、あの人の葬儀で焼死体を見た」
それはきっと思い出したくない過去なのだろう。ポツリポツリと呟くケイは今にも潰されてしまいそうだった。
「夜、黒い猫が棺桶の前から動かなくて……。きっと最後の別れを言いたいんだなって思った。別れを告げる為に棺桶には顔を見る為の小さな扉があるの。私はそれを開けた。翌日は火葬だから遺体もまだそのままだった。……昼には、昼見た時には顔の部分に写真があった。それくらい遺体は酷い状態になってたから気を使ってくれたのだと思う。でも、夜にはその写真はなかった。……焼死体を見てから、よく覚えてない。どうして見てしまったんだろう、とか、猫が何をしたかったのか分かれば良かったなんて、責任転嫁をずっとしてた。そうしたら、次第に先の事が見え始めたし猫が何を言っているのかも分かり始めた。皆異常って言ったけど、私は勝手な事をした罰だって思ってた」
――先の事が視え始めた。
その言葉を聞いて僕は今まで見てきた彼女の食いつくような言動にようやく合点が付いた。僕の言葉を最後まで聞かずに答えられるのも、呼ばれる前に反応出来たのも先を見ていたからだと。そうして、祖母の猫が親しげに彼女の元に来るのも……。
「だから、魔女の組合に入ったの?」
ケイは小さく頷く。
そうして僕に喋ってしまった事を後悔し始めたのだろう。
先程まで恐怖に揺れていた瞳は再びあの殺気だった緑色に戻っていく。目を細めて床を睨み、再び銃を握る手は力を籠めすぎているのだろう色を白に変えていた。
「無関係な話だったわ」
僕の思考を肯定するかのように彼女は言い捨てると立ち上がる。泣いていたのだろう、袖で乱暴に涙を拭くと、魔法陣を消す為に床を二度程踏みつけた。
「消えた魔法陣はフラスコを守る為の罠。この魔法陣を踏んだ者の一番心にある死んだ人をホムンクルスにする。私の場合はおじさんだった。最低の罠」
そうして今度はフラスコを銃で指し示す。
「おそらくここにいるホムンクルス、形は大きいけれど動ける範囲はとても狭い。たぶんこの家が限界。ここから反対方向、同じような魔法陣とフラスコがある。それらを繋ぐ直線のその狭い範囲でホムンクルスは動く事が出来る。ただ、形を維持するにはいろいろ足りないようね。少し動くだけでも泥に代わるようだから。依頼はすぐ終わるわ。あなたもすぐ帰る事が出来る」
あなたはフラスコには近寄らないで。と、ケイは付け加えると大股で部屋を出て行った。