閑話休題
1
黒猫が、金色の目を輝かせて私に問いかける。
その猫は悲しそうにも怒っているようにも思えた。いくら手で払っても逃げようとはしない。最後のお別れでもしたいのか、そう思って私は棺の蓋を開ける。
その遺体の顔は、本来写真で隠されていた。それがどうして今外されているのか、幼い私には分からなかった。
――その顔は、体は……。
吸血鬼がいると依頼されてこうして来たけれど、まさかこんなに聞き込みが必要だとは思わなかった。それにココの人達は、私に依頼したにもかかわらずとても非協力的である。
この村には外部に漏らしたくない事が共通して存在する。
それは昔の事で尚且つ特定の人、もしくは祖父母と一緒に暮らしている人のみにしか伝えられていない。ココに越して来た人はまず理由さえも教えて貰えず、そして気味が悪いとまた村を出ていく。
私に依頼をしたくせにここの連中はそれが何かすら教えてくれない。
『話をしても無駄だ』
息子が行方不明になって尚、この人たちは沈黙を守る。いや、この人たちも教えて貰っていないのだろうか。
「どうして」
「話をしても無駄だ」
思わず漏れた私の声に、神経質な声が返ってくる。
『何もないと言っているだろう』
答えは分かっているけれど、やはりどうしても口が動いてしまう。いや、口を動かすから視えるこの結果なのだろう。
「何故?」
「何もないと言っているだろう」
「教えて貰わないと解決は出来ません」
大方の人は私の話し方が気にくわないとすぐに腹を立てる。
『大丈夫なの? 危ないわ』
気を付けてはいるけれど、声は同じなのだから仕方がない。
「大丈夫なの。危ないわ」
「いいです。私、行ってきます」
『でも、女の子よね』
「でも、女の子よね」
「呼んだのはあなたたちです」
私はこの五月蠅すぎる空間から逃げ出した。
声が、動きが、気配が全て五月蠅い。視たくもないのにこの両目が視てしまう。
森に入ろうとし、ズリズリと何かを引きずる音に私は身を隠した。この音が本来なるのはもう少し先だけれど、身の安全の確保が大事だ。
そして規定通り、その音は聞こえ。少年を引きずる大柄な男の姿があった。巨体、低身長ではあるが結構な肥満だ。息を荒げ少年を背負い、ようやっとといった具合で柵を乗り越え森の中に消えていく。あの少年は確かロイといったか、私の忠告を聞かなかったのだろう。
「吸血鬼、にしてはイメージがだいぶ違うけど」
吸血鬼避けとしてつけてきたバラのヘアアクセサリーも十字架のネックレスも、もしかしたら必要ないかもしれない。そう思いながら私は後を追った。
2
気付かれないように細心の注意を払いながら吸血鬼(には決して見えない)を追いかける事数十分。川を越えた辺りで漸く目的の場所が見えた。
家にしてはとても豪華だが、屋敷としてはやや小さい。石造りの簡素な家がそこにはあった。一見ボロで荒れているようには見える。が、玄関だろう扉の前には申し訳程度に植木鉢が置かれている。
私は許可が無いと入れない吸血鬼ではない、堂々とその正面から入る事が出来る。ただ、招かれてはいないから玄関からは入れない。
手が、ベルトに挟んだ銃に触れる。借り物という事もあるが、出来れば使いたくはない。人の死は恐ろしい、しかもそれが予期せぬものならば猶更。
どこから入ろうか周囲を警戒しうろついていると、幾つかある窓のうちの1つ厚いカーテンが風に揺れているのに気が付いた。どうやら窓が開いているようだ。
周囲を警戒しながら中に入る。部屋の中は薄暗く、今の所音はしない。
棚、本棚、本には厚い埃が積もっている辺り益々私の中で存在する吸血鬼のイメージから遠のいていく。ただたんに私が、ファンタジー小説の読み過ぎかもしれないけれど。
そっと扉から廊下を覗けば、右奥に階段が見えた。上ってもいいけれど鉢合わせになるのは避けたい。悩んでいると左手側から物音が聞こえた。ノシノシと体重のある歩き方は多分あの吸血鬼まがいの男だ。
銃を抜き、扉のすぐ後ろに隠れる。この部屋に入ったら、すぐに私が出ればいい、それでも危なくなってしまったら……。けれど、足音は私を通過して遠のき、地下があるのだろう。階段を使う音が聞こえた。
深呼吸をする。まるでかくれんぼか鬼ゴッコだ。笑えたものではない。それでいて攫われた二人も助けなければいけないのだから、益々難しい。
この部屋にあるのはとても古い手製のようだ。そろそろと廊下を抜けて耳を澄ませる。先程とは違う足音が聞こえる。それに、すぐに見える景色にはあの傲慢で忠告を聞かないニックと呼ばれた男性が来る筈だ。
彼は無謀ともいえる勇敢さで森には入ったが、きっとすぐ彼に捕まったのだろう。その証拠に、彼の格好はボロボロで不安に揺れた瞳が私をとらえてさっと恐怖に変わった。
「あなたを探しに来た。逃げて」
私の一言に彼は恐怖から怒りに表情を変える。大股でこちらに来て胸倉を掴んでくるあたり、まだ元気はあるようだ。今に至るまで一睡も出来なかったのだろう、血走らせた目がギョロリと動いている。
「てめぇがもっと早くどうにかしてればよかったんだ」
「どうにかってどうすればよかったの? 手がかりである日記も見せない、忠告すら聞いてくれなかった」
事実を伝えればニック項垂れて私を掴む手を放した。怒鳴る元気はあるが、相当疲れていたのか手に力は込められていなかった。
お蔭で息が詰まる事は無かったし、痛くも何ともない。ただお気に入りのリボンがクシャクシャになってしまったけれど。
「アレは何なんだ。これからどうすればいい?」
「まだ分からないけど、何かしたいなら逃げて。私はあなたの友達を助けなくちゃいけない」
ニックは顔を青ざめる、よくもまぁこんなにコロコロと表情を変えられるものだ。私は彼を見習った方がいいかもしれない。
「ロイが……。こいつら、死体を保存してるんだ。俺は見たんだ……血を吸うためか? 冷凍保存してあった。俺もあぁなるのか?」
「断言は出来ないけど、生かされはしないと思う。だから先に逃げて。今度こそ私の言う事を聞いてくれる?」
ニックは小さく頷いた。当然か、ここで駄々をこねても状況は悪化するばかりだから。呆然とする彼の手を引き先程入ってきた窓の開いた部屋に案内する。彼がのそのそと緩慢な動作で出て行くのを確認してから私は再度屋敷の中に入った。
3
「冷凍保存された死体、ね」
そう呟きながら、今度は違う部屋に入る。冷凍保存された死体がある、もしそれが儀式として使われるのならば私を呼んで正解だったかもしれない。
入った部屋は食堂だろうか、冷蔵庫こそなかったけれど台所と思わしき空間だった。右側の壁には流し、ガスコンロ、それに置かれた鍋がある。けれど、こうして違和感を持たせるのは部屋の中央に置かれた大きな木製のテーブルに置かれたものだった。金づち、杭、そしてのこぎりが置かれ、どれも汚く錆びている。
ガスコンロの上に置かれた、大きくもない鍋もやはり扱いは乱雑なのだろう、底は真っ黒く焦げている。鍋に手を近づければ、まだほんのりと暖かい。何を温めていたのだろうと蓋を開ければ悪臭が鼻腔をついた。
赤。
鍋の中には赤いスープが入っている。そこに大小様々に浮いているのは決して美味しい物ではない。爪さえも剥がされていない数本の人の指が具材として鍋に放り込まれていた。他に浮いているのは、舌だろうか。
眩暈に、嫌悪にクラクラしながら蓋を閉める。
「いつの間に、吸血鬼は手の込んだ料理をするようになったの?」
冗談を言うのは気を紛らわせる為だ。人肉を見て吐きをしないのは既にこの光景を『視ている』。
改めてこの力をありがたいと思えた。死体は儀式ではない、食べる為だ。ゴミ箱を覗けば肉をそぎ落とされた骨が転がっている。
――……一番怖いのは人間よね。
昔、母が葬式で呟いた言葉がフラッシュバックした。鯨幕が目を疲れさせる中、ふと聞こえたのがその冷たい言葉だった。
まだ包帯の取れない従兄弟は、憎悪を孕んだ緑色の目で葬儀に犯人が来ていないか見定めている。嫌な記憶だ、思い出したくもない。首を振って私は今の事に専念する。冷凍保存された死体を確認しなければいけない、きっとあるのは地下だろう。
通路を戻っていると、人影が見えた。白い、老婆のような髪色に心臓が痛くなる。けれど、そこにいたのは痩せこけた少女だった。少女はこの暗闇のせいだろう、壁に手をつきながらフラフラと歩いている。
大丈夫、と私が声をかける前に、その少女は壁に飾られていた肖像画を見上げた。その顔に恐怖の色は見えない。血を吸ったような赤い瞳が、やけに気になった。
声をかけるのはまだよそう。彼女に見つからないように後ろの階段を使う。
「外は危ないのよ。マリアと一緒にいよ?」
声が聞こえて私は足を止めた。身を隠しながらも声の主は先程の白髪の少女だろうと検討する。そろそろと階段を下りて様子を窺う。
「僕の他にも人がいるんだ」
「そうなの? マリアは今起きたから分かんなかった」
「ここは危ないよ。君は逃げないの?」
「守ってくれるよ」
もう一つ聞こえる声に私は聞き覚えがある。先程、携帯を見せてくれた後あの肥満児に連れていかれた少年。ロイ、で間違いないと思う。けれど、会話は悲鳴でかき消された。
二人の視線の先にはあの肥満の男がいる。見つかったのだろう。ロイは泣きそうな顔でこちらに向かって走ってくる、それを追いかけて男もドタドタと足音を鳴らしながら追いかける。
私は二階に駆け上がる。真ん中の部屋に入り、そして少し遅れてやって来たロイの腕を強引に引っ張った。
4
誰に問うでもない陽気な声が段々と近くなってくる。銃を使う準備は出来ている、いつでも引き金を引ける。けれど、足音は階段を使い下に降りて行ったようだった。
情けなく腰を抜かしているロイに出来る限り優しく「もう大丈夫」と立たせてあげても、彼は恐怖に顔を強張らせたまま、私が持つ銃ばかりを見ている。
「これは護身用。従兄弟がくれたの。発砲許可は貰ってる。あれは吸血鬼じゃないけど、危険なのに変わりはないから」
「やっぱり殺人鬼、だよね」
「殺人鬼じゃなくて。食人鬼、かな。鍋の中にあったから」
「怖くないの?」
いちいち聞いてくるあたり、元気になったのだろう。流石に鬱陶しく思える。
「驚きはした。それより怖い物は見てるし」
出来るだけ会話を短く切りながら私は本棚の本を調べる。
何かの詩集だろうか。厚めの本にはリアルで可愛げのない白黒の挿絵がのっている。本の間には古い写真がしおりの代わりに挟めてあった。
スカートを穿いている被写体が一人……女性だ。ただ、被写体の顔はズタズタに裂かれており顔は全く分からない。それでもやけに肌は白く思えた。
写真の裏を見れば約九十年前の日付が記載されている。この被写体はきっと先程の日記の持ち主でありアルビノの女性だろう。九十年前まだ偏見や差別は強い、いや今もだろうか。
考えている私を他所に、逃げる気配も、協力する気も無い質問好きの少年が執拗に話を持ち掛けてくる。適当に名乗れば彼は微笑んで礼を言うあたり、ちょろい、お人好しの男だなと思った。
こんな状況でどうして本名を言う必要があるのだろうか、多分そんな事も考えないだろう。これはビジネスの関係だ。それでいて何も出来ないのに紳士ぶるから余計に疲れてくる。こうして聞こえる悲鳴にも、反射的に走り出そうとするのだから益々。
「罠かもしれない。私がここを出て二分たったら逃げて」
私は銃を抜くと廊下を走り出した。時計も無いのに指定の時間を待て、というのは厳しかっただろうか。
駆けつけると、あの肥満の男がニックを殴っていた。執拗に腹を殴りながらそれでいて笑っている。咄嗟に近くへ転がっていた花瓶を掴む。私と、彼らと逆の方向に投げて注意を引けば、案の定、男はハッとした顔で音の方に走っていった。けれど、肝心のニックは私が駆け寄るよりも先に森の中に入っていく。
もう大丈夫だろう。私は近くの部屋に入り扉を閉めた。他の部屋とは違い、鍵がかけられるようで、そっと後手で鍵をかける。
誰かの寝室だろうか。ベッドに机。その机の上に本が数冊。どれも汚れて今にも本のページが割れてしまいそうだ。
そんなに時間はかけていられない。後ろから流し読みをしているが、それはあまりにも簡単だった。
『彼との子は私が守らなくちゃいけないけど、でも、どうしても彼を一目見たい』
『私の髪は白く、目は血のように赤い。私の肌は太陽を嫌い、外に出れば焼けてしまう。それこそ吸血鬼のように』
『私が何をしたの?』
白髪、赤目の女性は子供を産んでいる。村人に恐怖の対象とおいやられ、家族を殺され村に恋人と一緒に逃げ込んでいる。彼を一目見たい、そんな文章が終わっているところを見るとどうやら捕まって二度とここには戻れなかったようだ。
髪が白く目が赤い、私はそれが何故かを知っている。あの少女を見て1つ仮定をたてていた。
ガタンと、背後で物音がし、それと同時に男が襲い掛かってきた。
5
音がして、男が私に襲い掛かってくるのも私は既に視っている。だから、銃を抜いてその足に発砲するのは簡単に出来たし彼がこちらに向かって倒れる場所も分かっていた。
案の定男は床に倒れて、それでも尚私に向かって支離滅裂に罵倒の言葉を繰り返す。発砲音もあるけれど、あの男を呼ばれても適わない。
私は日記を持ち去り部屋に鍵をかけ素早く廊下に出て二つ隣の部屋に逃げ込む。
逃げ込んだ先で日記を見れば、村を追いだされた女性の恋人が書いたのだろう。彼女が火炙りにされた後の恐ろしい出来事が書き殴られていた。近親婚、食人。消えない復讐心は潰れたペン先から伝わってくる。
ここに居るのは、吸血鬼ではない。人が人を追い詰めた結果、復讐に巣くわれた殺人鬼だ。
連絡を、助けを呼ばなければならない。
これは私の管轄外で、彼らは法によって裁かれるべきだ。けれど、私を信じてココに来てくれる人物は、私に銃を貸してくれた彼しか思い浮かばなかった。
震える手で私は電話を繋げた。彼が追い込まれた時助けもせず息の根を止めたのは私。だというのに、こういう時にだけ頼るのはなんて都合の良い話なのだろう。自分に嫌気がさして目を瞑る。
線香の臭い。黒猫。死体。怒りに燃え、幸せな家族に嫉妬狂う緑目の少年。私はあの目がとても怖くて嫌いだった。
嫌な記憶は、どんどん私の中で溢れかえる。
『もしもし?』
「殺人鬼に捕まった……。死体を食べてる人に捕まって、私……」
聞こえた声に私は一瞬言葉に詰まった。そして、助けてとだけ言えばいいものを、ペラペラと現状を伝えてしまう。こうも冷静に説明したら悪戯だと思われるだろうか。場所を告げるまで従兄弟は一言も言葉を発しない。
『怪我は?』
私がようやく話を止めると、緊張した声が返ってくる。声量を下げているのは、犯人に私が電話を話していることを気取られないためか。
「私はない。けど、他に二人、捕まってる。犯人は三人。……多分、行方不明者事件に関連してると思う」
震える声で言葉を探る。この人だけ言葉は重複されない。それは、当然か私がこうなってしまったのは彼と彼の父親のせいである。
『分かった、すぐに向かう。……おかしな質問だと思うが、それは人の形をしていたか?』
不意に投げかけられた質問に全身の血が引いた。彼は私の仕事を知っているのだろうか。
「し、してない。人間。ただお兄さんと同じ髪色で……赤い目もしてる」
『分かった。それ以上深入りはするな。出来れば安全な場所にいてくれ。チームと一緒にヘリで向かう。両親には……』
悲鳴が聞こえた。
私の名前を呼ぶ従兄弟を無視し、私は携帯の通話を切る。心臓が止まりそうな程にバクバクと鳴り、足が竦むのは、あの悲鳴ではなさそうだ。
携帯をしまって、代わりに銃を抜く。
女性(おそらく白髪の少女。部屋の閉じ込めた男の娘だろう)の悲鳴に反応したのか、部屋に閉じ込めた男が暴れだしたようだ。ドアに体当たりする音が響く。それでいてオウオウともう一つ声が聞こえるのだからあの肥満男もパニックになったのだろう。
視界の隅で白髪の少女が泣きながら部屋に入り、壁にかかった布をめくって隠された扉の先に走っていく。
閉じ込めた男、肥満の男、そして白髪の少女は吸血鬼と追い出された女性の末裔だ。そして、人を襲っているのは食べる為と、――……きっと復讐もあるのだろう。
誰一人として教えてくれない人たちの顔を思い出しながら、少し遅れて部屋に入ってくる少年に尋ねた。
「逃げないの?」