3,月の輝きの下で
「霧島 彩乃」という人間は不器用な人間である。
特に「不慣れ」というものにとことん弱い。
慣れるまでの時間が人の2倍以上かかってしまうということなどざらにある。
さて、では見知らぬ土地で一晩で過ごすというのはどうだろうか。
パニックになるか?
答えは否である。
彼女にとってこれはある意味日常の一つだ。
ふらっとどこかに行き、朝方にふらっと帰る。彼女の日常はこのように過ぎていっていたのである。
だから今回も彼女はそう心配などしていない。
◆
私は最初にいた噴水の裏の森へと入っていっていた。
しばらく歩き回ることも考えたが、変な動物とか出てこられたらたまったものじゃない。
そう思い付いた私はどこか目に付きにくい所を探して寝ることにした。
何が出てくるか分かるのに寝るの?等と野暮な事を言う人はここには居ない。
私はこの少しの優越感に喜びを感じていた。
つくづく器の小さい女だと自分でも思う。
しばらく進むと木々に囲まれた窪地を見つけた。
うん。今日はここにしよう。
だが、地べたにそのまま眠るのは少し寂しい気もする。
これだけ木があるのだ。少しくらい枝葉をもらっても別にいいよね。
そう思い辺りを探してみるが、適当な物が見つからない。
それどころか落ち葉すら見つからない。
これは明らかに誰かの手によって手入れされている。
伊達に田舎暮らしは短くない。
自然のままか、手入れされているかくらい一目で分かる。
入ったらだめだったか?
いやまあ、一晩くらいならいいだろう。
そう思いちょっと低めの場所に生えている枝を探す。
だが、それもない。
本当によく手入れされている。
早くしないと日が暮れて暗くなる。
仕方ない、運動不足のこの体では少し危険だが、ジャンプして折るしかないか。
そう思い一番低い枝を選び、構える。
そして地面思いっきり蹴りあげた瞬間・・・。
ゴッ!!!
私は狙っていた枝に思いっきり頭を打った。
痛い・・・うん?頭を打った・・・?
いやいやいやそんな馬鹿な。
だって私の見立てでは、全力でジャンプして届くかどうかだもしかして重力弱くなった?
いや体にかかる重さに変わった様子はない。
だったら・・・?
私は少し開けた場所に移動した。
そして今一度思いっきりジャンプしてみる。
重心を低く構えて。
思いっきり蹴りあげる。
跳んだ。
・・・4メートルくらい。
周辺の木何て軽く飛び越えたよ。
って!!ヤバい!着地!!
自分の身長くらいの高さからだって跳んだことないのだ。
いやそもそもそんな状況に陥ることなどまずない。
が・・・。
ストン
「・・・・・・・」
あれこれ余計な事を考えてる間に着地した。
それも大層スマートに。
もう本当に何が何だかよくわからなくなってきた。
一体自分の体はどうなったというのだ?
さっきの猫化といいこれといい・・・。
・・・ん?待てよ?猫・・・?
そういえば聞いたことがある。
猫は自分の体高の約5倍の高さを飛ぶとか・・・。
もしかして、今のこの状態でも猫の身体能力の恩恵を受けてるってこと?
いやまさかそんな・・・。
いや待てよ。
そういえば猫化したとき、思考がはっきりしてた。人間のこの状態と変わらず。
それに目。
猫って確か色を識別は出来なかったはずだ。
でもあの時はしっかり見えた。
だとするなら・・・・。
私は何の前触れもなく走り出した。
(もしその予想が正しいなら走る早さも・・・って!待って待って!!ヤバい!!)
勢いよく走り出したはいいものの、足が絡まり盛大に転けた。
(痛い・・・。でもこれはもう確定かな・・・)
転けた理由は分かっている。
自分の予想した早さを上回っていたため、焦って足が絡まったのだ。
猫は短距離だと短距離の世界記録保持者より早いと聞いたことがある。
体重の重さと相まってそこまで早くないにしろ、明らかに私の今までのスピードを優に上回っていた
だからこその確信。
(猫の身体能力か・・・)
人間に猫の身体能力を当てはめた場合、ここまで身体能力が上がるとは流石に思ってなかったが。
でも……。
(悪くない)
私はそっとほくそ笑む。
この分だと「夜目」も期待出来そうだ。
素の人間の時にから既に夜間の活動が多い私にとって、この展開は非常に好都合だ。
今から日が暮れるのを待って試すのもいいが、流石に疲れた。
今日は本当に驚かされてばかりだ。
ささっと、今度は距離を間違えないよう飛んで枝を折り、先ほど見つけた今日の寝床に戻るとしよう。
◆
ある程度の寝床が完成したところで、ふとあることを思い付いた。
(せっかくだし、猫の状態でねてみようかな~。猫って熟睡しないって聞くし。人間のままだと周囲の警戒が出来ないかもしれないし。)
そう。猫は熟睡せず、回りで起こる振動や音を聞いている。
それは間違っていないのだが、私はこの時大きな見落としをしていた。
それは、環境や状態等の話ではなく、自分自身。私の問題だが。
そんなこと汁ほど考えずいそいそと寝る準備を整えていく。
学校の他の女子生徒と違い化粧の類いを一切していない分、簡単だ。
そして「ポンッ!」と猫の姿になり、体を丸める。
悪くない寝心地。
私は特に何も意識しないで、喉を少しゴロゴロっと鳴らした。
うとうとしながら、ほんの少し回りを警戒しながら。
そして、熟睡。
・・・そう。熟睡。
「あんた。こんなところで何してるの?」
私は、あまりに近くから聞こえた声に「ビクッ!」と跳ね起きる。
気が付くと、目の前に一人の人がたっていた。
声から女性だろうと推測はできるが。
「えっ・・あっ・・その・・え?」
あまりの衝撃に思考が働かない。
「落ち着きな。すぐにどうこうしないよ。」
あっ後から「どうこう」するんだ。
そんなどうでもいいことを考えながら急いで思考を働かせる。
(確か猫になって寝てたよね?)
私は今人間の姿になっていた。
はっといつの間にか自分が「熟睡」していた事に気付く。
どうやら、寝てる間に気を抜いて人間に戻ってしまったらしい。
そう。ここで私はようやく自分の「見落とし」に気付く。
それは他でもない。
「霧島 彩乃」という人間が、不慣れなことにとことん弱い不器用人間だということ。
猫化というこの状況に慣れていないのだから、当然こういう事も考慮に入れておくべきだったのだ。
だがもう遅い。
今ここで述べるべき言い訳も逃れ道も私は持ち合わせていない。
「えっと・・・私はその・・・」
この時私は初めて目の前に立っている女性の顔、全身の姿を視界にとらえた。
「・・・・・!?」
思わず息を飲む。
その女性は私が今まで見てきた人の中で最も美しかった。
同姓の私から見ても、非の打ち所がないほどに。
後ろで束ねた銀髪が、すでに高く登った月に照らされ光輝く。
ポニーテールがこんなに映える人が世の中にいるとは。
引き締まった体。
必要最低限に付けられた防具が、そのスタイルの良さをなお一層際立たせる。
「はあ~・・・。何が出てくるか分からないのに良くこんな所で寝れるね?。とりあえず、こんな所で寝かせては置けない。大人しく付いてきな。」
「え・・。あっ・・・はい・・・。」
私は完全に見とれていた。
思考を完全に停止させるほどに。
くるっと振り向いて歩いて行こうとする彼女に、急いで立ち上がり追いかける。
やはり彼女は不慣れな事にとことん弱い人間だった。