望んだ変化
鼠を追いかけ新緑をかき分ければ白い胞子が空に舞う。
『ひょった(獲った)!!』
いなりは春うららかな空に向かって仕留めた鼠を誇らしげに掲げた。そして、それを食そうと巣穴へとてとてと四本足で歩く。
『ひゃれ、はにかな(あれ、何かな)?』
その道中、まるで桃色の花火のような花を見つけた。春を経験することがほぼ初めてであるいなりにとって、その花の愛らしさは咥えた鼠を落とすほどだった。
いなりはその花を摘むために人型へ変わる。
「白様にあげたら喜ぶかなぁ」
以前自分の宝物を白へ届け続けた癖が抜けず、心惹かれるものを見つけた時は巣穴ではなくいつも白に届けている。
だが、いつも白の反応はあまりよろしくない。きっと趣味が合わないのだろうと最近になっていなりは察した。
「うん、きっとこのお花は喜んでくれるよ!」
鼠が逃げたのにも気づかずいなりは胸を張る。松ぼっくりや蛇の抜け殻と比べても抜きんでて心が和むのが証拠だ。
いなりはぴょんぴょん跳ねながら白のいる森の中の湖へ向かった。
「はい!」
呼び出されてそうそうに花を差し出された。
「撫子、ですか」
「なでしこっていうんですね!」
知らずに摘んできたいなりに視線を向けると、彼女はにこにことしたまま手を白に突き出している。
「私に………ですか?」
「はい!白様にです!」
「そう、ですか。ですが、いなりからはもう十分頂いています。」
白は今までのような木の実や虫とは毛色が違うそれを受け取ることを躊躇した。
「でも、まだいなりがあげたいんです」
「ですが、その花は………」
どういう想いが込められているのですか?そう問おうとして飲み込んだ。勘ぐりすぎなのか、的を得ているのか分からない。
「………嬉しくないですか?」
ワントーン下がった声色で問われる。嬉しくないわけではないが、喜ぶこともできない。それをどう遠回しに伝えることができるだろうか。
「もしかして、」
いなりは差し出した手を引っ込め、俯いた。
「いなりからもらうのが嬉しくないんですか………?」
それは違うとはっきりと理解している。ただ、贈り物に別の意味があった場合、こちらが喜びを表に出すことが適切でないだけだ。そう説明する言葉が出ず、二人の間に沈黙が流れる。そして、その無言をいなりは肯定と捉えた。
「もう、持ってきません……っ、ごめんなさい」
「あ、いなり!」
背を向け駆け出すいなりを呼び止めたが、聞かずに走り去った。
「いなり……、私は………」
白の願いはただ以前の関係に戻ることだ。神として生きるがゆえに誰も必要以上に近づくことはせず頼られるだけの孤独な日々に現れた、母を亡くした子ぎつね。いなりが現れてからはこの春のように日々が鮮やかになった。白はただその日々が愛しいのだ。
―――――――――――――――――――
白はいつもいなりが座っていた岩に腰かけた。若緑であった葉はいつの間にか深緑に変わり、蝉が鳴く。
季節は夏、というには少々遅い八月下旬。最近は夜に涼しい秋風が吹くようになった。
白は岩に腰かけたまま深く息をつく。
いなりが花を摘んだ日から徐々にここへ来ることは減った。最後に会ったのはもう一か月も前のことだ。
何かあったのではと心配になったが、最近追いかけまわされたという鼠から元気だということを聞いた。
「きっと、愛想を尽かされたのですね」
昔のようになりたいと願うくせに、いなりを前にすると身構えてしまう。いなりはきっとそれを察してここへ来ることを止めたのだろう。
「ん?」
風に乗って祠から言霊が届いた。
【龍神様、龍神様。どうか雨をお恵みください】
人間の言葉だ。そういえば、最近雨雲がこの辺りに流れてこないようにしていたのだった。雨が降れば白の待ち人は巣穴から出ようとはしないから。しかし、それでは稲が枯れてしまう。
白は白銀の鯉に姿を変え、湖から上流の滝へ向かう。そして白銀の龍へと姿を変え滝を昇りさらに天を目指した。
白の姿が見えなくなり少しすると、空が曇天に覆われる。その雲から一粒、二粒水滴が落ちれば人間の歓喜の声が天まで聞こえた。
天まできたついでに、久々に地上を見ようと視線を落とす。
(あれは……)
白はなんの変哲もない草原を見下ろした。その緑の敷物には二つの赤黄色の点がある。二匹のアカキツネだ。
(いなり)
そのキツネは少し成長した待ち人であった。その隣にはいなりより体の大きい雄のキツネがいる。
(いなりは………つがいを………)
二匹は雨から逃げようと必死に草原をかける。
その様は白に恋慕の情を抱いていた少女でなく、厳しい自然をたくましく生きる獣であった。