拒絶
ドボンと音を立て、湖面からふきのとうが降りて来た。魚たちが集まりそれを食らおうと突くが口よりも大きく硬いふきのとうは結局無傷のまま湖底に沈み、色石や木の実の山に重なった。
最近毎日色んなものが湖に投げ込まれる。どれも白の興味をそそるものではないが、投げ込んだ本人からすればきっと宝物ばかりだろう。
白はふきのとうがやってきた湖面を見上げた。その湖面には獣の影が映っており、必死に湖底を覗き込もうとしきりに首を動かしている。
しかし、こちらを捉えることはできなかったようでその尖った耳を垂れさせ湖の傍らに突っ伏した。
(早く、諦めてくれればいいのに………)
白はあの日以降いなりを拒絶し続けている。いなりもそれに気づいているはずだが一向に諦める気配は無い。
(もう、今までのようにはできないのですよ)
白は尾で水を薙ぎ、沈んだ大木に身を潜めた。
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(ふきのとうも駄目だった………)
いなりはキツネの姿で雪の上をザクザクと音を立てながら歩く。いつもは月が雪を照らすが、今日は雲に覆われ辺りは真っ暗。明日はきっと雨だ。
いなりは沈んだ気持ちの分だけ俯きながら巣穴に入る。
そして、最近の日課であった宝物の物色を始めようとしたが、すこし前まで木の実や石やらでごった返していたそこはがらんとしている。
(もう、これしかない)
そこにはたった一つだけ、黒く輝く石があった。黒曜石だ。
(かか様の形見……。これなら白様も顔を見せてくれるかな?)
尾が二つあった、優しい母を思い出す。ずっと小さい頃にその母がくれたものだ。いなりの一番の宝物であるが、一番大切な人にならばあげても惜しくはない。
(かか様もきっと分かってくれるよね)
いなりは黒曜石を包み込むように体を丸める。
『かか様………』
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無数の水滴が湖面を叩く。全くもって騒々しいが、白は安堵していた。なぜなら、水が苦手ないなりは雨の日には出歩かないからだ。さすがに今日は一日中湖を眺めることはしないだろう。
(久々に地上に行ってみましょうか)
最近はずっと鯉の姿で湖底でじっとしていたため、体が凝り固まってしまった。できれば日の下で体を伸ばしたかったが仕方がない。
白は冷たい水の中を地上に向かって登って行く。
(?)
その途中、いつものようにドボンと何かが投げ入れられた。
(石?違う、宝石?)
重力に従い落ちてゆくそれを凝視するが、鯉の目では暗くてよく見えない。
(まさか、雨の日にいなりが?)
白は湖面を見上げるが、暗くていなりの影を確認することもできない。
(大事をとって地上に出るのはやめましょう)
いなりを避けるために白は再び湖底に引き返した。
冷たい雨が体の体温を奪ってゆく。濡れるのは大嫌いだが、耳に水が入るのはもっと嫌いだ。いなりは水が入らないように耳を水平に閉じながら黒曜石が落ちて行った湖を見つめる。
『!』
一瞬だが、白いきらきらしたものが見えた。だが、それっきり湖は黒いままだ。
それでも諦めず、湖を見つめ続けた。湖面は雨により無数の波紋を描く。湖だけではない、雨は葉に当たりその音が集まりザーっと音を奏でる。いなりの嫌いな音だ。
そしてそんな騒音の中でも、はっきりとポチャンという音が聞こえた。
『……ふっ、うぅ……ひっく……』
いなりの瞳から落ちる水滴はぽたぽたと湖面にぶつかる。
『もう、なんにも……ないのにぃ……。白さまぁ………、もういなりと会ってくれないの………?』
いつもふわふわな体毛は雨に濡れ、その柔軟さを失っている。嗚咽を漏らす度に白い吐息が空へ昇る。
『もうかか様もいないのにぃ………!い、なりっにはっ、白様しかいないのにっ!!』
いなりは悲痛に吐き出し、湖面に近づくと強く目を瞑った。
(?)
雨の音に混ざって何か聞こえるがはっきりとは聞き取れない。見失ってしまった石か宝石かを探すのを止め、少し湖面に近づいた。
(!!!)
その瞬間だった。いつも投げ込まれるものとは質量の違うものがドボン!と湖に落ち、魚たちが散り散りに逃げ出す。
(あれは、まさか!)
赤黄色のふわふわの毛が水の中で揺らめく。
(いなり!)
白は人型に姿を変え、落ちてくるいなりに両手を伸ばした。
「何を考えているのですか?!」
湖から這い上がり、白はキツネ姿のいなりに叱咤する。
『げほっ………!はく、さま』
「こんな無茶なことを!!」
寒さでがくがく震えるいなりを白は抱き寄せる。そして、数日ぶりのその温もりにいなりはわんわん泣き出した。
『だって!だって白様がっ………!会って、くれないんだもん………!
いなり、あげられるもの全部あげちゃったもんっ、もうなんにも持ってないから、………ひっく、いなりにはずっと白様しかいないからぁ……!』
「いなり………」
『ごめ、なさいっ、ごめんなさい……!もうあんなことしませんからっ、いなりを一人にしないでくださいっ』
白が手のひらで空を撫でると、炎の衣が現れた。それで凍えるいなりを包み込む。
「いなりが誓えるならば、私もいなりの傍にいると約束しましょう」
いなりの行いは到底許されるのもではないが、神としての性だろうか縋りつかれると突き放すことができない。
伏し目がちな白の言葉にいなりは安堵した。太陽のように温かい炎に包まれながら緊張の糸が切れ、いなりは脱力感とともに目を閉じた。