生ける屍
「そうよ……」
佐藤さんはそう答えたが、それ以上は答えようとしない。俺はこの時、若干の違和感を感じたが、きっと初対面の俺に遠慮しているのだろうと考えた。そこで俺は自己紹介をする。
「TRこと渡辺徹です。この通り、高校生をやっています。初めまして、佐藤さん……」
俺の自己紹介に佐藤さんは口元を緩めた。
「佐藤こと、西村亜弓です……。外資系の株式ディーラーをしているわ」
ディーラーとは、株式の売買をする仕事だ。一瞬の取引で数億円を動かすこともある。高級な外車を乗りまわしているのだから、この職業は納得がいった。
「西村さんでしたか……」
「ゲームじゃ普通、本名は名乗らないわ。佐藤って名前なら、日本で2番目に多い名前でしょ?」
「ですよね~」
西村さんは俺の反応に笑う。若干、その笑顔に違和感を覚えたのだが、ゲームの佐藤さんが俺を探し出して、会いに来たと俺は思った。
「西村さん、よく俺のことが分かりましたね?」
「TRくん。リアルでも私たちの関係はSNSの中だけ。私は渡辺くんのことをTRくんと呼ぶから、あなたも佐藤さんと呼んで……」
「あ、はい…佐藤さん」
「うふふ……。あなたのこれまでの会話を分析すれば、おおよそリアルは予想つくわ。それで禁じ手とは思ったけど、背に腹は変えられなくて今日、会いに来たの……」
「そういうことですか……」
佐藤さんはあのダンジョンのゲームが始まって以来、ふさぎ込んだ感じでゲームには参加していない。悪魔ばあるによって、無理やり参加させられているから、モニター画面は見なくてはいけないのだろうが。
佐藤さんのダンジョンに侵入するには、俺のダンジョンを突破するほかなく、幸いにも俺はこのお姉さんを守っている形になっている。
「ねえ、私はちょっとあのゲームのことを調べているの。あのゲームのログインアドレスって不思議じゃない?」
「そうなんですか……?」
佐藤さんがあのゲームについて調べているとは意外だった。ゲーム中では弱々しく守ってあげたくなるキャラである。目の前の佐藤さんはしっかりしたお姉さんという感じなのだ。このギャップに俺は少し戸惑っていた。
(まあ、実際とゲームの中じゃ人格が変わるということもあるからな)
「ねえ、TRくん。あのゲームのログインアドレス、今、分かる?」
そう佐藤さんは聞いてきた。長いアドレスなんて頭じゃ覚えられないが、スマホには記録してある。パソコンだけでなくSNSはスマホで確認できるからだ。
「分かりますけど、佐藤さんのスマホからも分かるはずですけど」
「ええ。今は私用のじゃないの。会社から支給されたものだから……ちょっと、ここへ送って。この会社の携帯のアドレスよ」
そう言って佐藤さんは自分の携帯のメールアドレスを俺に教える。俺は疑問にも思わず、ゲームのアドレスを送った。
送ったアドレスを佐藤さんは食い入るように見ている。そして、俺にある画面を見せた。そこにはアドレスの数字が微妙に違う文字列が並んでいる。
「これは私の知り合いが参加したゲームのアドレス。今はログインできないけど、かつてはここからゲームに参加できたらしいの……」
「……ということは、あのダンジョンのゲーム。他にも参加した人がいるというわけ?」
「そうよ。私の友人がそうだった……らしいの」
「ふ~ん……で、佐藤さんに聞きたいのだけど、その友人さんはどうなっちゃったの?」
「それは……口で説明するよりも実際に見た方がいいわね。ここへ来たのもあなたにあのダンジョンのゲームに参加した者の末路を見せるため」
そう言うと佐藤さんは車から降りた。俺も降りる。まもなく、日が完全に落ちて暗くなる。港の街灯がぼーっと淡い光を放っていた。
「あそこよ……」
俺は佐藤さんが指差す方向を見た。海に向かって木製ベンチがいくつか置いてある。そこに白地の薄汚れたTシャツとGパンという格好の男が座っているのが見えた。
日が暮れると肌寒い季節だ。そんな格好で座っているのが異様に思えた。そして、近づいてその男の顔を見て俺は驚いた。いや、驚いたというより、危なくチビってしまいそうになった。
「た、炭酸……死んでいなかったのか!」
ベンチに座っていたのは、一緒にゲームをしていたハンドルネーム『炭酸』。自称、ラノベ作家の中年男性だ。あのダンジョンのゲームで2日目に冒険者に首を打ち落とされて死んだ男だ。
「よ、よかった……やっぱり、あの光景はゲームの中だけってことだったんですね。炭酸、俺です、TRです」
俺はそう話しかけたが、『炭酸』は振り向きもしない。ただ1点。海をぼーっと見つめているだけである。
「炭酸、どうしたのですか、具合でも悪いのですか?」
「無駄よ……」
佐藤さんの言葉が人気のない港の公園に虚しく響いた。海風が言葉をさえぎり、体を震わせる。寒いという季節でもないのに体が凍えるような感覚にとらわれる。
「無駄って……佐藤さん、どういうことですか?」
「あのゲームで冒険者に殺されるとこうなるの。魂が殺されて本体はこのとおり、生ける屍になるの」
「生ける屍……」
「生きていて動けるけど、意識はない。ただ、フラフラと行動するだけ。生前、よく行っていた場所とかに行くみたいね。炭酸……本名は加地泰三。この公園で作品の構想を練るのが日課だったみたい」
俺は虚ろな目で海を見つめる炭酸を見る。その姿はあまりにも哀れである。時折、(ううう……)とうめき声を出すからまるでゾンビみたいである。
「あのゲームで殺されるとみんなこうなるの?」
俺は佐藤さんに聞いてみた。佐藤さんは友だちの経験からあのゲームについて調べ、そして、炭酸の居場所まで突き止めたのだ。まだ、知っていることはありそうだ。
「7日間はこういう状態だわ。けど、7日間が終われば……」
「終われば?」
「100%死ぬ。自分から命を絶つの……それは絶対に止められない」
「……ほ、本当ですか……」
俺は目の前が真っ黒になった。腰の力が抜けてその場に崩れ落ちた。
殺されたダンジョンマスターはその魂が破壊される。よって、こちらの世界では魂のない虚ろな存在になる。その存在はダンジョンのゲームが終わる7日間だけは保てるが、7日経てば自ら死んで現実世界の体も滅びるというのだ。
(いい、他のダンジョンマスターにも気をつけて。このゲームは7日間生き残れば、死ぬことはないわ。けれど、それはとても過酷なことよ。味方であるはずの仲間を犠牲にする場面もある。そうでないと生き残れない……)
(そして、あのチュートリアル悪魔。あいつには気をつけることね。悪魔はどう取り繕っても悪魔。人間の敵よ。あいつらは魂が欲しいだけ。しかも、汚れた魂が……)
佐藤さんの言葉が心に刻まれる。
佐藤さんに家まで送ってもらった俺は自分の部屋で炭酸の虚ろな姿を思い出して、吐き気を催した。思わず、トイレに駆け込んで吐く。佐藤さんの友達はこのゲームに参加して炭酸と同じような目にあったそうだ。それで佐藤さんは独自に調べを進めた。炭酸の居場所を突き止め、そして俺に会いに来た。
「いい……他のダンジョンマスターは敵と思った方がいいわ」
「でも、みんなで力を合わせればそれだけ冒険者を撃退することができるのでは?」
「甘いわね……。たかがSNSで知り合っただけの関係。友達とも言えぬその関係で、死地を乗り越えられると思っているの?」
俺は言葉が出なかった。例え、親友同士であっても、恋人同士や親子であっても自分が生き残るために強力な助け合い精神ができるであろうか。あのゲームは人間の本心を暴くところにあるように思える。
そして今回のようにたかがSNSで知り合った関係など、薄氷の上に乗っている状態と同じだ。匿名の人間の生死など誰も気にしない。自分が生き残れるならボタン一つで実行する。
佐藤さんの友人という人も、他のダンジョンマスターに見捨てられたという。そして佐藤さんは真相を解明するために、このゲームに飛び込んだというのだ。
「ということは、俺と佐藤さんは同盟と思っていいですか?」
別れ際に俺はそう佐藤さんに聞いた。佐藤さんは静かに頷いた。