モンスターペアレント
「ねえ、渡辺くん。鬼頭くんを無視していじめていたって本当?」
いかにも申し訳なさそうに聞く中村先生。いつも元気な女体育教師の彼女が見事にやつれている。おそらく、昨日の夕方から鬼頭の母親のクレームを必要に以上に受けたのであろう。この教師のエネルギーをここまで奪い取るって、鬼頭の母親、どれだけパワーがあるのかよと感心してしまう。人のよい担任には気の毒な話だが。
「無視って、どちらかというと俺の方が無視されていたんですけど」
これは事実だ。鬼頭の奴が俺に話しかけてきたことは一度もない。俺は空気だったから、無理もないが。一度、俺が歩いてきたら奴がわざとぶつかってきたことがあったが、その時も嫌そうな顔をして俺をにらんだのは奴の方だ。
「そうよね。私もそう思うわ」
(おいおい、だったら、俺をなんとかしようよ、先生)
「ただね。鬼頭くんのお母さんが示したいじめをしたリストに何人かクラスの子の名前があるの」
「そこに俺の名前があったと」
「そういうことね」
「どうしたら俺がはいるんです?」
「鬼頭くんがそう言ってるからだと思うけど……」
「そんな馬鹿な、濡れ衣ですよ」
「そう思うわ。アンケートでもあなたに関することは一文字もなかったから、ありえないと先生も思うわ」
(全学年の生徒が書いたアンケートに俺に関する記述が一文字もないということにちょっと、心が折れるんですけど……まあ、ないことはいいことだけど)
ちょっと暗くなった俺に気遣ってか、先生は話題を変えた。
「ねえ、渡辺くん、麻生さんと鬼頭くんの関係で知ってることない?」
「え? 麻生さんと鬼頭で? 全く接点ないと思いますけど」
これは事実だ。クラスの、いやこの学校全体のアイドルの麻生さんと空気の読めない鬼頭とはどう考えても接点はない。
「まさかと思いますけど、麻生さんもいじめた側に入っている?」
「……」
沈黙は肯定だ。母親が持ってきたいじめっ子リストなるものに、麻生さんも入っているという公算大だ。麻生さんが入っている時点で、そのリストは重大な欠陥があるといえる。俺が入っているのも驚きだが、誰にでも優しい、天使のような麻生さんがいじめる側になるわけがない。彼女は正義感があって、弱者の側に立つべき人間なのだ。
他にも呼ばれて、生徒指導室で他の先生に事情を聞かれている奴らも、鬼頭を軽くあしらっていたことはあっても、それなりに上手に付き合っていたというのが俺の感想だ。鬼頭の奴は、自分の思い通りにならないと駄々をこねることがあって、それで何度か関わった生徒たちから冷たく拒否されたことはあったが、それをいじめだとは俺は思わない。
だが、定義では人がいじめだと感じればそれはイジメなのだ。いじめたとされる方はとんだ濡れ衣で傷つくのだが、マスコミを始めとしたこの国の正義を振りかざす側の人間は、そんなことを介さない。誰かを悪者にしなくてはいけないのだ。
俺は腕時計に目をやる。なんやかんやで夕方7時を過ぎている。生徒を残して事情聴取するにもそろそろ限界だろう。俺の方も限界だ。今日も21時になればあのダンジョンと部屋がつながる。冒険者たちを撃退しなくては、俺の命が危ないのだ。
(それに今日はダンジョンのトラップやガーディアンを売りに来る行商人がやって来るという日だ。行商人がどういう奴かは知らないが、ダンジョンを強化せねば……)
強化しなくては間違いなく死が待っている。炭酸の死亡はニュースになっていないが、この日本のどこかで売れないライトノベル作家のおっさんが死んでいるはずだ。
「先生、俺、もう帰っていいですか?」
俺はそう担任の中村先生に聞く。どんなに時間をかけたところで、俺からは何の情報も得られない。俺は鬼頭を虐めていないし、そもそも会話すらまともにしたことがない。それが無視というなら、いじめってなんなのか本当に疑問に思う。
「渡辺くん……あとは先生が何とかするわ……」
そう中村先生は言ってくれた。生徒指導室から廊下に出ると暗くなりつつある廊下まで響く女性のヒステリックな声。状況からしてクレームに来たという鬼頭の母親であろう。もう何時間も怒鳴り散らし、教師をつるし上げて糾弾しているらしい。
(これはいじめじゃないのか?)
俺はカバンを片手で持ち、肩にかけて歩く。だが、帰るタイミングが悪かった。ドアが突然、ガラリと変えられ化粧が濃い中年のおばちゃんが出てきた。目は血走り、髪は逆立ち、まるで鬼婆にような表情だ。
「なんで隠す! いじめを隠すなら出るとこ出てやる! 新聞やテレビに訴えてやる! 文部科学省に言いつけてお前ら全員クビにしてやる!」
表情鬼婆。そして口から出る言葉は罵詈雑言と脅し。品性の欠片も残っちゃいない。そのおばちゃんは俺を見つけるとものすごい勢いで近づいてきた。それこそ、ズンズンという擬態語にふさわしい動き。
「あんた! 私のやっくんをいじめた悪!」
俺を悪と決め付ける言葉。
(ダンジョンマスターやっているから、悪という決めつけはあながち間違っちゃいないけど)
気分は当然、良い訳がない。
「濡れ衣だよ、鬼頭のお母さん?」
「まあ! 濡れ衣ですって? 白々しい!」
「俺は鬼頭とは話したことないし、鬼頭も俺を無視していたし……」
そこまで聞いて目が三角になる鬼頭のかあちゃん。
「やっくんが悪いとでも? なんてガキでしょう!」
(ガキ? その侮辱用語を使うことはイジメじゃないのかよ!)
「あんた、こんな時間までいちゃもんつけて先生たちを困らせるのもいじめじゃないか?」
「まあ! なんて恐ろしい子でしょう!」
鬼頭の母ちゃんのこめかみに青筋が浮き出る。
「男も女もクズばかり。せっかく、やっくんが付き合ってあげましょうと優しく告白したのに、それを断るなんて陰険ないじめ」
「告白?」
俺の頭の中に何かがピンと弾けた。
「麻生とかいう女狐。せっかく、やっくんが彼女にしてやると決めたのに、断るなんていじめだわ。そのせいでやすくんは傷ついて、あんなに学校が好きだったのに不登校になってしまった。全部、あの女やあんたち、クズのクラスメイトのせい!」
(いや、鬼頭だったら、夜中にゲームやりすぎて眠いから来ないだけだろ……。そんなのクラスの連中はみんな知っているぜ)
鬼頭は学校を休むことがある。そして出てくると自慢気に徹夜でゲームをやった話をいつもするのだ。
不登校は生活の乱れ以外に考えられない。知らないのはこの母親だけだろう。
「クズ、クズ、みんなクズ。教師も生徒もみんなクズ。こんな学校にかわいいやっくんを行かせるんじゃなかった。ああ、学校の隠蔽体質で私のかわいいやっくんの心は傷ついたわ。訴えてやる、慰謝料を請求してやるわ!」
ものすごく甲高い声でまくしたてる母親。もはや、いじめを訴えるという次元を通り越し、わがままを通すためにクレームしているのだ。そのクレームを『いじめ』という水戸黄門様の印籠のような絶対的なワードを全面に出すことで、正義となすことができるのだ。
そしてこういう保護者に便乗するマスコミ。「いじめ」、「隠蔽」などというワードはマスコミが大好きなのだ。そういうストーリーになりそうなら、そのようにもっていくことなど簡単である。
俺は思う。確かに陰湿ないじめ、犯罪的ないじめは許されない。それをやめさせるための仕組みが絶対必要だ。だが、それは何万とあるいじめの訴えの中の数%である。多くは学校の中で解決できるものだ。学校どころか当事者同士でも解決できる案件も多いはずだ。
それを全て公にして、おおごとにしてしまう仕組みが問題をこじらせる。この鬼頭の母ちゃんのようなモンペの格好の武器となる。
鬼頭の母ちゃんは叫ぶだけ叫んで、学校を出ていた。校内に駐車した車を乱暴に運転し、猛スピードで校門から出ていた。帰宅途中の生徒が危うくはねられそうになる。
この態度を見ただけでも、この母親の人間性が分かるものだ。




