6-15 オペラ座の歌姫 Ti amo
「あなた、聞いて欲しいの」
劇を放り投げて、アウローラはベリザリオの腕を掴んだ。
「どうしたんだ? 話があるのなら、とりあえず劇を終わらせてから――」
「私、爆弾なの」
意を決して思い出した事を伝える。
◇
オペラ座に連れてこられる前。
無機質な天井の下でアウローラは目覚めた。首を巡らすと、所狭しと置かれているよくわからない機器と何本ものコードが見える。
他に見えたのは黒髪の青年、ユーキ。
彼はアウローラの傍で何かしていて、彼女の目覚めに驚きはしたようだったけれど、手は止めない。
「とりあえず蘇生には成功か〜。ねぇ君、話とか出来る?」
そのうえ気楽に話しかけてきた。
どう返事をしたかは覚えていない。そもそも返事をしただろうか。
彼の方も大して気にしていなかったようで、作業だけはずっと続いていく。ほとんど感覚が無い中で、自分の身体の中が弄られている事だけはアウローラにも分かった。
「君さ、簡単に死んじゃって棄てられたんだよ。なのに、廃棄物を玩具として再利用する僕って環境に優しいよね」
やっている事の非道さに反比例して彼は綺麗に笑う。
そのままアウローラの脳に幾つかの知識を刷り込んで作業を終了したようだった。
◇
これは、ユーキの仕掛けた罠に関する事だ。こんなにも大切な事をなぜ忘れていたのか、自分の不出来っぷりが恨めしい。
気のせいだろうか。ベリザリオの手が小刻みに震えている。
「なに、を?」
「私の身体の中には爆弾が埋め込まれている。あの人が言っていたの。劇を終わらせるか、日付が変わったら爆発するようにしておくって。だから、劇を終わらせては駄目」
彼の腕にしがみついた。
王子の求婚を受け入れたチェネレントラは妃になり、大団円で舞台は終了する。
ここで劇を止めればすぐすぐの破滅は回避できる。もうしばらく彼と過ごせるし、日付変更によるリミットは、最悪、姿を消せば巻き添えを減らせるだろう。
ひとまずはベリザリオを守れてほっとした。
自分でも彼のために何かできた事が嬉しくて微笑みかける。
なのに、ベリザリオは肩を震わせ振り返ると、
「ユーキ、どういう事だ!?」
凄い剣幕で怒鳴った。
平土間席の最前列に勝手に座っているユーキは、心底つまらなさそうに肘置きに頬杖をつく。
「あーあ。そんな情報まで引き出しちゃって。なんかムカつくなぁ」
「私に勝たせる気なんてなかったな?」
「どうかな? 爆弾の話、彼女の作り話かもしれないよ? 彼女、君が気に入ったみたいだから、いつまでも一緒にいるためのさ」
ユーキは席を立つと既に事切れている死体の側に行った。
「ゲームの条件は変えない。途中で投げ出しても周囲を殺す」
死体の1つの頭を踏み砕いて席に戻った。
彼に情けなんてない。殺すといえばやるだろう。
それが分かっているからか、向き直ってくれたベリザリオの口元はきつく引き結ばれていた。ようやく開いた口から漏れた言葉はとても弱々しい。
「アウローラ、今の話は……」
「ここにね、爆弾が詰まってるの」
アウローラは腹を撫でた。
愛おしい膨らみはなくなり、平らな腹の中にあるのは死を運ぶ無機物だけだ。
そんな物欲しくなかった。今すぐ捨ててしまいたくて爪を立てたけれど、衣装のドレスすら突破できない。
それでも引っ掻いているとベリザリオが止めた。彼の指が優しく腹部に触れる。
「ここにあるのは間違いないのか?」
「ええ」
「少し。いや、かなり痛いかもしれないが、我慢してくれるか?」
短剣を取り出したベリザリオがアウローラを見てくる。痛いと言うくらいだから、それで腹を切り開くのかもしれない。
麻酔無しでそんな事をしては痛いなんてものではないだろう。
「痛いのは私でしょう? なのに、あなたまでそんな辛そうな顔をしないで」
「私も痛いよ」
何が、とは言わなかったけれど、彼が心を痛めてくれているのは分かった。
それだけでも嬉しい。アウローラは短剣を握るベリザリオの手に自らの手を重ね微笑んだ。
「そう思ってもらえるだけで私は幸せ。だから、お願い。あなた」
「ああ」
短剣が衣装の腹部を切り裂いた。
そのまま皮膚にまで刃を突き立てられたけれど痛みは無い。ユーキに弄られていた時もそうだったし、1度死んでいる身体だから、痛覚が死んでいるのかもしれない。
「……あった」
嬉しくなさそうにベリザリオが呟いた。
「私、本当は死んだんでしょう? なのに、玩具になんてされてごめんなさい。赤ちゃんは失くしちゃったのに、こんな物を抱えていてごめんなさい」
「お前のせいじゃないのに謝らなくていい。すぐに取り外すから、もう少し我慢してくれ」
顔を上げぬまま彼は作業を続ける。
「爆弾外すの止めた方がいいと思うよ。それ、彼女の生命維持装置も兼ねてるから」
平土間席の方から嫌な声が聞こえた。
「彼女が死んじゃったら劇を続行できなくなって君の負けだね。それでもいいならやればいいけど」
楽しそうにユーキは笑う。
ベリザリオの手が止まった。しばしの間の後、彼は顔を上げぬまま、無言で床を殴りつける。
1人で何かに耐える彼をアウローラはそっと包み込んだ。
「ねぇ、あなた、知ってる? 私ね、いつも、私の夫はベリザリオですよって言いたかったの。オペラ座で寝てるあなたのサングラスを取って、これが私の夫です、格好いいでしょうって、何度も自慢したかった」
どうあっても助からないのだから、生前言い残した事を口にしていく。
「私を妻にしてくれてありがとう。お陰で、ディアーナやエルメーテとも友達でい続けられた」
こんな身体で、こんな扱われ方をしたのは不本意だったけれど、本当は無かったはずの時間を与えられたのだから、まるで神の奇跡だ。
「温かい日々をくれてありがとう。私は毎日幸せでした」
ベリザリオがようやく顔を上げてくれた。ふっと微笑んで、アウローラは彼から少し身を離す。
「そんな辛そうにしないで。こんな事しか私には出来ないけど」
ベリザリオの仮面に手をかけた。今度は外すのを邪魔されはしない。
ただ、残念かな。
涙が邪魔をして視界が滲んで見える。
それでも愛しい顔が見れて嬉しかった。
眉間に深く皺を刻んで耳まで赤いのに、涙は流さない姿がなんとも彼らしい。
「オペラ座の怪人は、最後、歌姫から素顔に2度キスをされて歪んだ心が浄化されたでしょう? あなたも嫌な事は忘れて。私の事も忘れて、新しく好きな人を見つけて」
まず1度口付けた。
オペラ座の怪人だけではない。ヒキガエルにされた王子だって2度キスされて呪いが解けた。おとぎ話ではお決まりの展開だ。
彼の心を縛ってしまいそうなアウローラという呪いを解いてあげたかった。彼の愛の深さは、向けられていた自分が一番よく分かっているから。
もう1度唇を近付ける。重なる寸前で間に彼の手が挟まれた。
「あなた?」
自分とのキスが嫌なのかと首を傾げると、ベリザリオがアウローラを抱きしめ耳元で囁いてくる。
「アウローラ。劇を進めながらキスをしよう」
「でも、そんな事をしたら」
「心配いらない。お前の夫を信じろ」
抱き締めてくれる腕の力強さにアウローラは頷く。
ベリザリオが身体を離した。彼は先程のやり直しとばかりに片膝をつき、アウローラの左手をとる。
「チェネレントラ、私の妃になってくれるかい?」
「はい、王子様」
アウローラが微笑むとベリザリオも笑った。彼は喜びを表現するようにアウローラを抱きしめ、深くキスをする。
きつく抱き締めてくる力が、彼の想いをストレートに伝えてきてくれる。
そんな事をしながら、ベリザリオの片手はアウローラの腹に添えられていた。慎重な彼の事だ。爆弾に衝撃を与えぬよう押さえてくれているのかもしれない。
けれど、それにしては異常な力を感じる。いや、感じたと思ったらすぐに身体に衝撃が走った。
(爆弾が抜かれた)
見なくても分かった。
身体に力が入らなくなり崩れ落ちそうになるとベリザリオが支えてくれる。
彼の選択に恨みはない。むしろ誇らしい。
残る力を振り絞ってアウローラは微笑んだ。
「あなた、愛してる」
「私もだ」
アウローラの身体を横たえながらベリザリオが言う。
「Ti amoアウローラ。昔も、これからも、私はお前にだけこの言葉を贈ろう」
途切れそうな意識に彼の声が染み渡る。
それでは呪いを解くキスの意味が無いではないかと思いながら、どうしようもなく嬉しかった。




