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堕ちた枢機卿は復讐の夢をみる  作者: 夕立
Ⅵ.オペラ座の歌姫
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6-12 オペラ座の歌姫 前編

 ◆


 アウローラの意識は夢とうつつの狭間を漂っていた。

 自分が何者であるかもともすれば忘れてしまいながら、たまに、何か大切な事をしなければならなかったような、そんな気持ちが湧き上がる。

 それもすぐに忘れ、ぼやけてしか見えぬ世界をただ眺めていた。


「時間だね。それじゃ、第2幕を始めようか。チェネレントラ」


 すぐ側で座っていた黒髪の男が立ち上がり、アウローラの肩を叩いた。

 チェネレントラという言葉が自分をさしているのは分かった。

 それに、身体は勝手に彼の言葉に反応している。何をすればいいのかも知っていた。


「その他役者さん達もさ、僕に逆らおうだなんてしないよね?」


 哲学者姿の彼が微笑めば、舞台端に固まっていた役者達も無言で動きだす。


 チェネレントラ第2幕。

 舞台は、美しいチェネレントラに偽王子が一目惚れし、求婚する所から始まる。


「いいえ王子様。私はあなたの従者に恋しているのです」


 そんな想いをアウローラは歌い上げ、求婚を断った。

 自分にも大切な人がいた気がするが、彼のシルエットはぼやけていてはっきりしない。呼ぼうにも名がわからぬので手を伸ばした。

 その手を従者に扮した本物の王子が感極まったように掴む。


「ありがとうチェネレントラ。従者の私でよければ結婚してくれないか?」


 片膝をつき想いを告げてきた王子にアウローラは首を横に振った。

 美しいドレスで着飾った姿は仮の姿。偽の姿で愛を受けることなどできない。

 なので、左手にはまる腕輪を外し、それを彼に渡す。


「右手にこれと同じ腕輪をしている私を捜してください。私を捜し当て、そのとき私のことが嫌でなければ、あなたのものとなります」


 そう言って城を去った。


 場面が暗転し、舞台は男爵家に移る。

 家に戻ればいつもの毎日が始まり、チェネレントラは召使いのようにこき使われていた。

 1日の終わりには疲れ果て、ひとり粗末なベッドに倒れ込むのが常だ。


(私は……誰かと一緒に寝ていた気がする)


 狭いベッドで転がりアウローラは目を閉じた。

 こんなものではなく、もっと広くて柔らかなベッドを使っていて、横には温もりがあった気がする。金髪に澄んだ空色の目をしたとても素敵な彼。


 そう、彼だ。

 名も思い出せぬ彼がいつも横にいた。

 けれど、彼は夜中にいないことが多かった。

 仕事からは早く帰って来て、一緒に夕食をとったり愛してくれるのに、夜中にふと目を覚ますといないのだ。


 行き先は分かっていた。

 デッラ・ローヴェレの化学研究所で夜の彼は研究者の顔になる。そうして朝方に疲れた顔で帰ってきて、ずっと寝ていたようにベッドに戻るのだ。


「ねぇ、あなた。途中で家に帰ってこない方が無駄な移動時間も出ないし、寝る時間がとれるんじゃない?」


 昼は教皇庁職員、深夜は研究者。そんな生活さすがに無理がある。いつか倒れるのではないかと心配で訴えた日もあった。

 本当は仕事を1本に絞るべきだと思うのだけれど、彼はどちらも大切にしていて手放してくれそうにない。だから、それが精一杯の提案だった。

 なのに彼は笑って返すのだ。


「嫌だよ」


 と。


「私の帰りが遅くてもお前は起きて待っているだろう? ひょっとしたら、今日は早く帰ってくるかもと、食事も待っているかもしれない。そんな不規則な生活をさせるわけにはいかないな」


 自分の不摂生は棚に上げてそんな事を言う。


「でも」

「それ以上は聞かない」


 アウローラが食い下がろうものなら優しく口を塞がれて、なし崩しにされて終わるのが常だった。


 知っている。

 彼がそんな無理をしているのは、子供ができたらゆっくりと時間を取りたいからだと。それまでにできる限りのことはしておきたいと、昔、寝物語に聞かせてくれたから。


「いつまで寝ているんだい、チェネレントラ!?」


 姉役の1人がアウローラを強引にベッドから引きずり出した。

 歌劇チェネレントラにこんな場面は無い。アウローラがいつまでも寝ていて芝居が進まなくなったので、機転を利かせてくれたようだ。


「申し訳ありませんお姉様」


 アウローラもそれに乗ると、姉がほっとした表情を見せる。


「さっさと仕事をおし。今日は激しい嵐だ。備えをしなくてはね」


 彼女は流れを本筋に戻し舞台袖へと去って行った。


 舞台演出が変わり、照明や音が嵐を表現する。

 そんな中を移動していた王子と従者の乗った馬車が途中で駄目になってしまい、2人は入れ替わっていない姿で男爵家を訪れた。

 その姿を見て継父と姉達は驚き真実を知る。チェネレントラも同じく愛した男が王子だった事に気付き、驚くのだった。


 ここから、王子がチェネレントラの正体に気付く場面に移り変わる。

 嵐の演出はもういらない。

 なのに、照明は切り替わったのに、音が騒がしいままだ。


 がちゃがちゃがさがさと騒がしい音は消えるどころか大きくなってきて、舞台袖から大型犬より大きいくらいの何かが這い出てきた。

 周囲の役者が叫びながら逃げだし、観客席からも悲鳴が聞こえてくる。


(よほど不細工な動物でも出てきたのかしら?)


 視界のぼやけているアウローラにはそれが何だか分からない。

 王子役も消えてしまって、どうしたらいいのかとぼんやりしていると、舞台袖からまた音がしてきた。

 今度ははっきりとした足音だ。それも、とても荒い。急いでいるのだろうか。


「蟻の打ち止めないのかよ!? 潰しても潰しても湧いてきやがる!」

「愚痴る元気があるなら手を動かせ!」

「動かしてるだろうが! だいたい、お前の足が思ったより遅かったから、こんなぎりぎりの時間になったんだぞ!」

「お主の怪我を庇って、某が蟻の相手を多くしてただけであろうが!」

「引き時を考えながら戦えよ!」


 騒がしく言い合いながら、舞台袖から出てきた2人はアウローラの前を過ぎて行った。

 途端に会場から歓声が上がる。


(私の知らない演出?)


 知っているチェネレントラと流れが違い過ぎてどうしたらいいのか分からない。知らないのなら出番は無いだろうし、袖に避けた方がいいのだろう。他の役者達もその為にいなくなったのだろうし。

 そう思い、未だに何かが這い出てくる舞台袖へ向かう。


「そっちに行くんじゃねぇ!」


 アウローラの腕を誰かが掴んだ。

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