6-6 崩落
意外にもイザベラは階段を行く。1階に降りてからも扉があるたびに錠で開けながら進んだ。
目の前で、いくつ目か忘れた扉が鈍い音を立てながら開く。
(従業員しか通らない道を使ってるみたいだけど、それにしても変だな)
イザベラが選ぶのは開け閉めする度にきぃきぃ音をたてる扉ばかりだ。すぐ横に新しめの扉があっても、そちらは絶対に選ばない。
それが不思議でジョエレは尋ねた。
「あのー。そっちの、電子錠っぽいドアの方は通らないんですか?」
「どうにもセキュリティを奪われたようでな。鍵が電子制御されている所は手がだせんのだ」
苦々しい顔でイザベラは錠を回す。
今度開かれた扉の先は部屋だった。一見した感じだと物置。古そうな資料も見うけられる。
部屋の一角からイザベラが大判の紙を出してきて机の上に広げた。
「この建物の見取り図……ですかね?」
「うむ。それで、施錠などが電子化されている部分の図面がこれだ」
見取り図の上に透明なシートが被せられる。
シートには電気配線などが細かに書かれていて、電子錠の記述もあった。
それによると、公演場の扉は全て電子制御されている。
《悪魔》の出現で観衆が軽いパニックを起こした時、人が殺到していたにも関わらず扉は開いていなかったようにジョエレは記憶している。あの時点で既にセキュリティシステムを制圧されていたのだろう。
「選帝侯のブースの扉が開いてたのは、わざとっぽいですね」
「で、あろうな。全てを調べさせたわけではないが、電子錠の場所はほぼ全滅していると考えてもらっていい」
「直接パスワード入力で開く場所は?」
「集中管理室と講演者用の控室、後は妾の私室くらいか」
「用は無さそうですね」
そうは思ったものの、一応パスワードを聞いておく。
集中管理室でセキュリティシステムを取り戻せれば早いのだが、生憎そちらには明るくない。電子・情報工学はエルメーテの専門だったのもあり、自分では軽くしか触ってこなかった。
短時間で技術の習得など無理だ。
となると、電子化されていない場所を選んで行くしかない。
「ちなみに、今いる場所はここだ」
イザベラが1階の奥まった部屋を指した。
「行きたいのは1階公演場。舞台」
ジョエレは舞台に指を添える。
この部屋から舞台まで、普通の通路では開通しているものが無い。《魔王の懐刀》で壁をぶち抜いて道を作ってもいいが、あからさまにやると人質が殺されるだろう。
マイナス要素が大きすぎる手段は外した方がいい。
「……」
何本かの道を指でなぞり、最後は図面と睨み合いながらルートを考える。
10分ほどそうしてジョエレは顔を上げた。
「行けそうかえ?」
「たぶん」
行き当たりばったりな部分もあるが、舞台に到達はできるだろう。それに、考えが間違っていなければ、途中で妨害にも遭遇する。
「ならば、そなたにマスターキーを渡しておく。妾も荒事は不得意でな。席で成り行きを見ているとしよう」
机の上に鍵を置き、イザベラが出て行こうとした。
「バルトロメオ、エステ卿を送ってこい。途中で襲われたら事だからな」
「構わんが、お主は?」
「構造を覚えとく。お前が帰ってくる頃くらいまでで終わるはずだ」
「その量を覚えるのかえ? 台紙ごとくれてやるつもりで出したのだがな」
「問題ありません。荷物も少ない方がいいですし」
そう言ってジョエレは意識を図面に戻した。
地上部分の構造はそう難しくない。何度も訪れている建物なので大まかな造りは知っているし、力学的な制限で形も限られる。
大切なのは、これから行こうと思っている地下だ。
地下にさえ降りられれば舞台の裏側に通じているルートがある。
(けどまぁ、あいつが仕込みしてんのもここだろうな)
地下空間は普段使われておらず、半封鎖状態。
自分が《悪魔》なら、少し前まで観客がうろうろしていた場所に突貫工事などせず、地下でのんびりと準備する。
それに、半封鎖されているのを利用すれば、人知れず外とだって繋げるのだ。《悪魔》の手駒がやってくるというのなら、おそらくここからだろう。
おおむね覚えた図面を元の場所に戻そうと丸めかけ、手を止める。携行しやすい大きさにたたみ、それを持って部屋を出た。
階段の前で待っていると、程なくバルトロメオが降りてくる。合流早々折り畳んだ図面を渡した。
「無いとは思うが、離ればなれになった時に困らないように渡しておく。今から俺達は地下に潜る。入り口はここ。こう進んで、目的地はここだ」
図面に指を這わせ、辿る予定の道を教えていく。
「別行動になっても、それぞれ目的達成を第一に考えること。互いに舞台を目指せばいつかは合流できるからな。時間制限があるのを忘れるな」
「舞台に着いたら、あの《悪魔》とやらを捕えれば良いのか?」
「捕まえられればな」
時間が惜しかったので、地下へ向かい歩き出した。
「もう1人の女はどうすれば?」
「……」
即答できなかった。
アウローラクローンをどう扱えばいいのか。正直ジョエレも判断がついていない。
「ジョエレ・アイマーロ?」
「ああ、すまねぇな。彼女の対処については、ディアーナとデッラ・ローヴェレに尋ねればいい。しがらみがあるのはそいつらだろうからな」
結局、他人のふりしかできなかった。
「ここだな」
通路の奥まった所で足を止める。切れ目のあった床板をどけると下りの梯子があった。作りの適当さから、メイン通路が使えなくなった場合の予備道だろう。
けれど、緊急時強いのは、やはり、単純でアナログな構造だ。
「暗いな」
覗き込んでみたが何も見えない。
道とはいえ非常路なので、不便は多々ありそうだ。
「俺が先に降りる。呼んだら降りてきてくれ」
ジョエレは《光の剣》を鞘から抜きかざす。
「光よ」
呟くと短剣が光を発しだした。室内照明と同じ光量に調節し階段を下る。
レオナルドから借り受けたのが《光の剣》だったのは幸いだった。光と冷気を操る短剣なので暗所を照らしてくれるし、攻撃目的で力を解放しても火事にはならない。
それを考慮して、レオナルドもこれを携帯していたのかもしれない。
「いいぞ。降りてきてくれ」
階段を下りきったジョエレはバルトロメオを呼んだ。
下りてきたバルトロメオが顔を歪める。
「埃っぽいな」
「職員でも滅多に入らないっぽいからな。けど、お陰で道ができてるぜ」
短剣を動かし下を強めに照らす。
埃の積もった床に足跡がついていた。
ジョエレは地下に足をつけてから1歩も動いていない。
奥へと続いている足跡は、極最近誰かがここへ来て、帰って行った。そんな事実を示している。
「こんなものを残して行くとは慢心もいいところだな」
面白くなさそうにバルトロメオが鼻を鳴らした。
「どうだろうな? 誘ってるのかもしれねぇぜ?」
軽く顎をしゃくり、ジョエレは足跡に沿って歩き出した。
わざとか偶然か、足跡は進もうと思っていた方へと続いている。
おそらく罠なのだろう。
しかし、罠だろうとなんだろうと進むしかない。なんならさっさと会敵して処理できた方が、観客達を心配する必要が無くなって楽になるくらいだ。
(ん?)
床の感覚がそれまでと違った気がしてジョエレは足を止めた。
「どうした?」
「いや。なんか、この床おかしい気がしたんだけどよ」
違和感を確かめるため再度床を踏んでみるが、やはり何かおかしい。固いコンクリート床のはずが、どこかふわふわと柔らかい。そこだけかと思って数歩先も踏んでみるが、違和感は続く。
「何か、先に赤い光が見えぬか?」
バルトロメオが通路の先を指した。
言われて目を凝らしてみたが、ジョエレには見えない。
「見えねぇな。とりあえず行ってみっか」
変わらずどこかふわふわする道を進む。すると、バルトロメオの言っていた赤い光が見えてきた。
光で表示されているのは時間で、もの凄い勢いで減っていっている。
表示パネルと繋がっているのは剥き出しのダイナマイトだ。爆弾の周辺だけは床の色が違い複雑にヒビが入っている。衝撃が加われば崩れてしまいそうな、そんなヒビが。
ヒビは広範囲に広がっているのに、通路の途中でプチリと消えていた。まるで、何かを被せて見えなくされているかのように。
「!? おいバルトロメオ、急いで引き返せ! あれが爆発したらたぶんヤバイ!!」
横を歩いていたバルトロメオの肩をジョエレは掴み強引に後ろに引く。そのまま走ろうとした。
タイマーの残り時間は20秒。減りが早いので10秒弱しかなさそうだったが、全力で走れば安全圏まで逃げられそうな気がしたから。
なのに。
そこから一気に残り時間がゼロになった。
爆音と共に爆風が吹き付けてきて足元が不安定に揺れる。床が崩れるのに合わせて布がめくれあがった。
衝撃吸収布でも敷いていて、歩くだけでは床が落ちないようにしていたのかもしれない。
タイマーに関しては、布を踏んだタイミングで起動するようにしていたのか。
どうであれ、ちょうど気付いた頃からの残り時間の減り方がおかし過ぎる。どんだけ性格が悪いのかと罵ってやりたい。
「くそったれが!」
ジョエレの叫びは崩落する床と共に暗闇へと吸い込まれていった。




