1-9 背教の館 後編
ジョエレは勢いよく扉を開け放ち室内へと転がり込んだ。素早く体勢を整え銃を前に構える。
廊下の明かりが漏れてくるのと、窓からも僅かばかりの明かりが差し込んでくれているお陰で、電灯を点けずとも室内の様子を確認できた。
部屋の片隅にジーナだったらしき身体がある。
その近くに化け猫の死体も1つ転がっていた。それを、もう1匹の化け猫が貪り食っている。食事に夢中なのか、そいつは顔を上げもしない。
チャンスとばかりにジョエレは発砲した。
けれど、化け猫は間一髪で飛び退き、耳を片方千切り飛ばすだけで終わる。
「フシュゥゥゥゥ」
もはや何の動物だか分からない鳴き声が漏れてきた。
「もう猫とは言えねぇな。おいルチア、ドア閉めろ。こいつに逃げられると厄介だ」
銃口は化け猫から逸らさず指示を出す。
ルチアとテオフィロも室内に滑り込んできていたが、退路と明かりを確保するためか、扉は開けたままだ。
ルチアが片手に銃を構えたまま後手で扉を閉める。タイミングを合わせてジョエレは電灯のスイッチを入れた。
眩しかったのか、化け猫の血走った目が細くなった。
それを差し引いても、丸かった目は後頭部に引っ張られるように吊りあがり、印象ががらりと変わっている。
体躯にいたっては所々毛が無い。筋肉が異様に発達した代償なのだろう。
今までの化け猫達よりひと回り大きくたくましいので、突進ですらとんでもない破壊力をしていそうだ。なのに、こいつには鋭く伸びた牙と太く長くなった爪まである。もはや害獣だ。
「猫って、人肉食うか共食いしたら、進化するとかいう隠し設定でもあんの?」
ぽつりとテオフィロが呟いた。
ゲームかよと突っ込みたくなったけれど、いい感じに皮肉のきいた発言がツボに入り、ジョエレは苦笑する。
「だとしたらこいつはボス猫だな。片付けちまえばステージクリアがお約束なもんだがっ」
相槌を打ちつつ弾を撃ち出した。けれど、化け猫は相変わらずの反応の良さで、かするだけで終わる。
お返しとばかりに猫がジョエレの方へ突っ込んできた。
(とんでもなく速えな。本気で進化したんじゃね!?)
ジョエレはそれを紙一重でかわす。そのまま怒鳴った。
「テオ、ルチア! お前らでそいつの動きを制限しろ! 特にテオ、お前の見せ場だぜ!」
「簡単そうに言ってくれるじゃんか! そんで、ジョエレは何すんだよ!?」
文句は言いながらもテオフィロが掃射を始める。
化け猫は軽やかに弾幕を避けるが、進行方向を先読みするようにルチアの銃撃が足元を襲う。
「俺の仕事は決まってんだろ?」
ジョエレは装填していた一般弾を全て排出し、強化弾を装填した。そして、行動が随分と単純化した化け猫に銃を向ける。
「主人公が止めを持ってくってな」
引き金を引いた。
狙いはあやまたず化け猫の顔面を捉え、頬の肉を削ぎ落とす。怒った猫がジョエレを向いたタイミングで次弾を眉間に撃ち込んだ。
狙いは完璧だったのに、化け猫は依然動く。
「頭蓋骨まで強化されてるとか勘弁してくれよ」
毒付きながら同じ場所に銃弾を撃ち込んだ。3発目でようやく脳までダメージが入ったのか、化け猫が仰け反る。その時あらわになった心臓の位置にも弾を撃ち込んだ。
重低音を立てて化け猫が崩れ落ちる。そうして、そのまま動かなくなった。
「終わった……のかな?」
銃は構えたままルチアが尋ねてくる。
「多分な。これで動き出しやがったら、リアルゾンビ映画過ぎて、夜中に便所に行けなくなるぜ」
ジョエレは銃をホルスターに収めた。若者2人に向かってしっしっと手を振る。
「俺ちょっと後処理してくるから、お前ら先に外に出とけ。駆け足な」
「はぁ? 何なのよ、それ。この状態で追い出されるなんて納得いかないんだけど」
ルチアが頬を膨らませた。口にこそ出していないがテオフィロも不服そうだ。
気持ちは分からないでもないが、それでもジョエレは言葉を続ける。
「出掛ける前のお約束、俺の指示には絶対服従。従わなかったら小遣い抜き。お忘れ?」
「う……」
ルチアとテオフィロ、2人揃って言葉が詰まった。
「分かったわよ、もうっ! 行きましょテオ」
更に頬を膨らませたルチアがテオフィロの腕を掴む。部屋から出て行った。
駆け足ではなかったけれど、さっさと家から出てくれさえすれば文句はない。
ジョエレは室内を見渡し、花が散らばる場所へと向かった。
乱闘中に流れ弾で花瓶が割れ、そこいらに中身がこぼれている。
それは白百合。
テレビに映されていた部屋だけでなく、この部屋にも飾られていたらしい。そんな場所でジーナが殺されていたのは偶然か、意図的か。ジョエレには分からない。
ただ――。
「くそったれ。お前らはいつも人をゴミみたいに扱いやがる」
組織が腐っていると再認識した。怒りを込めて、絨毯に散らばる花を踏み躙る。
「いつまでも逃げられると思うなよ。絶対ぶっ潰してやる」
吐き捨て花から足をどけた。
ふと、棚に置かれた聖書が目に入り、小さく嘆息する。ジーナの遺体の前で片膝をつくと十字を切った。
「汝に安らかな眠りの訪れんことを。エイメン」
悔みの言葉を呟き視線を落とす。
「送るのが俺の上に、パンもワインも聖水も無くてすまねぇな」
おもむろにジャケットの内側から"御守り"を取り出し組み立てた。
杖のような見た目になったそれを握ると、杖の操作システムと脳が接続した感覚がある。
この杖は指定した通りに薬品を調合できる。けれど、それだけの機能しかない。
しかし、使いようによっては非常に便利であり、危険でもある。諸都合で同居する2人にも見せていない。
そんな杖に内臓しておいた薬品の中から硫酸、硝酸、グリセリンを選び出し、混合させニトログリセリンを合成。静かに絨毯に染み込ませた。
そのまま衝撃を与えぬよう部屋を出る。
「猫達と一緒に葬ってやるから許してくれ」
ジッポの火を灯し、濡らした絨毯付近に放り投げた。扉を閉め、急いで屋外へ向かう。杖は走りながら折り畳んでジャケットの内側に突っ込んだ。
絨毯に染み込ませたニトログリセリンは非常に良く燃える。燃えにくそうな物も見受けられたあの場所で、いい着火剤になってくれるだろう。ただ、強い衝撃が加わると爆発してしまうので、天井や壁から物が落ちてきた時だけが心配だ。
玄関が見えた。
先に出た2人が気をきかせたのか、扉は開いたままになっている。
「ジョエレ早く! 2階が火事になってて、火の回りがもの凄く早いの!」
ルチアが大声で呼びかけてくる。
「おお。まぁ、俺が出るくらいまでは大丈夫――」
言葉と重なるように爆音が響いた。
(やべぇ!)
本格的に身の危険を感じ、ジョエレは一心不乱に外へと駆けた。
なんとか屋外に出て後ろを振り向くと、2階の床が崩れたようで、1階にまで勢いよく火が回り始めている。
「ほらお前達。ぼさっとしてないで、消防が来る前にずらかるぞ」
「ずらかるって、ちょっと! この火、ジョエレが点けたんじゃないの!?」
肩を押して強引に走らせると、振り向いたルチアが抗ってきた。
「あんな死に方してたのが明るみになったら、婆さんが奇異の目に晒されるだけだろ? 世の中には知られない方がいいこともあるもんさ」
「そんなのでいいの!?」
「いい! 俺が許す!」
「捕まったら豚小屋行き間違いなしだよな、これ」
「それが分かってるならさっさと走れ」
最後の方は声を殺しながら言う。
3人が闇に紛れる背後で、邸宅を舐める炎が一層燃え盛った。さながら送り火のように。