6-5 ショートカット
「貴様、ふざけるのもいい加減にしろ!」
怒声が飛んだ。この声はレオナルドだ。
「ふざけてないよ。僕は大真面目さ。遊びは真剣に取り組むポリシーだからね。じゃ、時間のカウント始めるよ」
宣言した《悪魔》は舞台の縁に座り足をぶらぶらさせている。
そんな彼を狙ったものか、近くで発砲音がした。けれど《悪魔》はぴくりとも動かない。そもそもが届いていないのだろう。
(ここからじゃ、狙撃銃しか射程が届かないだろうし)
当然そんなものは持ってきていないし、無いなら撃つだけ弾の無駄だ。
ジョエレは手すりから身を乗り出し選帝侯のブースを見回した。幸い近くにレオナルドの姿がある。
「ディアーナ。レオナルドに廊下に出てくるよう言ってくれねぇ?」
ディアーナは一瞬不思議そうな顔をしたけれど、すぐに頷いた。
「ボルジア卿、あなたの力を借りたい。話をしたいから廊下に出てきてもらえるかしら」
彼女の発言に、選帝侯だけでなく、他の観客達の視線も集中する。人目から逃れるためにジョエレはダンテの後ろに下がった。
「承知しました」
レオナルドから生真面目な答えが返ってくる。姿はすぐに奥へ消えた。
「すまねぇな。ちょっと話してくる」
ジョエレも廊下へ出る。
レオナルドは出入り口のすぐ外まで来てくれていた。顔を見せたのがジョエレで少し驚いているようだが、普通に話しかけてくる。
「お前も来ていたとはな。この場合は好都合と言うのかもしれんが。私を呼んだのはお前か?」
「そ。他の選帝侯の手前、俺が前に出るわけにはいかねぇからよ」
「オルシーニはお前が動くのか?」
「ああ」
「私を呼んだ理由は?」
「俺は《悪魔》をぶちのめしに行くけど、あっちに着くまでの間、あいつも手を出してくるって言ってただろ? それも、対象はオペラ座にいる人間全員」
「言っていたな」
「お前が一般客を守ってやって欲しい。オペラ座に詰めてる警備員達、お前なら上手く使えるだろ?」
選帝侯が観劇するとあって今夜は警備が厚かった。その戦力を一般客の警護に回してやれば、多少は民心が落ち着くはずだ。無闇なパニックを起こす確率は減るだろう。
こういう時に警戒すべきはパニックだ。
恐慌に陥り、収拾のつかなくなった集団ほど厄介なものはない。
レオナルドは難しい顔で少し悩んでいたけれど、
「間違いないな。役割分担もそれが正解か」
頷いた。そうして、スーツの隠しから1本の短剣を取り出しジョエレに渡してくる。
「使徒シモーネが持っていた物だが、現在は空席なのでな。代わりに私が持っていた。お前は聖遺物を扱えるらしいな? 持っていけ」
「いいのか?」
尋ねながらジョエレは短剣を受け取る。
短剣の名称は《光の剣》。ご丁寧に20パーセントまで励起してあった。
「私が持っているより役に立つだろうからな。ともかく、元凶のあいつを排除せねば始まらぬし」
「それじゃ、ありがたく」
「使徒アンドレイナに電磁フィールドを張らせる。銃は使えなくなるものと思っておいてくれ」
立ち去ろうとしていたジョエレは動きを止めた。
「マジで? 俺今日銃しか持ってなかったから、危うく丸腰で突っ込むハメになる所だったわ」
レオナルドがこちらをじっと見つめてくる。
「先日持っていた杖のような物は持っていないのだな? あの時は聞きそびれたが、あれは何だ?」
「黙秘だ。じゃ、行くわ。これ、ありがとうな」
今度こそジョエレは身を翻した。
1階に降りるためエレベーターに乗ろうとして、ふと足を止める。反転してオルシーニのブースに戻った。
入ってすぐの席にディアーナが座っている。
「話はついたのかしら?」
「一般客はレオナルドに頼んできた。ついでに《光の剣》借してくれたぞ」
手短に説明しながらブースの端まで行った。
そこから見下ろして1階までの距離を目測してみたが、そこそこ高い。考えなしに飛び降りたら怪我をしそうだ。
けれど、ここはVip席。ブースを周囲の視線から隠すためのカーテンが掛かっている。これを割いて縄にして、伝ってやれば安全に降りられるだろう。
休憩時間を延ばしたくらいなのだから、通路には妨害が施されていると考えられる。けれど、飛び降りてショートカットしてしまえば、わざわざ攻略しなくていい。
危険度は減るし、馬鹿げた茶番もさくっと終わる。いいことずくめだ。
「テオ、ダンテ。カーテンを割いて縄にするからよ、お前らちょっと手伝え」
布地を確保するために、手の届くぎりぎりの高さに短剣を突きたてる。一気に裂こうとしたら舞台から声がした。
「あー。そこでカーテンを破ろうとしてる《愚者》さん。そのズルは無し。勝手に道作ってくるとはちょっと考えてなかったよね」
「何でもありって言ったのはお前だろうがよ」
「そうなんだけどさ。そんな事されると、折角の妨害が役に立たないじゃない? それじゃ悔しいからそれは無し」
「そっちの都合なんて知るかよ」
構わず作業を続ける。すぐに背後で悲鳴が上がった。
振り返ると、平土間席前方の人々が後ろに逃げようとしている。逃げていない最前列の人々は頭から血を吹いていた。
「止めろって言ってるよね? 止めるまでこいつら殺すけど」
観客席からの悲鳴が大きくなる。
騒がしそうにしている《悪魔》の指が動くと、舞台近くにいた観客の首が飛んだ。
「君らもさ、うるさいから静かにしてよ。君らの役割は劇を盛り上げるエキストラなんだからさ。黙って席に座ってればいいんだよ」
観客達の叫びが止んだ。心配そうな視線がジョエレへ向けられてくる。
舌打ちし、ジョエレはカーテンから短剣を引き抜いた。
ここで無闇に人殺しを誘発すればオルシーニの評判を下げる。それは駄目だ。
「すぐにそっち行くから、首を洗って待ってろよ」
吐き捨てて廊下へ向かう。
「ジョエレ、俺も行こうか?」
珍しくテオフィロが手伝いを申しでてきた。
「あたしも」
ルチアまでそんな事を言いだす。
「アモーレと一緒に行くのはステフだもん!」
「ワタシはここでのんびりしてるわ」
「お前は働けよ!」とダンテをしばきたかったが、心の内にしまって、ジョエレはため息をついた。
「いい。お前らはここでディアーナを守ってろ。ルチア、お前は無理すんなよ。あと、銃は使えなくなるから、何かあったらそれ以外で対処しろ」
「ぶ〜」
不服そうなステファニアは頭をぽんぽんと叩いてやり落ち着ける。
「気を付けて」
ブースを出る直前ディアーナが言った。
「行ってくる」
ジョエレの返事も一言だった。
廊下に出るとスーツ姿のバルトロメオがいた。
「どうした? ボルジア家なら2つ横だぞ」
「お主1人では大変だろうと長官が仰ってな」
「ああ、手伝いか。あいつ気がきくな」
素直にレオナルドの好意に甘える。
寄越してくれたのがバルトロメオだったのは良かった。他の者であればどうしても気を使う。こんな時にまで気遣いに神経を回したくない。
「話は済んだかえ?」
近くから女の声がした。
よくよく見てみると、バルトロメオの陰に黒髪を結い上げた女性が立っている。珍しい東方風の着物に身を包み、40代中頃くらいに見える彼女だが、ジョエレの記憶には無い。
「そちらのご婦人は?」
「イザベラ・デステ卿。エステ家の現当主だ」
バルトロメオが紹介してくれたが、彼女がここにいる理由が分からない。
エステ家といえば広く文化芸能を保護している家で、このオペラ座も管轄している。責任者として協力してくれるのかもしれないが、どうやって? という疑問が同時に浮かぶ。
とりあえず、失礼にならない程度に挨拶をしておいた。
「デッラ・ローヴェレに動ける人間はおらぬだろうから、待つ必要はないな。着いてこりゃれ」
詳細を言わず彼女は歩き出す。
どうしたらいいものか悩むが、無碍に扱うわけにもいかない。大人しくついて行くことにした。




