6-3 チェネレントラ
19:30。
すっかり夜の帳が降りた中でも白大理石で作られたオペラ座は良く映える。その巨大な建物前の広場に1台のリムジンが停まった。
運転手が後部座席の扉を開けると、金髪をオールバックにした男が降りてくる。ダークグレイのスーツ姿の彼は横にずれるとすぐに片手を出し、そこに、車内から女の手が乗せられた。
「丁度いい時間に着いたな」
「そうね」
ディアーナが車から出やすいようにジョエレは手を引いてやる。あと4人降りてくるので、つっかえないようにその場を離れた。
「なんでマンマのエスコート役がアモーレで、私にはダンテなの!? 換えてよ!」
後ろでステファニアが騒いでいるが、当然のように無視だ。ルチアとテオフィロの組は慣れないながらも何とかするだろう。
全員揃ったら館内に向かった。エレベーターで2階に行き、割り当てられたボックス席に入る。
馬蹄型の会場にはまだ人がまばらだった。
開演10分前くらいになると人の移動がせわしなくなる。幕があがるのは20時だったけれど、少し早めに来たお陰でごたごたに巻き込まれずに済んだ。
後は始まるのをのんびり待つだけだ。
部屋の中でも一番奥の席にジョエレは座り、ぼんやりと会場を眺める。
久々のオペラ座は昔と変わらない。
カーテン、椅子の布張り、壁紙といったものは全てワインレッドに統一されていて、彫刻を施された柱は金箔で彩られている。天井には一面を覆うフレスコ画。豪華な造りながらも落ち着きがあるのは、積み重ねてきた歴史のお陰かもしれない。
(最近ほんとに来てなかったな)
思い返してみると昔はちょこちょこ訪れていた。
今回のようなチャリティ公演はなるべく出席するようにしていたし、身分を隠して、私人としてアウローラと来た事も少なくなかった。
徹夜明けにクラシックコンサートに来て、うっかり寝て彼女に怒られたのも、今となってはいい思い出だ。
「ちょっとアモーレ、まだ公演が始まってもいないのに寝ようとしてない?」
目の前でステファニアが手を振った。
ジョエレがそれに気付いて視線を向けると、にこっと笑って手を引っ張ってくる。
「ねぇ、一緒に前の席で観よ?」
「観ねぇよ」
ジョエレは動かずにルチアとテオフィロに顔を向ける。
「オペラ初めてなテオが前に座れ。やっぱ前の方が良く見えるからよ。俺は何度も観てるから後ろでいい」
「私も後ろでいいわ。後はあなた達で適当に決めなさい」
そう言って、ディアーナはジョエレの横に座った。
「マンマ、アモーレの横なんてずるい! 私がそこがいい!」
「うるさいわね。隣には他の選帝侯達も来ているし、一般客の目もあるのだから黙りなさい。家ならともかく、外では恥ずかしくない振る舞いをしなさいといつも言ってるでしょう?」
ディアーナがちょっと目を細めて普段より低い声を出すと、それだけでステファニアはたじろぐ。ジョエレの言う事は全く聞かないのに、ディアーナには完全服従な辺りに、ステファニアの中での序列が見えた気がした。
「ルチア、前で一緒に観ながら愚痴聞いてよ」
「あたしもパス。テオの後ろがいいから。テオはここね」
しょぼくれたステファニアを振ってルチアはテオフィロに座席を指定し、自らはその後ろに座る。
「じゃ、ワタシはテオ君の横っと」
テオフィロの横は即ダンテで埋まった。
「何この誰からも求められてない感。泣きそう」
身体の前で指をいじいじさせながらステファニアはダンテの横の席に行く。腹いせか、途中で兄を1発殴っていた。
それでも喧嘩には発展せず若者4人でお喋りが始まったので、収まる所に収まったのだろう。
「お前も前じゃなくてよかったのかよ?」
冷やされていたスパークリングワインをジョエレは開ける。2つのグラスに注ぎ、1つはディアーナに渡した。
受け取ったそうそう彼女が口を付ける。
「あなたじゃないけど私も散々見ているし。それに、離れていたら話が出来ないでしょう?」
「それもそうか」
ジョエレも頷いてワインに口を付けた。
「で、話は?」
声量を落として話を促す。
同じタイミングでオーケストラの演奏が始まった。もうすぐ劇が始まるのだろう。
「あなたが投げ出したチヴィタでの騒動。顛末が気になってるかと思って」
ディアーナも声を小さくした。
「教皇庁の完全勝利って新聞には載ってたけど?」
「表向きはね。教会軍、反乱分子ともに、ほぼ死者が出ずに終息した部分が特に高評価みたい。途中でレオナルドがさらわれたでしょ? あれも、単身チヴィタに乗り込んで使徒ジュダを止めるため、って話で落ち着いたみたいで。実際ジュダを捕らえてきた彼の評価はうなぎ登り」
「ふーん。いいんじゃねーの?」
ジョエレは特に何の感慨もなく相槌を打った。
お膳立てをしたのはジョエレだが、最終的に流血を抑えて終らせたのはレオナルドの手腕だ。多少事実が歪められているようだが、文句をつけるほどではない。
「表向きってんなら、実態はそんないいもんじゃねーんだろ?」
「当たり」
ディアーナが優雅に脚を組んだ。
「《穿てし魔槍》は奴らに持って行かれてしまったし、ジュダを始め、《十三使徒》が欠けたのは戦力として大損害よ。ジュダって、あれで結構優秀な人材だったみたいで、次の局長決めが難航してるみたい。使徒も欠けたままだし」
「そりゃあちょっと痛いな。当のジュダの量刑はどうなったんだ?」
「無期懲役ね。教皇庁に弓を引いたわけだし、逃亡の際に殺人もしてる。何より、《穿てし魔槍》を紛失させたのが大きかったわね」
「よくそれで死刑にならなかったな」
「どこかからか圧力が掛かって、首の皮1枚で繋がったみたいよ。それでも揉めに揉めたらしいけど。レオナルドの誘拐まで付いていれば確実に死刑だったって話」
「ああ、それでか」
誘拐が隠蔽された理由に納得がいった。
ジュダの死刑を回避するため、レオナルドは誘拐の事実を揉み消したのだろう。
兵たちが2人は仲が良かったと言っていたし、命だけは助けたかったのかもしれない。
公演が始まったようで歌声が流れてきた。
会話に向いていた意識を前へ向けると、オーケストラの向こう側の緞帳が上がっている。舞台では役者達が歌っていた。
チェネレントラの話は18世紀南イタリアの田舎町が舞台だ。
主人公であるチェネレントラは男爵家の三女として生まれながら、贅沢に暮らす2人の異母姉と継父に召使いのように虐げられていた。
そこに、乞食が食べ物を求めて訪ねてくる。姉2人は相手にせず追い払ったが、チェネレントラはこっそり食べ物を与えた。
実はこの男、王子の教育係の哲学者で、王子の花嫁を探すために、変装して花嫁の見定めをしていたのだ。
「なんかワタシってチェネレントラみたいよね。母や妹やジョエレにまで適当に扱われて」
ダンテがため息を付いた。
そんな彼の脇をステファニアが突く。
「何? あそこまで虐げられたいの?」
そんなセリフを笑顔で言うから怖い。頷いたりした日には、本当に虐待が始まりそうなあたりが更に怖い。
ダンテもそれを感じたのか、不必要な返事はせずにいた。




