6-2 観劇への招待状
「色々曲解するな。ディアーナが頼むから付けただけだろ」
チョップを落としたついでに、ジョエレはステファニアの頭を拳骨で挟んでぐりぐりする。
「いやーっ! 痛い、痛い! けど、これも愛の鞭だよねっ」
「……」
そんなはずがない。
けれど、痛みさえ喜んでるような奴をどうすれば矯正できるか分からない。そもそもが、ディアーナに頭を踏みにじられて喜んでいたエルメーテの娘だ。遺伝としかいいようのない性癖なんて変わるはずがない。
ステファニアの認識を改めさせるのは諦めて、押しやって離した。
「そういやルチア、お前もこいつらと知り合いだったんだな?」
ステファニアが抱き付いてきた時、ルチアはジョエレより早くステファニアの名を呼んでいた。それも愛称で。
ある程度以上の関係でなければとっさに出る反応ではない。
「うん、まぁ、色々と」
ルチアは言いにくそうに視線をそらし、言葉も濁した。
「ていうか、ステフ、なんなのよそのうざい態度。あんたさっくりした性格でしょうが。それに、なんで目に星が浮かんでるのよ。少女漫画でも見すぎたの?」
話題を変えるためか、急にステファニアに話を振る。
ステファニアが小動物のように小首を傾げた。
「アモーレ用の愛されキャラ?」
「キャラ変えんなよ」
ひたすらに疲れてきて、ジョエレはげっそりと呟いた。
「騒がしいわね。ここ、病院なのよ?」
混沌としかけていた廊下に冷静な声が舞い降りる。
診察室から出てきたディアーナは自らの子供達には目もくれず、まっすぐにルチアのもとへ行った。そうして小さな薬袋を出す。
「はい、ルチア。胸が苦しくなったら飲みなさい」
「ありがと」
ルチアはそれをポーチにしまった。
横ではステファニアが全力で訴えを起こしている。
「ねぇマンマ。アモーレが結婚してくれないんだけど」
「あなたの魅力が足りないからじゃない? 頑張りなさい」
ありえないディアーナの返しに、ジョエレはうっかり頭を壁にぶつけた。
「おい母親。お前それでいいのかよ?」
半眼で訴える。
ただ、この親にしてこの子ありと思わないでもない。
ディアーナは表情ひとつ変えず、けれど、疲れ気味な雰囲気を見せる。
「もう25なんだし、それくらいの分別は付いてるでしょ。それに、エルメーテみたいな男を連れてくるよりはあなたの方がマシだわ」
「すげー消極的肯定なんですけど」
「じゃぁあなた。この子がエルメーテみたいなのを連れてきたらどうするのよ?」
「全力でぶっ飛ばすに決まってるだろうが」
即答した。
エルメーテは親友だが、男としては間違いなく屑だ。
娘同然に成長を見守ってきたステファニアがそんな男を連れてきた日には、間違いなく却下する。エルメーテだって、生きていれば止めろと言っただろう。
「そりゃパーパって言われるわよね。発言、どこまでも父親じゃない」
ダンテが冷めた目で見てきているが、それとこれとは話が別だ。
ステファニアにしろダンテにしろ、いくつになっても心配の種は尽きない。なぜこんな子供達に育ってしまったのか、教育を施した親の顔が見てみたい。
ディアーナが味方になってくれるからかステファニアに元気が戻った。ご機嫌にジョエレの横に来ると、腕に手を添えてくる。
「ねぇねぇアモーレ。今度ね、チャリティでオペラがあるの。一緒に観に行かない? デートしよ?」
「だから、そういうのは彼氏と行けと」
もはや注意もだるくて、ジョエレは立ち位置をずらしてステファニアから逃げた。彼女が追いかけてくるのでジョエレはまた逃げる。それをステファニアが――というのを繰り返していたのが煩わしかったのか、ディアーナがステファニアの首根っこを掴んだ。
「この子のデート云々は別にして、たまにはいいんじゃない? 私も行くんだけど、選帝侯出席の公演だから楽団もキャストも豪華よ。ジョエレだけじゃなくて、ルチアと、テオフィロだったかしら。あなた達も来なさい」
「あたしも?」
「俺も?」
ルチアとテオフィロが目をぱちくりとさせ、互いに顔を見合わす。
ようやくステファニアから解放されたジョエレは椅子には座らず壁に背を預けた。
「演目は?」
「チェネレントラだったかしら?」
「ふーん」
随分と昔に観た演目の内容を思い出す。
チェネレントラは童話シンデレラを基にして作られた半喜劇だったはずだ。カジュアルな方の演目なので、オペラが未経験っぽいテオフィロにも観やすいだろう。
「観やすい演目だし、たまにはいいかもな。どこの席取るかなー」
気楽さを取るなら、最上階と天井との隙間に設えられている天井桟敷だ。けれど、初めてならば良い席で鑑賞した方がいい。となると、舞台の真ん前にある平土間を選ぶべきか。
「私達と一緒に座ればいいわ。3人で行くつもりだったから席に余裕もあるし」
「Vip席か。ってなると、テオ、お前のスーツ買いにいかんとな。周りもスーツだろうし」
テオフィロの方に顔を向けると、なんとも心配そうな表情をしていた。
「俺、オペラなんて行ったことないけどいいの?」
発言も、いつもの彼と比べ随分としおらしい。苦手としている富裕層の中に放り出されるようなものだから、それも無理からぬ事なのだろうが。
心配を解すため、ジョエレはテオフィロの隣に行き、頭をぱんと叩いた。
「いいに決まってるだろ。それに、初めての時は良い場所で観た方がいいもんでな。良かったな、Vip席で。あそこ舞台の正面だから音が綺麗に聞こえるんだよ。ちーっとばかし舞台から遠いのが玉に瑕だけど。ほれ立て。さっさと帰るぞ」
頭を叩かれたテオフィロは一瞬むっとしたけれど、すぐに小さく笑って立ち上がる。
ジョエレとテオフィロが歩き出したらルチアも追いかけてきた。
「あたしにも服買ってよ」
図々しくそんな主張をしてくる。
「お前色々持ってるだろ。おじさんにたかるんじゃない」
クローゼットの中は満タンだというのに、どこに収納するつもりなのだろうか。
「ああ、どんどんおまけが増えてデートから遠ざかっていく」
泣きそうなステファニアの声が聞こえたが、デートから遠ざかってジョエレはほっとした。




