5-23 右の頬を殴られたら
エアハルトの消えた場所を一睨みしジョエレは身を翻した。
想定外1人退けたからといって事態が終息するわけではない。作戦の大筋に影響させずにすんだだけだ。
(ジュダは)
バルトロメオを先行させた方向に目を向けると、すでに誰も動いていなかった。
正確には、動けなくなっていたというのだろうか。
ジョエレが合流した時、レオナルドとジュダは力尽きたようにしゃがみ、互いに背を預けあっていた。
「ケリは着いたのか?」
そんな2人を見下ろしバルトロメオに尋ねた。聖遺物の回収も問題無くできたようで、全て彼の身に付けられている。
「問題ないぞ。いつもながら熱い闘いだった」
「だろうな」
無駄に熱かったのは、ボロボロの2人の顔を見れば一目瞭然だ。
賢い行動かと問われれば疑問しか出ない。それでも父親と比べれば好感が持てる。
クラウディオは文句しか言わなかった。
レオナルドは動いていた。
こんな事をしていた理由は分からないし、最良の行動とも思えないけれど、事態解決に向けて足掻きはしたのだろう。
小さいように見えて大きな違いだ。
「聞かない声だな。お前誰だ?」
怪訝そうにジュダがジョエレを見上げた。
うな垂れ気味だったレオナルドも顔を上げ、後ろに傾ける。
「お前でも分からないのか?」
「分からん。局員はなるべく覚えるようにしてるんだがな。チラチラこいつの戦いは見ていたんだが、あんな戦い方をする奴など心当たり無い。異端審問官の格好はしているが、違うだろ?」
「まぁ、誰でもいいじゃねぇか」
「良い訳があるまい! 某にだけならともかく、長官と局長にまでその態度とは何事だ!?」
真横でバルトロメオが怒鳴った。かと思うと強引にジョエレのフードを剥ぎ取ってくる。更に、頭を下げさせようと頭を押さえてきた。
「痛えぞバルトロメオ」
頭を上げようと抵抗したけれど、バルトロメオの力が無駄に強くて上半身が上がらない。それでもじたばたしていると、何を思ったのかバルトロメオまで頭を下げる。
「こやつの無礼は某が謝罪致します! 彼はジョエレ・アイマーロ。先日報告したオルシーニ卿配下の者です。長官も参事官もいない中、彼なら軍の指揮統制がとれるとの話でしたので、某の一存で参謀として協力を依頼しました」
「参事官がいない? 軍の指揮をしていたのは参事官ではないのか?」
「参事官なら俺が切った」
「彼まで手にかけたのか」
レオナルドが疲れたように肩を落とす。
「身近な者達を斬り、無関係な者まで巻き込んで、お前の気は済んだのか?」
ジュダは考えるようにやや上方に視線を彷徨わせていて、
「どうだろうな?」
随分と曖昧な答えを返した。遠くへ視線をなげたまま、どこか独白のように言葉を続ける。
「クラウディオへの恨みをお前にぶつけてみたが、自分が惨めになっただけだ。クラウディオ本人を殴ればまた違ったんだろうがな。今となっては、俺は本当にこんな事がしたかったのかさえ分からん始末だ」
「お前ともあろう者が愚かなことだ」
ジュダと背を預け合ったままレオナルドがため息をついた。
「そんな思いをせぬよう教義は復讐を禁じておるのだ。右頬を殴られたら、左頬も差出せとな」
「俺は聖人じゃないからな。そんな事はできんさ」
「同じ事をしろとは言っておらん。ただ、非道に対して復讐をしては、お前もクラウディオと同じレベルにまで身を落とすだけだ」
なんとも聖職者らしくレオナルドは説教する。ジョエレは皮肉を込めて拍手してやりたくなった。
――右頬を殴られたら、左頬も差出せ
何かを訴える時、暴力に頼る場面というのはとても多い。
そんな中にあって、人の在り方として、暴力は使わず、暴力に屈しない姿勢を教えているのだと。意思表示の1つであるとベリザリオであった頃は解釈していた。
けれど、そんな言葉は偽善だ。
実行が難しいからこそ、教義として行動を戒めてくれているのは分かる。けれど、いざその状況に叩き落とされた時、言葉の虚しさに空寒くなったものだ。
殴られた側の痛みなど知らずに、相手を許せだなど慈愛の仮面を被って教えていたのだと思うと、今となってはぞっとする。
だからだろうか。
「俺はそうは思わねえけどな」
少し、反論したくなった。
「復讐の何が悪い? 世のなか勝手に改心してくれる善人だけじゃない。そういう連中はしっぺ返しを食らった方がいいだろうさ」
「それでは復讐の連鎖になるだけだぞ」
レオナルドからは教科書通りの答えが返ってくる。
「なら、それ以上復讐されないように、相手を徹底的に潰せばいい」
ジョエレの唇から、自分でも不思議なくらいに冷たい声が漏れていた。
「レオナルド、お前、妻子はいるか?」
「いるが、それが?」
「そいつらを突然理不尽に殺されて、ついでに親友も巻き添えで殺されてみたら。その上地位も名誉も、それまで築き上げてきたもの全てを奪われたら。それでもお前は同じセリフを吐けるのか?」
半分睨みつけるように問う。
「私は――」
レオナルドがたじろぐ。けれど、すぐにジョエレを見返してきた。そうして毅然と背筋を伸ばす。
「それでも私は同じ事を言おう。そうでなければ、父のような屑と同じ人間になってしまうからな」
「そうか」
ジョエレはふっと微笑んだ。
「それならそれでいいだろうさ。むしろ、枢機卿ならそうじゃなきゃな」
馬鹿正直に道を説ける者だから救える者もいる。一般人にとって必要なのはそういう人間だろう。
ジョエレやディアーナのように暗黒面に堕ちる者などこれ以上出るべきではない。
本当は、ディアーナの恨みもジョエレが引き受けてやるべきだったのだ。
けれど昔のジョエレは弱過ぎた。自分すらまともに保てなくて、彼女に仮初めの目標を与えられ、ようやく生きる気力を得られたほどに。
(あー、いけね)
つい感情的に雑談に加わってしまったけれど、そんな事をしている場合ではない。
「ところでジュダ、1つ質問がある。還幸会の事をどの程度知っている?」
「かんこうかい?」
ジュダが単語をおうむ返しにしてきた。
(ひょっとして、名前すら知らないのか?)
不安が首をもたげた。けれど、これだけで何も知らないと決めつけるには早すぎる。
「お前に取引を持ちかけてきた連中だ。組織の拠点や構成員の情報は?」
言葉を崩し、もう1度尋ねてみた。
今度はジュダも理解の反応を示す。けれど、出てきたのは首を横に振る仕草と、
「知らない。俺が知っているのは、お前がさっき戦っていた男が頭ひとつ偉いということだけだ。あいつですら名前も知らないが」
残念な言葉だけだ。
「そうか」
短く言い、ジョエレはきびすを返した。
「待てジョエレ・アイマーロ。お主どこに行く気だ?」
慌てた声音でバルトロメオが尋ねてきたが足は止めない。得られる情報が無いのなら、この場に留まる理由がない。
「帰るんだよ。レオナルドとは合流できたし聖遺物も奪還済み。ジュダが《穿てし魔槍》を持ってないなら俺なしでもどうにかなるだろ。あ、この修道服、後で洗って返すわ」
「このタイミングでか!? 普通最後まで付き合うものだろう!?」
バルトロメオがジョエレの肩を掴んできた。
仕方がないのでジョエレは立ち止まり、バルトロメオの手を払う。
「うっせーな。俺はこの件がどう決着しようが興味ないし、本来お前達の仕事だろうが。俺は遊びに来てただけなの。なのに、ガキ共を放置して好き勝手してるとめちゃくちゃ怒られるんだぞ! お前が代わりに2人に叱られてくれんのか!?」
「お主の都合など知るか!」
「俺だって、お前らの都合なんて知らんわ!」
「いい加減にせんか、お前達!」
横から怒声が飛んできて、ジョエレとバルトロメオは揃って身を竦めた。
「彼の言う通り、これは我々の問題だ。無理に引き止めるものではない」
レオナルドがバルトロメオをたしなめる。けれど、「ただ」と前置きしたレオナルドは、ジョエレに顔を向けてきた。
「アイマーロと言ったな。その組織について、お前やオルシーニ卿は知っているのか?」
「それを聞いてどうする」
「教えてくれ。私もそいつらの情報を集めているのだ」
「何のために?」
「あいつらは」
レオナルドが俯いた。拳をきつく握り、再びあげた顔の中で、瞳には怒りが揺れている。
「様々な事件の裏にいる。特に、悪質なものの背後にはほぼ必ず。ベリザリオ卿の死亡にも奴らが関わっていた形跡があったのだ。そんな奴らを野放しにはしておけん!」
レオナルドが真っすぐジョエレを見つめてくる。ジョエレは視線を外した。
教えられるほどの情報などジョエレも持っていない。多少は知っている事もあるけれど、有益な情報かといわれれば微妙だ。
それでも少し様子が気になるので、話は続けてみる。
「お前が今持っている情報はどの程度だ?」
「そういう存在がいるという事だけ」
「なら下手に関わるな。戻れなくなるぞ」
「関わるな? 私は教理省長官だぞ? 私が奴らを取り締まらずに誰が動くというのだ!」
レオナルドの身体が前のめりになった。ジョエレの答えが不服だったのだろう。気持ちは分からなくもないし、志は立派だと思うが、そういう類の話ではない。
「とにかくこの話は終わりだ。じゃぁな!」
素っ気なく突き放してその場から逃げた。
枢機卿として正しい在り方を貫きたいというのなら、レオナルドは還幸会と関わるべきではない。
裏社会の住人に深く関われば、嫌でも自分もそちらに引きずられる。下手をすれば明るい世界に戻れなくなる可能性だってあるだろう。
今ならまだ影響は無い。彼はここで止まるべきだ。
(お前まで俺みたいになるんじゃねぇよ)
それが、生真面目そうな後輩に対してできる精一杯の忠告だ。




