5-21 《隠者》レレミータ 前編
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「そろそろ終着点だな」
呟いて、ジョエレは麻酔薬の散布を止めた。
チヴィタ麓に出てきているゴロツキは見える限り全て倒れているので、これ以上散布を続けても気絶時間を延ばす効果しかない。
杖の柄は少しだけ熱くなっていた。けれど、まだまだ余裕がありそうに見える。
(結構頑丈に作ってるじゃねーか。たまにデキル男っぷりを発揮してくれるよな、エルメーテ)
苦笑しながら杖を左手に持ち替え、右手に銃を握った。
前方に小さく見える人影に目を細めながら、足は緩めず走り続ける。
「殴り合いしてる奴らがいるけど、あれがレオナルドとジュダか?」
ジョエレが尋ねると、並走しているバルトロメオも目を細める。
「遠過ぎて断定できんが、それっぽく見えるな」
「あいつらなんで殴り合いなんてしてんだ?」
レオナルドの傍に聖遺物が見えた。
見たところジュダは《穿てし魔槍》を持っていないので、武器を使えば簡単に突破できるはずだ。
なのに、あの様な茶番をしているだなんて、レオナルドが囚われたままだと軍に悪影響と分かっていないのだろうか。
ジョエレなら絶対にとらない行動すぎて、意味が分からない。
「某に聞かれても困るのだが。しかし、長官と局長は、言いたい事がある時は、共に酒を飲むか、ああやって拳を合わすかが常であったからな。それかもしれん」
「なんだその面倒臭え関係」
「熱く男らしくて良いではないか。某もいつかは、あの2人の様な関係になれる友に出会いたいものだ」
2人を見つめるバルトロメオの視線に羨望の色が混ざる。
気持ちが全く分からずジョエレは顔を背けた。
教理省は昔から体育会系気質が強いが、こんな者達ばかりになっているのだとすると暑苦しくてかなわない。自分の周囲にいる者達は、今も昔もサバサバした性格ばかりでほっとした。
(ま。悪いけど、水は差させてもらうがな)
銃を構え、ジュダの足に狙いを定める。
ジュダが《穿てし魔槍》を持っていない今こそ捕縛のチャンスだ。銃撃に威力を求めるなら射程外だが、距離があるからこそ、威力が落ちて殺す心配がない。
争う2人の動きを先読みし、引き金を引こうとした。
――けれど、違和感を覚え、ジョエレは横に飛んだ。飛んだ先には運悪くバルトロメオがいて、うっかり押しのけてしまったけれど、まぁ、仕方ない。
「突然なんだ!?」
当のバルトロメオは目を点にさせている。
「なんなんだろうな? 俺が聞きたい」
先ほどまで自分が走っていた場所に刺さっている物をジョエレは睨んだ。
トランプのような見た目の紙に見えるが、地盤の固い荒野に突き刺さる紙などありえない。投げるだけにしても、空気抵抗が邪魔をして長距離は飛ばせないはずだ。
ならば、投擲者は近くにいていいはずなのに、周辺には誰もいない。
(相手に繋がるのはこのカードか)
再度の投擲を警戒しながら地に刺さったカードを引き抜く。絵柄を見て、ジョエレは眉間に深く皺を刻んだ。
晴天の下、崖ぎりぎりを歩く旅人の絵が描かれている。
(《愚者》のカード)
大アルカナのタロット、それも、よりにもよって《愚者》を選んでくる者など限られている。
(聖母還幸会。こんな時にかよ)
犯人の目星が付き緊張を高めた。
邪魔をされるタイミングとしては最悪だ。還幸会は根性が悪い。それを考えれば、むしろ、こんな時を狙ってきたのかもしれない。
「バルトロメオ、お前、ちょっと先に行ってレオナルドとジュダ止めてこい」
「突然どうした?」
「お誘いを受けたんでな。相手してやらんといけなくなった」
「ならば某も」
中々動かないバルトロメオにジョエレは銃を向ける。
「今一番しなければならない事を間違えるな。いいか? 両陣が止まってる今だけがチャンスなんだ。今のうちにジュダを無力化しろ。最低、《穿てし魔槍》と確実に引き離すだけでいい。それだけで流れる血が大きく減る。言っている意味は分かるな?」
バルトロメオがそろそろと後退する。無言で頷いた後チヴィタへ走り出した。
一瞬チヴィタへと向けた視線をジョエレが荒野に戻すと、今までいなかった男が立っている。金髪に銀縁眼鏡をかけた彼の手に握られているのは、警戒していた物の1つ、《穿てし魔槍》だ。
銃口の向きを彼に変える。
「何カ月か前にヴァチカンで眼鏡談議をした時以来だな」
「覚えていてもらえましたか? 忘れられてるだろうと思っていたので、再会の挨拶をするか、初対面を装うか迷っていたんですが。杞憂でしたね」
「たまに記憶力がいいんでな。せっかく見つけた眼鏡好きなのに残念だぜ」
会話中であることなど気にせず発砲した。
けれど、弾は金髪眼鏡の顔の前で止まり、ぽとりと落ちる。
「どいつもこいつも、還幸会に入ると手品の特訓でもさせられんのか?」
弾を入れ換え強化弾を撃ってみても通常弾と同じ動きしかしない。弾の威力で貫通できる種類の防御ではないらしい。
金髪眼鏡は落ちる弾丸を視線だけで追い、次いで、ジョエレに顔を向けてくる。
「私が還幸会の一員だとご存知だったんですか?」
目の前まで弾が迫っていたというのに、彼が怯える雰囲気は一切ない。それだけ、防御に絶対の自信があるのだろうか。
ジョエレが足元の小石を蹴ってみると、石は普通に金髪眼鏡の方に飛び、彼の靴に当たって止まる。
相手の防御は自然物に対しては働かないものか、《女王の鞭》のように、銃弾防御に特化した何かなのかもしれない。
細かな確認をしているのを相手に悟らせないように会話も続ける。
「気付いたのは猫好きの婆さんがテレビに出てた時、部屋に白百合が生けられてるのを見たからだけどな。お前らいつもいつも、ご丁寧にあれを置いていきやがるから」
「白百合と我々の関係までご存知でしたか。ひょっとして、あなた、以前から私達の存在を知っていたりします?」
「嬉しくないことにな」
「それは結構です。勧誘の前に組織説明からしなければならないかと思っていたんですが、手間が省けました」
金髪眼鏡は眼鏡の位置を直すと、大仰に一礼した。
「聖母還幸会に勧誘に来ました。承諾頂ければ、ご希望の《愚者》の座を用意しましょう。手は、取ってもらえますよね?」
「んなわけねーだろ。《恋人》とか言ってた姉ちゃんに丁寧にお断りしたはずだぞ」
ジョエレは右手に持つ物を銃から杖に変える。
「俺が組織について知ってても驚かないんだな?」
「あなたはディアーナ・オルシーニと関係が深いようですから。彼女はベリザリオ卿と親交が深かった。彼女があの方から我々の存在を知らされていたのなら、その情報を身近な者に伝えている可能性も十分考えられます」
「分からねぇな。俺とディアーナがベリザリオと繋がってると考えるなら、普通敵対すると思うんだが? なんで勧誘なんてしてきやがった」
シアン化合物を合成し、金髪眼鏡の周囲を囲むように散布した。
金髪眼鏡は1歩下がったが、それ以上は動かない。
「彼は彼、あなた達はあなた達ですから。断られれば、受け入れられるまで勧誘すればいい。首を縦に振らせるためのネタなど、いくらでも転がっているものですから」
己の優位を疑わぬように彼が笑った。
(一番弱い所から突いてくる気なんだろう? 昔みたいによ)
嫌な記憶を思い出してジョエレは吠えたくなったけれど、杖を強く握り込んで耐える。
「ジョエレ・アイマーロ」としては、挨拶の手紙を1通貰って数度絡まれた程度だ。やられた事に見合わない行動をとってはならない。
先ほどまいた薬品が効果を現す時間を稼ぐためにも、平静を装って話を続ける。
「ディアーナを勧誘するなら分からんでもないんだがな。俺みたいな一般のおっさんなんていらんだろ?」
半分本気で疑問に思っている事を言ってみたら、金髪眼鏡の目が大きくなった。そうして、信じられないといった風に肩を竦める。
「あなたは自分の価値が分かっていないようだ」
「は?」
そんな事を言われてもジョエレには謎のままだ。
確かにロールではジョエレも暴れた。しかし、それはちょっとした戦闘能力を見せただけで、あの程度動ける人間などゴロゴロいる。わざわざジョエレを選ぶには理由が弱い。
それに、《恋人》の話ぶりだと、あの時点でジョエレはすでに勧誘候補に上がっていた。普段から意識して地味に暮らしているのに、彼らの網に引っかかる理由がわからない。
金髪眼鏡が恍惚の表情でやや上を眺め、喉に触れた。
「声ですよ。あなたの声はベリザリオ卿にそっくりだ。私、卿のファンでして。最近本腰を入れて彼に関するものを集めだしたんです。この槍もその1つ」
「趣味に人様を巻き込むんじゃねぇ!」
あまりに迷惑すぎる主張に怒鳴る。
……と。
金髪眼鏡が顔を歪め身体を折った。
「ようやく効果が出てきたか」
その様をジョエレは見守る。
金髪眼鏡が袖口で口元と鼻を覆い後ろに引いた。
「アーモンドに似た特有の嫌臭。潮解によりこの臭いを発するとは、この粉、シアン化合物でしたか」
「ご名答。気分悪いだろう? 手に持っている槍を寄越して組織の情報を洗いざらい吐くなら、治療薬をくれてやるけど?」
指先がやや震えている男に、ジョエレは治療薬の充填されたアンプル3本を見せた。
潮解:
物質が空気中の水(水蒸気)を取り込んで、自発的に水溶液になる現象。




