5-18 魔杖カドゥケウス
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チヴィタ・ディ・バニョレージョからほど近い丘に教会軍本営は置かれている。
そこで、所轄警官と治安維持軍の混成軍千人弱と共に、バルトロメオが訓練に励んでいた。
「訓練だと思わず気合を入れろ! 訓練で出来ぬことは実戦でも出来ぬぞ!!」
掛け声に合わせ、低く「応!」と声が上がる。兵卒達の意気込みはジョエレが予想していたものよりずっと高い。
それでも、人が集まればお喋りが始まるもので、
「相手が使徒ジュダで、長官までさらったって嘘だろ? あの2人めっちゃ仲いい上に、正義感の塊みたいな人種じゃねーか」
「だよなー。意外と、2人で組んで、大掛かりな実戦訓練かましてきたりしてな」
「死人出てるし、そりゃないだろ」
「それもそうか」
訓練しながらも、兵達はそこかしこで様々な話をしている。この、何気ない情報がジョエレにはありがたい。
昨夜、会議でも出てきた情報だが、レオナルドとジュダ、普段の2人の関係はいたって良好らしい。そのうえ使徒ジュダの悪い話を聞かない。
なぜこんな騒動が起きているのか、原因が本気で分からない。
(にしても、上官が違うだけでえらい変わるな。クラウディオが糞過ぎただけとも言えるが)
我こそがレオナルドを助けると息巻いている兵卒達を眺めながら、ジョエレはしみじみとそう思う。
レオナルドの父、クラウディオが長官だった当時、教理省の職員は明らかに質が悪かった。統制は取れておらず、部隊の指揮官レベルでさえ、クラウディオがさらわれた責任のなすりつけ合いをしていたような有様だったのだ。
それが今では、あまつさえ罪人であるジュダに対してでさえ、申し開きを聞くべきだとの意見が強い。
あまりの変わりように、お前ら本当に同じ組織かと突っ込みたくなる。
「おいお前ら。まだ開戦しねーんだから、訓練で怪我したり疲れ切ったりすんじゃねーぞ」
適度に士気を下げるようにジョエレは声を掛けていく。
「うるせーぞ参謀。身体をあっためとかないと、いざという時が動けねぇだろうがよ」
兵卒の1人が凄みながら殴りかかってきた。
ジョエレは突き出された腕に軽く手を添えて軌道を反らし、そのまま相手の腕を掴んで背負い、投げ飛ばす。
「おめーは確かに身体が温め足りねぇかもしれねぇな。むしろ、普段からもうちょっと気合入れて訓練しとけ」
よく分かっていない表情で瞬きしている兵に言い置き見回りを続ける。
教理省の中でも実働部隊に配属されている者達は、言葉を連ねるより力で押し勝つ方が話が早い。それで後腐れが無いのだから、ぐちぐちと尾をひく国務省の官僚達を相手にするより楽だ。
兵達が巻き上げる砂埃を弱い風が吹き流していく。
(今なら風向きもいい感じなんだが。そろそろあちらさん動いてくれないかね)
都合の良いことを考えながら歩いている間も、いつまでも突撃の指示を出さないジョエレに数人の兵がいちゃもんをつけてくる。その全てを返り討ちにして、ジョエレはバルトロメオのもとに行った。
「バルトロメオ」
ひたすらに木刀を振っている銀髪男に声をかける。バルトロメオが手を止め振り返った。
「む? なんだ?」
「お前、俺がいいって言うまでこれつけとけ」
修道服の隠しから出したマスクをバルトロメオに差し出す。受け取りながらもバルトロメオは首を傾げた。
「埃くらい、某はどうという事ないぞ?」
「そんなの俺も気にしてないけどな」
「某だけなのか? 他の者達に尋ねられたらどう答えれば?」
「風邪ぎみだとでも言っとけ」
「それにしても、随分ときちんとしたマスクだな」
ぶつぶつ言いながらもバルトロメオはマスクをつけた。
それを確認してジョエレは簡易天幕に入る。布で遮られてしまえば、外から聞こえる喧騒も幾分静かになった。
自分以外誰もいない空間で、机の上に広げられた周辺地図を眺める。
天幕に入る前、チヴィタの麓で人の動きが見えた。
決着を着けにきてくれるのなら有難いが、今の段階ではまだよく分からない。
(攻めてくるつもりなら、そろそろこっちでも動きがあってよさそうだけど)
実はそれを待っている。
「参謀、いらっしゃいますか?」
布をまくり女兵士が天幕に入ってきた。
「何だ?」
ジョエレは振り返る。
「チヴィタ周辺で動きが。そろそろこちらも動いた方がいいのではないかと」
「そうだな、俺もそう思う。それだけか? なら、下がっていいぞ」
「いえ」
女が首を横に振った。その手にはいつの間にやら銃が握られている。
「あなたには今のうちにお眠り頂こうか――」
最後まで言い切る前に女の身体が仰向けに倒れた。発砲した姿勢のままジョエレは彼女を覗き込む。
「紛れてる裏切り者、そろそろ動くと思ってたんだよな」
最初から全員が味方だなんて思っていない。レオナルド達の珈琲に睡眠薬を盛った犯人だって野放しのままなのだから。
頭さえ取ってしまえば集団は脆い。
わかっている奴なら、直接指揮官を狙うくらいしてくるだろう。
それを予想して、襲撃があるのを、向こうが動き出すと判断する材料の1つにしていた。
彼女の絶命を確認して銃をしまった。代わりに、服の隠しに潜ませていたものを組み立て1本の杖にする。
バルトロメオに渡したものと同じマスクをつけて天幕を出た。
このマスクはディアーナに頼んで用意してもらった特注品だ。これからの作戦に必要になる。杖も家から取ってきてもらった。
彼女からの援護を受けられる場所だったからこそ、詰みに見えた戦況に抜け道を見いだせた。この幸運には感謝すべきだろう。
チヴィタへと視線を移すと、丘の麓に集っている人数が明らかに増えている。
これからやる事はチヴィタに籠られていると効果が無い。最悪炙り出さないとならないかと思っていたから良い感じだ。
「訓練終わりだ! 素早く迎撃の布陣に移行。いいか、絶対に無理な突撃だけはするな。安全第一で動け!」
ジョエレは大声で指示を飛ばした。
混合軍が荒野に布陣しようと動く背を見ながら、自身は手にした杖を掲げる。
「根性見せろよエルメーテ」
小さく呟き、"御守り"の杖のリミッターを外した。大気や所持試薬を分解して必要元素を揃え、直接フルラン系麻酔を合成。揮発させて大気中に散布する。
いい具合に、風はこちらからチヴィタへ向かい流れている。
しばらく続けていると、自軍に歩みが怪しい者が増えてきた。それを横目にジョエレは駆けだしバルトロメオを探す。
麻酔の筋弛緩作用が本格的に効果を発揮しだして、倒れ込む者が続出していた。
そんな中、バルトロメオは1人慌てた様子で周囲に呼びかけを行っている。
「おい、バルトロメオ!」
「おぉ、いい所に! 兵達が急に倒れ出したのだ!」
「知ってる。やったのは俺だからな。そいつら寝てるだけだから放っておいて、お前は俺と行くぞ!」
説明はすっ飛ばしてバルトロメオの腕を掴み、強引に敵陣へ走った。
「待てい!」
バルトロメオはすぐにジョエレの手を振り払ったけれど、
「敵陣に飛び込むのは構わんが、色々説明しろ!」
走りだけは続けながら聞いてくる。
(さすがに説明ゼロは無理か)
当たり前だよなーとか思いつつ、ジョエレは杖を持っていない方の手で頰を掻いた。
「あー……。兵達がぶっ倒れたのは俺がばら撒いてる麻酔のせいだ。身体への負担が少ない奴だから、特に問題は起きない、はず。ただ、こいつは睡眠導入が早い分覚醒も早い。この場を離れてから動ける時間がともかく無い」
「無害で時間が無いのは分かったが、なぜ兵達を眠らせたのだ?」
「反抗さえしなければ、ジュダの奴、わざわざ殺さないんじゃないかと思ってよ」
教皇庁で強行に出た時、ジュダは無抵抗の者には危害を加えなかったという。
それが彼のポリシーだとしたら、戦場でも同じではないかと思ったのだ。
けれど、無駄に士気が高いせいで兵の抑えがきかない。反乱分子達が攻めてきたら反撃もするだろうし、普通にしていたら武力放棄は無理だ。
だから眠らせた。
今も風に乗ってチヴィタへ流れている麻酔薬で、反乱分子達も動けなくなってきだしているだろう。
ついでにジュダも動けなくなっていれば万々歳だが、仮にも異端審問局の元局長だ。寝てたらラッキーくらいに留めておく。
「確かに局長は無益な殺生をなさるような方ではないが……」
バルトロメオが複雑そうに顔を歪め、マスクに触れる。
「マスクを渡してきたのは、某まで寝ないようにするためか?」
「正解。お前には、ジュダが起きてたら相手してもらわねぇとなんねぇからな」
「その間、お主は何をするのだ?」
「チヴィタに潜ってレオナルドと《不滅の刃》を探してくる。あれがないと、《穿てし魔槍》に対して手の打ちようがねぇ。お前も、俺が戻ってくるまでは上手いこと逃げながらジュダを引きつけろよ」
そこまで言うとバルトロメオの疑問は解消されたようで、後は黙々とついてきた。
荒野を抜けチヴィタの麓まで着く。周辺に倒れているゴロツキ達を踏まないように進んでいると、
「お主、なぜ聖遺物についてそんなに詳しいのだ? それに、手にしている杖のような物は何だ?」
バルトロメオが今更な事を聞いてきた。タイミングはおかしいが、意外と鋭い。
「どっちも内緒だ」
ああ、でも。と、ジョエレはバルトロメオに視線を向ける。
「これを設計した奴は、魔杖カドゥケウスって名付けてたぜ」




