5-14 因縁
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寝床の硬さにレオナルドは意識を取り戻した。
けれど、目は開かないし、口周りも何かに覆われ引きつっている。両手は後ろで縛られ、足も同様のようだ。
喚きながら暴れたくなる状態だったけれど、努めて心を落ち着かせる。
(どういう状況だ?)
生きている五感をフルに使い、周囲の把握に集中した。
レオナルド自身は無造作に転がされている。
床は硬くて冷たい。少しゴツゴツしているので石床かもしれない。
表情筋を動かすと何かがズレるしベタつくあたり、目と口を覆っているのはガムテープだろう。
周囲は物音ひとつしないが、誰もいないとは限らない。意識が戻ったのが知られれば、動けないレオナルドが圧倒的に不利だ。
(情報が足りんな)
寝返りを装って身体を転がした。
1回転では何にも当たらなかった。けれど、これ以上転がるのはわざとらしすぎる。しばらく時間が過ぎるのを待つことにした。
だというのに、
「もう動かんのか?」
レオナルドに意識があると分かっているような問いが聞こえた。それも、随分と近くから。
(この言葉が私に対してのものであるとは限らない)
別人への言葉だというのに下手に反応してしまっては、自ら墓穴を掘ってしまう。聞こえていないふりを貫いた。
沈黙を保っていると、すぐ隣で衣擦れの音と人の動く気配がする。かと思うと、乱暴に髪を掴まれ上方向に引っ張られた。次いでやってきたのは、目と口のガムテープを一気に剥ぐ激痛だ。
せっかく視界が開けたというのに、あまりの痛みに目を閉じたまま顔をしかめるしかできなかった。叫び声を上げなかっただけよく耐えたと思う。
「いつまで寝たフリをしているつもりだ?」
乱暴に後方へと押しやられた。
とれる範囲で受け身をとる。何も見えないと不利過ぎるので、ゆっくりと瞼を上げた。
目の前には数日前に姿をくらませた使徒ジュダがいる。
「ようやくお目覚めか」
彼はレオナルドに冷たい視線を投げかけると近くの椅子に腰掛けた。
レオナルドもどうにか上半身を起こし、ジュダに向き合う。
「ここは……という問いは愚問だな」
「どこだと思う?」
「チヴィタだろう? チヴィタ・ディ・バニョレージョ。お前の方から指定してきたはずだ。てっきり瓦礫の山だと思っていたから、まともな部屋らしき場所にいて驚きはしたが」
「正解」
ぱちぱちとジュダが手を叩いた。声にも動きにも、全く感情はこもっていなかったけれど。
「なぜ馬鹿げた事をした?」
「馬鹿げた事?」
ジュダの眉が片方だけ上がった。
「何を指して馬鹿げた事と言っているんだ?」
「教皇庁での暴挙に決まっているだろう! 部下の命を奪ってまで聖遺物が欲しかったというのか!?」
「部下に聖遺物ね」
くくっとジュダが笑った。彼はしばらく膝についた手の上に頭を乗せ俯いていたけれど、ゆっくりと前を向く。
目には負の色があふれていた。
「部下を殺したのも、武器を奪ったのも、どれもついでだ。ちょっと調子に乗ってしまったようなものだな」
「何?」
「知っているか? レオナルド。世の中の民全てが教皇庁に従順なわけじゃない。反抗勢力も存在していると」
ジュダが立ち上がった。後ろで手を組み、ゆっくりと部屋を歩きだす。
「直近で大規模な暴動は30年前この地で起こった。けれど、ベリザリオによってあっさり鎮圧。暴徒への刑も、あいつの恩赦のお陰で軽いもので済んだ」
「……」
「だが、1人だけ処刑された奴がいた。それも、一審では長期懲役程度だった判決が、急にひっくり返るという形でだ」
静かな部屋に靴音だけが響く。
「それが俺の父だった」
衝撃的過ぎる告白にレオナルドは言葉に詰まった。穴が開くほどジュダを凝視する。
ジュダはレオナルドに目を向けると皮肉気な笑みを浮かべた。
「その反応ということは、やはり貴様は知ってるな? 自分の父の行いを」
「お前が彼の子だと?」
「信じる信じないかは勝手だが。ああ。だが、あの時は中々にショックだったな」
ジュダが立ち止まり、昔を思い出すように斜め上に顔を向ける。
「処刑された父の亡骸が却ってきて、葬儀をしていたら、ベリザリオが弔問に来てな。助けられなくてすまなかったと謝っていったんだ。あいつに責任なんて何も無かったのに、当時10歳の俺は、ひたすらにあいつを罵倒した気がする」
高いところに向いていたジュダの視線がレオナルドへと移った。
「本当に罵るべきは、最後まで恩赦を訴えてくれていたベリザリオじゃなくて、判決を捻じ曲げたお前の親父だったのにな」
「それ、が――」
かすれる声をレオナルドは絞り出す。
「どうしたというのだ? 父の存在は我がボルジア家の汚点以外の何ものでもないが、関係無い者達を手にかけていい理由にはならんぞ」
「まぁ、そうだな。だが、息子の貴様は俺の恨言を聴く義務はあると思うぞ?」
「父が他界していたらな。悔しいが奴はピンピンしているから、本人に言ってくれ」
レオナルドはジュダの言葉をばっさりと切り捨てた。
感情的にはジュダの言い分も分かる。教理省長官などという責任を背負っていなければ、殴られるぐらいならしてやっても良かっただろう。
けれど、今、それを許しては駄目だ。
治安を守るべき立場にいるレオナルドが復讐を認めてしまっては、一気に治安の悪化を招きかねない。
「ジュダよ、言い訳はそれだけか?」
後悔は後でするとして、今は感情を切り捨てた。
「そんなくだらん理由でこんな事をしでかしたと言うのなら、即刻悔い改めて出頭しろ。これ以上長引かせて軍まで動き出せば、人的被害も経済的被害も途方もなくなる。罪が重くなるだけだぞ」
「止めるつもりなぞ毛頭無い」
ジュダがレオナルドの髪を掴んだ。髪は掴んだまま、顔を近付け言ってくる。
「なぁ、レオナルドよ。人は、人に与えられたものを、それが良い悪いに関わらず、実によく覚えているものなんだ」
「何?」
「お前の親父があんな事をしなければ、暴徒達の記憶はベリザリオへの感謝で染まっていただろう。ベリザリオは、暴徒ひとりひとりから、生活の何が苦しかったのか聞いてくれていたらしいからな。忙しい身だろうに、行政指針の改善点を見つけたいからと言ってな」
けれど、と、声の調子を幾分低くしてジュダの言葉は続く。
「実際に残ったのはお前の親父への恨みだけ。時間が経って恨みは強く深くなり、奴の横暴を許した教皇庁にまで向くようになった」
そう言った彼はレオナルドを石床に投げ倒し、立ち上がった。
「30年も時間があいた上に代替わりもしたが、再戦といこうかレオナルド」
そうして、冷たい目で見下ろしてくる。
「といっても、今回はお前達に圧倒的に不利だ。聖遺物のいくつかは既にこちらの手の中だし、お前達にはベリザリオもいなければ、奴の使っていた《穿てし魔槍》も無い。それに、こちらには助っ人までいるしな」
ジュダが懐からナイフを出した。鞘を外すと、抜身になった刀身を床に落とす。
「だから、お前にチャンスをやろう」
レオナルドの顔近くに落ちていたナイフをジュダは蹴り、部屋の隅に追いやった。
彼がしたい事が分からずレオナルドはジュダを見上げる。
ジュダはいい気味だといった表情で嗤った。
「必敗の盤面をひっくり返したければ足掻くがいい。お前の大好きなベリザリオなら鼻歌歌いながらでもできるだろうしな。あいつを超えろとは言わん。せめて追いついてみせろ」
話は終わりなのか、剃髪した元異端審問官は身を翻した。
規則正しくかつかつと続いていた靴音が途中で止まる。
「そうして、お前が希望を見出した頃に、俺が徹底的に潰してやる。それが騙されて死んだ親父への弔いだ」
扉が開閉した音がした後、部屋は再び静寂に包まれた。




