5-12 それぞれの秘密
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ジョエレの部屋の扉をルチアが叩き続けている。
「ジョエレ、いい加減に起きてきなさいよ!」
最後に1発、それまでより強く扉を叩くと、彼女は疲れたようにうな垂れた。
「テオ。あいつ、部屋にいると思う?」
「いないんじゃない?」
「やっぱりそうだよね」
はぁ、とルチアは溜め息をつき、扉から身体を離す。
「人に買い物を頼んでおいて自分はお出かけって、何なのって感じよね。ジョエレの物、テオの部屋に置いといていい?」
「いいよ。まぁさ、ジョエレがふらふらしてるのはいつもの事だし」
テオフィロは自らの部屋の鍵を開け中に入った。
「いつもの調子で、飯時になったら帰ってくるんじゃない?」
買ってきた物を適当にサイドテーブルに投げ、部屋の時計に視線を向ける。現在時刻は17時。2〜3時間もすればジョエレも帰ってくるだろう。
珍しくルチアが会話を繋いでこなかったので、テオフィロは振り返った。けれど、そこには誰もいない。
自らの部屋に帰ったのかとも思ったけれど、とりあえず戸口を見に戻る。
部屋のすぐ外でルチアがうずくまっていた。
「ルチア?」
呼びかけながらテオフィロもしゃがむ。
覗き込んだ彼女の表情は苦しそうで、手は胸を押さえているように見える。
「どうかした? 胸でも痛い?」
状態が何も分からないので尋ねた。
けれど、ルチアから返事はない。ただ、呼吸だけが浅く早くて苦しそうだ。
部屋に入った方が環境的には落ち着くのだろうが、この状態の彼女を動かしていいのか判断がつかない。
「医者って、呼んだら来てくれるのかな。ちょっとフロントに聞いてくる」
それが正解な気がしてテオフィロは立ち上がりかけた。そんな彼の腕をルチアが掴む。
「医者……は、駄目」
「医者が駄目って、こんな辛そうなのに?」
「最近たまにあるの。大丈夫、すぐに落ち着くから」
そう言うと彼女は再び黙り、ぴくりとも動かなくなった。
ルチアを1人置いておくわけにはいかないので、テオフィロも彼女の横に座って壁に寄りかかる。
しばらくそうしていると、廊下の向こうから男がやってきた。普通に通過していくだろうと思われた彼だが、何故かテオフィロ達の前で止まる。
「彼女、苦しそうですね」
その上声までかけてきた。
テオフィロが顔を上げてみると、銀縁眼鏡をかけた金髪男がルチアに視線を注いでいる。よほど気になったのか、眼鏡はその場にしゃがみ、ルチアの顔を覗き込んだ。
「呼吸はずっとこんな感じですか?」
「最初よりは落ち着いた……かも」
思ったままをテオフィロは口にする。
「それならじき落ち着くかもしれませんね。過呼吸ぎみなので、呼吸を深くゆっくりにさせてあげてください。回復が早まるでしょうから」
「そうなんだ? らしいよルチア。呼吸はゆっくり」
テオフィロはルチアの背をさする。その横で、男がジャケットの内側から1通の封筒を出した。それをテオフィロに差しだしてくる。
「君達はジョエレさんの知り合いでしたよね? これ、彼に渡しておいてもらえますか?」
「いいけど。おっさん、俺達と会った事あったっけ?」
手紙を受け取りながらテオフィロは尋ねた。
眼鏡の縁を押さえながら男が立ち上がる。
「以前ヴァチカンで」
「ヴァチカン?」
そもそもテオフィロはほとんどヴァチカンから出た事がないので、全くヒントにならない。それでも、最近の出来事に絞って記憶を漁っていると、引っ掛かってきた人物がいた。
「猫の人?」
「随分はしょられた気がしますが、多分それです」
「ジョエレと付き合い続いてたんだ?」
数カ月前、猫探しの依頼をしてきた老婆がいた。彼女の家に出入りしていたブリーダー……が、彼だったはずだ。
老婆宅の外で、ジョエレと話しているのを見たような気がする。
「私が一方的に付きまとってるというのが正しいような気もしますがね」
苦笑して男は去って行った。
(一方的にって、それ、ストーカーっていうんじゃね?)
表にジョエレ宛としか書かれていない封筒をテオフィロは裏返す。
そこには百合を模った白い封蝋がされているだけで、差出人の名は書かれていない。
中の手紙に書かれているのかもしれないが、そこにすら無記名なら、やはりストーカーかもしれない。
金髪眼鏡が去って数分後。
ルチアの容態が落ち着いてきた。
「ルチア。動けるようなら部屋に入ろっか。ここだと他の客も通るし」
「うん」
返事はしてくれたものの、やはりつらいようで、彼女は動かない。
テオフィロは肩を貸しルチアを立たせた。
けれど、彼女の部屋の鍵を持っていない。ルチアの鞄を漁るのは気が引けるし、かといって立ちっぱなしでは彼女がきつそうだ。
とりあえずテオフィロの部屋に連れていきベッドに寝かせた。
動いたからか、ルチアの息が少し上がっている。
「ごめんテオ。もうちょっと落ち着いたら自分の部屋に戻るから」
全然大丈夫そうに見えないのに彼女はそんなことを言う。それで力尽きたのか目を閉じた。
こうなるとテオフィロはやる事がない。テレビでも見たいところだけれど、音を出すとルチアが気にしそうな気がする。
静かに椅子を引き、サイドテーブルに突っ伏して時間を潰すことに決めた。
(まー。隣で1人寝かせとくのも心配だし、これで良かった、かも?)
前向きに納得し、それでもやっぱり暇なので、意識を半分ほど落とす。
寝てるような起きてるような時間を過ごしていると呼び鈴が鳴った。
「何?」
ぼやっとした頭で起き上がり周囲を見回す。
部屋の電話だと気付いて受話器を取った。
「もしもし?」
『フロントです。ジョエレ・アイマーロ様から電話が入っておりますが、お繋ぎしますか?』
(何でわざわざ電話?)
帰ってきて話せばいいだけなのに、わざわざ電話とか、嫌な予感しかしない。それでも、
「お願いします」
出ないと色々面倒くさくなりそうだったので繋いでもらった。
しばしの機械音の末に繋がったらしき音がする。
『よー、テオ。戻ってきてくれてて良かったぜ』
「わざわざ電話とか、何? てか、いつ帰ってくんの?」
『そうそう、それなんだけどよ。下手するとしばらく帰れなくなるかもしれねぇんだよ。んでさ、夜中にシャワー浴びに帰るかもしれんから、俺の下着の替え、お前の部屋に置いといてくんねぇ?』
「は?」
『んじゃ、そういう事だから。ルチアにはお前から上手いこと言っといてくれ。俺があんまり怒られないで済むように頼むぞ』
「おいジョエレ――」
突っ込む間も無く電話が切れた。
(あいつ、何か隠してる)
ジョエレが一方的に意見を押し付けてくるのは、彼のテリトリーにテオフィロ達を立ち入らせたくない時だ。それくらいは分かったけれど、今はタイミングが悪い。
(ルチアのこと相談したかったんだけど)
言う前に通話は終わってしまった。
どこから掛けてきたのかも分からないので連絡のしようが無い。
ジョエレは適当な男だが知識が広い。ルチアの看病の仕方だって、なんやかんやで知っているだろう。
「今の電話ジョエレ?」
背後からか細い声がした。
「しばらく帰れないかもってさ」
「そうなんだ。良かった」
心底安心したようにルチアが呟く。そうして、ゆっくり身を起こした。
その表情はだいぶ軽くなっているし、呼吸も普通だ。
「少しは良くなった?」
「うん。あとちょっと休めばいつも通りかな」
柔らかく笑った彼女が立ち上がった。
「ジョエレ帰ってこないなら晩ご飯2人だね。それまでゆっくりしといて、適当な時間にあたしがテオを呼びに行くのでいい?」
「どうでもいいけど。無理してない? なんなら何か買ってくるけど」
先程の苦しそうなルチアが忘れられず、テオフィロは尋ねた。そんな彼をルチアが軽く叩く。
「大丈夫大丈夫。昔よくあったから慣れてるし。ね。それより、折角オルヴィエートにいるんだから美味しそうなお店に行きたいじゃない? ガイドブックに載ってたお店の中にね、ディナーがすごく美味しそうな所があったの。そこ行こう?」
「分かった。じゃ、適当な時間に迎えに来て」
テオフィロが了解すると、ルチアは満足そうに戸口へ向かった。けれど、扉の前で止まる。
「ねぇ、テオ」
テオフィロが顔を向けても、ルチアは扉の方を向いたままだ。
「あたしの調子が悪かった事、ジョエレには言わないで」
「なんで?」
「心配されるような立場になりたくないから」
それだけ言って彼女は出ていった。
1人になったので、テオフィロはベッドに転がりテレビを付ける。
ルチアがああ言った気持ちは分かるような、分からないような、微妙なところだ。
(つか、飼い主2人とも、何考えてるかわかんねー)
結局のところ、それが全てなのかもしれない。




