5-9 捨て置かれたバルトロメオ
オルヴィエートの歴史はローマより古く、古代エトルリアまで遡る。
当時は近隣地域との抗争が多かったせいか、人々は絶壁の丘の上に集落を作ることが多かった。
オルヴィエートもそんな街の1つで、外周は幾重もの街門と街壁に囲まれている。元の機能が城塞だったせいで出入り口は少ない。
崖下から続く外周回廊を登り下りするか、後の時代になって作られたケーブルカーを使うか。この2つに絞られる。
軍のオルヴィエート封鎖もその2つを閉じる形で行われていた。
土地勘のある所轄警官は外周回廊へ抜ける脇道を閉じていたりもしたが、外周全てをカバーできているわけではない。
(ま、こんなもんだよな。軍も外周封鎖に回されてたらお手上げだっただろうけど)
監視の薄い部分を見つけたジョエレは近くの樹を利用して強引に街壁を超えた。無事に外周回廊に出られたので、ひとまずは丘を下り切るのを目標に道を伝う。
街中から出てしまえば警官はいないし何の規制もない。堂々と道を歩きながら、何かないものかと周囲に注意を向けながら丘を下った。
「って。あったし、何か」
街路樹の茂みに隠れるように転がるそれの元へ行く。
「おいバルトロメオ。こんな時間にこんな所で寝てるって、明らかにサボりだろ」
寝息を立てていたバルトロメオの頬を数度叩いた。けれど、バルトロメオは一向に起きる気配を見せない。それどころか、
「アンドレイナ、昨夜も遅かったのだ。あと5分」
幸せそうに寝言まで言いだす始末だ。
「誰がアンドレイナだ! 起きろボケっ!」
その顔がむかついて、ジョエレは銀髪の異端審問官を蹴り飛ばした。
バルトロメオの身体が斜面を景気良く転がる。3メートルほど下った所に生えた街路樹に引っかかって止まった。
転がった衝撃が残っているのか、若干ふらつきながらバルトロメオが身を起こす。寝ぼけ顔で周囲を見回し、ジョエレの方に顔を向けて止まった。
「ジョエレ・アイマーロ? なぜ某はお主とここにいるのだ?」
「そんなの俺が聞きてえよ」
ジョエレも斜面を下りバルトロメオの横に行く。ぼけっとしたままの彼を見下ろして気付いた。
パン屋では腰に差していたはずの太刀が無い。
「《魔王の懐刀》はどうした?」
「ここに持っているに――」
バルトロメオが腰に手を持っていき、太刀の差してあった場所を数度叩き、最後は凝視した。がばりと起き上がり、周辺を見回し、終にはジョエレへと詰め寄ってくる。
「お主、《魔王の懐刀》をどこに!?」
「知らねえから聞いたんだろうがよ。無闇に近付くな、暑苦しい!」
こちらを締め上げてきそうだったバルトロメオの腹をジョエレは足で押しやり、彼の接近を阻んだ。
太刀を失ったバルトロメオは明らかに動転していて落ち着きがない。周辺の茂みに身体ごと突っ込み、ボキボキ枝を折りながら探している。
(そんな所にありそうな気はしねーけど)
一番高い可能性は、バルトロメオが寝ている間に盗まれたのだろうが、一般人が異端審問官に手を出すとは考え難い。となると、犯人は、レオナルドの失踪になんらかの形で関わっている人物だろう。
ならば、こんな所を探すだけ時間の無駄だ。
「おいバルトロメオ。ここいらに《魔王の懐刀》ありそうな気配無いし、それよりお前、俺が司教舎に入れるように手配して――」
無駄なことは止めさせようとジョエレは声をかけ、その時、バルトロメオの手の甲の変色に気付いた。
「ちょっと左手見せてみろ」
「? どうかしたのか?」
不思議そうにバルトロメオが左手をだしてくる。手の甲には青あざができていた。
「あざ? いつの間に?」
不思議そうに彼が首をひねる。ジョエレは青あざを軽く叩いた。
「痛みは?」
「無いな」
(となると、静脈の上に穿刺痕があるし、注射による内出血の線が濃いな)
なんとなく当たりを付け質問を続ける。
「数時間以内に注射は?」
「しておらぬぞ。見ての通り、某は健康体だからな」
「分かった。じゃ、それは忘れて市街に帰ろうぜ。んで、俺をレオナルドの部屋に入れろ」
ジョエレはバルトロメオの手を放し、オルヴィエート市街に向けて歩き出した。ジョエレに追いついてきたバルトロメオが肩を掴み、耳元で大声を出してくる。
「待て! お主は何か分かったかもしれぬが、某には何も分からんぞ!? それに、なぜ長官の部屋にお主を通さねばならんのだ?」
「うっせーな。耳元で怒鳴らなくても聞こえてる。お前がのんきに昼寝してる間にレオナルドが消えたんだよ」
街へ登りながら、ジョエレはディアーナから仕入れた情報を掻い摘んで話した。話が進むに従ってバルトロメオの形相が険しくなり、途中から走り出してジョエレを追い抜いていく。
「おい、こんな登り坂を走るとか本気か!?」
「長官の一大事に悠長に歩いてなどいられるか!」
よほど気が急いているのか、バルトロメオの足は早くなる一方だ。置いていかれては堪らないので、仕方なしにジョエレも走る。
「なー。お前さ、レオナルドが参事官を殺した犯人だとは思わないわけ?」
レオナルドは被害者だと信じて疑わない様子のバルトロメオに尋ねた。
「長官に限ってそれはない。もし参事官を手にかけていたのだとしても、何か事情があられたに違いない」
相変わらず、バルトロメオからの返答に揺るぎはない。
「ふぅん」
レオナルド・ボルジアという男に少しだけ興味が出てきた。




