5-8 消えた長官 後編
1時間後。
ジョエレは指定された通りディアーナに連絡をいれ直した。
『面倒な事になってるみたいね』
電話口の彼女の声はやや重い。
『教理省も混乱しているぽいっていうか、正確な状況が把握できてないみたいなのよ。オルヴィエートと上手く連絡が取れなくなったらしいわね』
「なんでまた?」
『そちらからの情報は長官のレオナルド・ボルジアと彼の参事官がくれていたんだけど、レオナルドは現在行方不明。参事官は司教舎で遺体で発見されたらしいわ。現場を取り仕切っていた2人が突然いなくなったせいで、オルヴィエート側が浮き足立ってるみたい』
「街の封鎖はそれが原因か」
事態の一端がわかり、多少すっきりした。
死者がいるなら犯人もいる。そいつを逃さぬための街封鎖だろう。
「んで。それを教えたってことは仕事か?」
『当たり。レオナルドがいないままだと軍と警察を統率できる人間がいないから、彼を探してちょうだい。せめて参事官が残っていれば良かったんだけど』
「探すのはいいんだけどよ」
ジョエレは椅子を引き出し後ろ向きに座った。そのまま、背もたれに前のめりに身体を預ける。
「お前のさっきの話だと、レオナルドとかいう奴が参事官殺して逃げた線が濃厚なんだが。見つけても軍の管理どころじゃないんじゃね?」
『それは大丈夫だと思うわ』
「なんで?」
『今回の軍の出動なんだけど、異端審問局の局長が《十三使徒》を殺して、聖遺物を奪って逃走したところから始まってるの』
それからディアーナは事件のあらましを語る。
途中で出てきたレオナルド宛に残されたメッセージにジョエレは引っかかりを覚えた。
「チヴィタで父親以上の恥ねぇ」
チヴィタで起きた大きな事件で直近のものといえば、30年前の決起騒動になるはずだ。その時に恥をかいた権力者は数人いるが、今の状況と結び付くのは1人しかいない。
「レオナルド・ボルジアのボルジアって、あのボルジアだよな?」
『30年前にあなたが助けたクラウディオの息子よ。親に似ずしっかりした人物だし、むしろ、父親を蛇蝎のごとく嫌ってるから、仕事を投げ出すような真似はしないはず』
「ふーん」
話半分に相槌を返す。
ジョエレの知っているクラウディオは、プライドだけがやたら高く、権威にしがみつく嫌な人間だった。その子がしっかりした人物だと言われてもピンとこない。ディアーナが言うのだから、そうなのだろうが。
(反面教師ってやつもあるしな)
とりあえず、レオナルドの人格に問題はないと仮定して思考を進める。
「レオナルドと異端審問局の局長って、仲悪いのか?」
『知らないわ。ああ、でも、チヴィタには本当にガラの悪い連中が集まっていたみたいね。短い文から相手の言い分を読み取れる程度は互いを知っているのかしら』
「あんま参考にならねぇな。にしても、なーんか流れが昔と似てきた気が」
なんとなくそう思った。
チヴィタの反乱分子と教皇庁の諍い。教皇庁側の指揮官はボルジア卿。その彼が行方をくらませた。
役者は多少違うけれど、ここまでは昔と同じだ。
だからどうしたという訳ではないが、なんとなくモヤっとする。
「まぁいいや。んで、応援は誰が出るんだ? レオナルドの後任なりで揉めてんじゃねぇの?」
『おそらく誰も動かないわ』
「は?」
聞き間違えたのかとジョエレは疑問系で返した。
本当にレオナルドがさらわれているとなると、放置するわけにはいかないはずだ。
受話器越しにディアーナの溜め息が聞こえる。
『ヴァチカンを発つ前に、レオナルド自身が指示を出してるのよね。使徒ジュダ――あ、異端審問局の局長なんだけど、彼が陽動で、軍が出払ってる間にヴァチカンが狙われたらいけないから、これ以上軍を動かすなって。その時用の指揮や日常業務に支障が出ないようにって、長官官房なんかも全部置いていったみたい』
「父親と違ってまとも過ぎて泣けるな、おい」
『だから、そちらの事はそちらで解決してもらわないとならないんだけど、軍の人間って、良くも悪くも頭使うの苦手じゃない? 彼らだけだと大変だろうから、こっそり手伝ってあげて』
「そういう話ね。まぁ、頑張ってみっけど」
話が一区切りしたっぽいのでジョエレは背伸びした。
けれど、話はまだあったようで、受話器からディアーナの声が聞こえてくる。
『そちらに使徒バルトロメオがいるはずだから、何かあれば彼の手を借りるといいわ』
「そういやあいつ来てたな」
『あら、会ったの?』
「ああ。レオナルドのために大量のパニーノ買ってってたぜ。あれも無駄になったのかねぇ」
美味いのにもったいないと、若干違う方向に思考が流れる。
『パニーノ?』
ディアーナが怪訝そうな声を漏らした。その上で、そういえば、と、言葉を続ける。
『参事官、レオナルドが滞在している部屋で亡くなってたのよね。それで、その部屋、大量のパニーノが転がってたらしいわよ』
一瞬2人とも黙った。
ジョエレは目を閉じ上を向き、眉間に皺が寄ったのを意識しながら顔の向きを元に戻す。
「なぜだろう。バルトロメオの奴、巻き込まれてるような気がしてならないんだが」
『奇遇ね。私もそう思ったわ』
受話器越しに再度嫌な沈黙が流れた。
言葉にしていないだけで、2人揃って「バルトロメオ役にたたねぇ」と思っているような気もしたが、これも仮定の話でしかない。
「まぁいいや。あいつなら殺しても死なないだろうし。話は変わるんだけどよ」
『何?』
「ルチアを実家に戻せたりとかしねーの?」
『本当に全然関係のない話ね。それに急。どうしてあの子を帰らせたいの?』
呆れたようなディアーナの声が返ってきた。
ジョエレは窓に顔を向け外を眺める。
「俺にもあいつらから手紙が来た。お前のとこに戻すわけにもいかないってなると、実家が順当かと思ってな」
理由を言ったのに彼女から返事がこない。
景色を眺めつつ待っていると、疲れた声が返ってきた。
『私の一存では決められない。折を見てルチアに聞いてみるわ』
「頼む」
どちらも用件が済み通話を終えた。
少し喉が渇いたので買っておいたワインを開ける。部屋に備え付けられていたコップに注いで、胃に流し込んだ。
椅子にゆったり座り外を眺めれば、ギリギリ大聖堂が見える。そこに併設されている司教舎で失踪事件が起こったというのなら、現場を見に行きたいのだが、一般人では入れない。
司教舎の従業員を捕まえたところで、ディアーナから聞いた以上の情報は、ぽんとは出てこないだろう。
(今の俺にできることで一番簡単なのは、抜け道を見つけてチヴィタの様子でも見に行く事かね)
もう1杯だけワインを飲んで、街にくりだした。




