5-6 閉じられた街
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「っちゅーことがあったんじゃ」
ご機嫌に喋り続けた老人が最後に1回ゲップした。
「で? 話し終わって満足しただろ? 爺さん」
さっさとどっか行ってくれとジョエレは手をふる。
「そんな事を言っていいのか? 儂はその後、デッラ・ローヴェレ卿と握手してもらったんじゃぞ? あの稀代の三傑の筆頭、ベリザリオじゃよ?」
「だから?」
半目で老人を見やると、彼は手をルチアの方に寄せる。
「儂と握手すれば、あのスーパースターと間接握手じゃ。お嬢さんや、恥ずかしがらんくていい。こう、がしっと――」
「触らないで!」
ルチアが老人の手を弾いた。珍しくそれだけでは収まらず、彼女の表情が厳しい。
「あたしその人嫌いなの。握手したっていうんなら、なおさら触らないで」
「そんなぁ」
悲しそうに老人は手を引っ込めた。がっくりと肩を竦め、ジョエレとテオフィロを見てくる。
「男でも、握手したければしてやってもいいんじゃよ?」
「そもそもベリザリオって誰?」
机に頬杖を付きながらテオフィロが尋ねてきた。
「昔に死んだおっさん」
ジョエレも片肘を付きながら答えてやる。
「興味無い」
素っ気なくテオフィロが言い切った。
「ちゅー話で、うち、ベリザリオの需要無いから。お帰り下さいやがれ爺さん」
「うぇっ」
ジョエレがしっしとすると、老人は半ベソをかきながら去って行った。途中で足がもつれて転んでいたが、関わるとひたすら面倒臭そうだったので、無視を決め込む。
「お前、なんでベリザリオが嫌いなんだ? あいつが死んだの、お前が産まれるより前だろ」
代わりにルチアに話しかけた。彼女は変わらず不機嫌なまま、スプーンでスープをかき混ぜている。
「別にどうでもいいでしょ」
「まぁ、そうだけどよ」
消し去った過去とはいえ、自分が嫌いと言われると気になる。けれど、これ以上踏みこむとやぶ蛇になりそうだ。詮索は止めた。
気にしていない風を装って残り少しになったパニーノをスープに入れ、スプーンで液に浸す。
いつも人一倍喋っているルチアの機嫌が悪いせいで空気が重い。
「おいルチア。家に帰ったら俺特製ホットミルク作ってやるから、機嫌直せよ」
「家に帰ったらって遅くね?」
折角のジョエレの気遣いにテオフィロが突っ込んだ。それのどこが可笑しかったのか分からないが、ルチアがくすくす笑う。
「ほんとだよ。作ってくれるなら、今欲しいよね」
それに。と、彼女はジョエレにスプーンを向けてくる。
「ジョエレ、何かあるとホットミルクに頼りすぎ。他にレパートリーないの?」
「ワンパターンでもいいじゃねーか。俺にとってはあれが至高なの。それに、他のものだと、お前が作った方が美味いだろ?」
「それもそうね。うん、間違いない」
いつもの調子に戻ったルチアがご機嫌に食事を再開した。
今度はお喋りが騒がしくなったわけだが、重苦しい空気より明るい方がいい。元々少ない量だったので3人共すぐに食べ終わり、店を出た。
途中でワインだけ買って駅に向かう。
「ねぇ。なんか、来た時より警官増えてない?」
周囲を見回したルチアがテオフィロに少し寄った。つられてか、テオフィロも辺りに視線を走らす。
「言われてみればそうかも。それに、なんか物々しい連中が多い?」
「お前らあんまりじろじろ見るな。運が悪いと不審者とか言って職質されっぞ」
「え? そうなの?」
「運が悪ければな。後悔するより安全な方がいいって言うもんだし。関わり合いになる前に帰ろうぜ」
連れ2人に釘を刺しジョエレは進んだ。
若者達が気付いたように、街を歩く非民間人が増えている。増えたのが警官くらいならまだ可愛かった。けれど、いま目の前を歩いている、防弾チョッキや厳つい銃を装備している連中は明らかに軍兵だ。
(治安維持軍が出張って来てるだなんて、どんだけやばい奴が逃げたんだ?)
もしくはやばいものを盗まれた、だろうか。
それに、動員数の多さも気になった。
普通に街を歩いていて軍関係者の数が気になる程というのは尋常な数ではない。作戦本部で待機している人数も含めると、千人単位で動いている可能性が出てくる。
そんな大人数を必要とするだなんて、相手も大人数の時くらいだ。
(まぁ、今の俺には関係ねぇし、さっさと避難するに限るな)
余計な事を考えるのを止め、真っ直ぐにケーブルカー乗り場へ向かう。
自分1人なら大概の事には対処できるが、今はルチアとテオフィロを連れている。多少射撃が上手かったり喧嘩慣れしている彼らとはいえ、やはり一般人なのだ。
荒事を専門にしている者だけが知っていればいい世界に巻き込むべきではない。
目的地に近付くにつれ道が渋滞しだした。軍関係者の姿も見えるが、周囲を取り囲むそのほとんどは民間人だ。
「これ、何の渋滞なのかな?」
数十分前から一切動かなくなった人混みをルチアが睨む。
「さぁな。ケーブルカーは来てるように見えっけど」
少し背伸びしてジョエレは人々の頭越しに前を見た。
すぐそこの乗り場には車両が停まっている。けれど、誰1人として乗れていないようだ。
「おい聞いたか? しばらく街を封鎖するらしいぞ。ケーブルカーも止めるって」
前方の話し声が聞こえてくる。
「は? なんで?」
「なんかお偉いさんが襲われて、いなくなった人がいるとかいないとか?」
「そんなの私達関係ないのに――」
そこまで聞こえた所でジョエレは背伸びを止めた。ルチアとテオフィロに振り返り、後ろを指す。
「回れ右だ。ホテル取りに行くぞ」
言うだけ言って歩き出した。
「え? ちょっとジョエレ、どういうこと?」
頭上にはてなマークを浮かべながら、ルチアとテオフィロも人を掻き分けついてきている。
群衆から抜け出し、ある程度普通に動けるようになった所でジョエレは歩調を緩めた。
「この騒ぎ、すぐには解消されない気がしてな。ってなると、足止めを食らった観光客がホテルに雪崩れ込むだろ? 本格的に兆候が見える前に、適当な所押さえとこうぜ」
「日帰りのつもりだったから、何も持ってきてないけど?」
「ある程度はホテルにあるだろ。足りない物は買えばいいし。ルチア、ガイドブックに宿情報も載ってるだろ? ちょっと見せてくれ」
ルチアから本を受け取りページをめくる。
彼女も横から覗き込みながら話しかけてきた。
「ケーブルカー止めただけじゃなくて、外に出る道も全部封鎖されてるのかな?」
「だろうな」
「そんなの長々続けたらみんなの不満も凄いだろうし、すぐに解除されるよね?」
「どうだろうな」
料金的にも適当な宿を見つけジョエレはページを閉じた。道は覚えたのでルチアに本を返す。
「教理省長官も来てるっぽいし、そいつと取り巻き達の能力次第かね」
軽く返事して、宿に向け歩きだした。
動き出したのが早かったお陰か、目を付けたホテルの部屋は空いていた。1人部屋を3つ取って、ルチアとテオフィロにカードキーを渡していく。
「3人続き部屋で取れて良かったね」
「だな〜。階が違ったりしたら集合の時面倒だったし。んで、テオ、少ししたら足りない物を買いに行くから、お前の部屋に集合な」
「ジョエレの部屋じゃないのかよ?」
げんなりとした顔でテオフィロは鍵を受け取った。
「俺の部屋に集合にしとくと、オネーサンがいる時があるかもしれないだろ?」
「最低不潔死ねばいいのに!」
ルチアのヒールがジョエレの靴にめり込む。
「うぇ」
「行きましょテオ」
片足で飛び跳ねるジョエレを放置して、テオフィロを連れた彼女はエレベーターに向かった。
鉄の籠の中に2人が消えたのを確認しジョエレは階段を登る。
まだ大丈夫だとは思うが、組織から手紙が来てしまった以上、用心するにこした事はない。密室は極力避けて、あの2人も遠ざけておいた方が安全だ。
部屋に着くと備品の確認もせずにディアーナに電話をかけた。
「俺だが、教えてもらいたい事がある」
『何?』
「教皇庁に強盗が入った件の詳細を教えてくれ」
Better safe than sorry(後悔するより安全な方がいい):
「いけないこと」とわかっていても、自分の欲望や誘惑に負け、フラフラと道を踏み外してしまうことは多いものです。
その末に後悔だけを残すよりは、大人しくしておいて平穏な方が良いという格言。
日本語でいう『君主危うきに近寄らず』と同じ意味です。




