5-5 全かゼロか 後編
無茶な要求をしたせいかベリザリオに銃撃が集中した。しかし、どういう仕掛けか1発も届いていない。
彼の方も心得ているのか、背筋を伸ばし、悠然と佇んだままだ。
その様には威厳すら感じる。
(これが資質の違いか)
荒野にたたずむ若者を見て男は思った。
同じ枢機卿だというのに、ベリザリオとボルジア卿では度量と器が違う。
たとえ安全だと言っても、戦場に1人身を晒すような事をボルジア卿はしないだろう。全かゼロかを選ばせ、責任の全てを己が背負うなどとも言えないはずだ。
最初はベリザリオが派遣されてきたことに違和感しかなかったが、なかなかどうして、適材なのかもしれない。
「そんな言葉が信じられるか!」
近くに潜んでいた暴徒が叫びながら銃を構えた。しかし、一向にに弾は放たれない。
慌てる暴徒と対照的にベリザリオは落ち着いたものだ。いつの間にやら手に持っていた鞭を束ね、腰のベルトに下げなおしている程に。
「逆に問うが、どうすれば君は信じてくれるのかな?」
「さぁな。俺はあんた達と違って馬鹿だから、力尽くで黙らせてみたらどうだ?」
言いながらも暴徒は忙しなく銃をいじっている。抜いた弾倉を再びグリップにはめるとベリザリオに向けた。
「その前にあんたの頭が吹っ飛んでるだろうけどな!」
暴徒の指が引き金を引く。男には引いたように見えた。
けれど発砲音はしないし、ベリザリオの顔にも傷ひとつついていない。
「なんで?」
男は塹壕から半分飛び出しかけた身体を降ろし、呟いた。暴徒も同じ思いなのか、口をパクパクさせている。
問いに答えるようにベリザリオが穏やかに言う。
「流れ弾が多かったようだから銃の使用不能区域を広げた。もはや、この地で銃はただの鉄の塊だ。頼りにしない方がいい」
そうして彼は再び槍を構えた。
「なんだよそれ。分かんねぇ! ぜんっぜん分かんねぇよ!」
暴徒が叫ぶ。分からないと言っている割には銃が使えないのは理解しているようで、鉄棒を構えて走ってきた。
ベリザリオは難なく槍で彼をいなし、柄で暴徒の鳩尾を突く。
それでその暴徒は大人しくなったが、彼を皮切りに次々と暴徒達が走り寄って来だした。
ベリザリオが先程の閃光を放てば一瞬で蹴散らせそうだが、どうにもその気配はみられない。2時間待つと言った言葉を律儀に守るつもりだろうか。
「ったく、仕方ないな!」
危なっかしくて見ていられず、男と同僚はベリザリオの前に立った。
「君達、こんな仕事は嫌なんじゃないのか?」
きょとんとベリザリオが尋ねてくる。
「指揮官が前線で身体張ってるって時に自分は隠れてちゃ、男として格好悪すぎるだろ!」
暴徒達を迎撃するために男と同僚は警棒に持ち替える。気が付けば、彼ら2人の他にも警官達が集まってきていた。
ベリザリオを守るように壁ができる。
後ろに目を向ければ、あれだけ動かなかった軍まで前進してきていた。
「最寄りの町へ暴徒達が流れ込まぬよう、そちらの壁を厚く! 肉弾戦の不得意な者は後ろへ退がれ!」
集結してきた兵にベリザリオが指示を飛ばした。それに従い味方が動く。
軍を掌握していない?
どこがだ。
むしろボルジア卿よりも上手く運用している。
軍の動きが悪かったのは、彼の動きが早すぎてついていけなかっただけだろう。
「感謝する、勇敢なる同士達よ!」
土埃が舞い上がる荒野でベリザリオが一層声を張り上げ、槍で地面を突いた。
「諸君らが後ろに守るものは何だ! 友を、家族を守りたいという者は私と共にあれ! 我々こそこの戦場の前線であり殿だ! 残る者は怯まず不退転の意識で臨め! その先に勝利はある!!」
ベリザリオの檄に警官達が呼応する。
相変わらず敵も味方も銃火器が使えなかったので、ひたすらに泥臭い殴り合いになった。
◇
もうじき2時間経つ。
銃器が使えないせいで戦況は膠着ぎみだ。
「なんでさっきみたいに光線出さないんだよ!」
暴徒を殴りつけながら男はベリザリオに怒鳴った。
ベリザリオが意外そうに男を向く。
「今は道を違えているが、彼らも等しく神の子である事に変わりない。だから、無闇に命は奪わない。それに、2時間は待つと言ったしな」
(お高くとまった枢機卿らしいご意見だな)
返答にいらっとした。
枢機卿の吐く言葉としては百点だろう。
けれどここは戦場だ。殺らねば殺られるのに、宗教も約束も糞もないだろうとしか思えない。
ベリザリオは前線で槍を振るい続けている。兵卒達と同じく汗だくだ。
戦い続けるキツさを分かっているはずなのに、そんな事を言える神経が分からない。
「けど、これじゃきりがねぇよ!」
「持ちこたえてくれ。私の予想だと、そろそろ事態は動く」
話しているそばからチヴィタの方で笛が鳴った。
「動いたか」
集落を見ながらベリザリオが呟く。
暴徒達も同じ方を見て、それからはぼちぼちと後退して行く。
「待て、追撃する必要はない」
ベリザリオが片手を上げて周囲の前進を制止した。
暴徒達は暴徒達で、こちらと一定距離を保ったラインに集合していっている。
それまでの混戦が嘘のように、綺麗に両陣営に別れて睨み合う形になった。
「ボルジア卿を引き渡して投降すれば、命を取らないという話は本当か?」
暴徒達の中から1人の男が進み出てきた。
「神に誓って二言はない」
こちらからはベリザリオが前に出る。
2人はしばらく無言で見つめ合っていたけれど、やがて、暴徒側の交渉役らしき男の片手が動いた。
すると、猿轡を咬まされ縄で巻かれたボルジア卿が乱暴に連れてこられる。
「こいつの引き渡しが条件に入ってたからな」
交渉役がボルジア卿の背を乱暴に押すと、中年の枢機卿はふらつく足取りで歩いてきた。転びそうになったところをベリザリオが支え、卿の猿轡を解く。
「お怪我はありませんか? ボルジア卿」
「貴様、無事だったから良かったものの、奴らが私に手を出していたらどう責任をとるつもりだったのだ!?」
喋れるようになった途端、ボルジア卿の口から文句ばかりが出てきた。助けられた上に足しか引っ張っていないというのに、いい根性をしている。
「申し訳ございません。若輩者の私ではあの程度の方法しか思い付けず。猊下に恐ろしい思いをさせてしまった事はお詫び申し上げます」
それに、礼を言われていいはずのベリザリオが頭を下げている始末だ。
教皇庁内での力関係を男は知らないが、非常に理不尽に思えた。
「ふん。まぁいい。早くあのゴミ達を処刑しろ」
ボルジア卿が忌々しそうに暴徒達を睨みつける。
彼の命令はベリザリオが誓った命の保証と真逆だ。
どうするつもりだろうと男が成り行きを見ていると、
「君達の仲間は、もう全員チヴィタから出たかな?」
ベリザリオが交渉役に声をかけた。
「そりゃな。あそこにこもってても狩られるだけだから。ここにいるので全員だ」
「いい子達だ」
ベリザリオが笑った。彼の手の槍は再び青白く光を放っている。
気付いたら、1度目より強く多くの閃光がチヴィタへ向けて放たれた。
崖にしがみついていた建物はことごとく破壊され、集落へ至る橋まで落ちる。
「おい、お前!」
交渉役が怒鳴ったが、ベリザリオは涼しい顔だ。
「チヴィタを残しておいては再びこんな事態を引き起こしかねない。死んだ町なのだから、消し飛ばしたところで害はあるまい」
「見るがいい背教者ども、これが神の裁きだ! 次は貴様らの番だぞ!」
嬉しそうにボルジア卿が笑った。
そんな彼にベリザリオは振り向く。
「これで彼らも再犯しようなどとしますまい。それに、彼らには命を保証すると約束しているのです。どうか、温情ある処罰をお願いいたします」
笑顔で若い枢機卿は言った。
けれど、ボルジア卿は不服だったようで、
「何を生温い事を言っておる! そういう手心が犯罪者を助長させるのだ!」
顔を赤くしてベリザリオを怒鳴りつける。
「今回は私の顔を立てると思ってお願いいたします」
静かにベリザリオが言った。口調は穏やかだが、目の奥が笑っていないし、槍を持つ手に力が入ったように見えた。いつ怪我をしたのか、彼の手から柄を伝って細く血が流れている。
ボルジア卿は忌々しそうにベリザリオを見つめ、拳を握る。
「今回だけだと心得よ!」
「猊下の懐の深さに感謝致します」
今度こそベリザリオが力を抜き深く頭を下げた。
チヴィタの破壊は暴徒の再集結を防ぐためだったのだろうが、ボルジア卿への脅しも兼ねていたように見える。
短時間でこれだけの事を考え、綺麗事さえ実現してみせた鬼才を、男は恐ろしいと思った。




