5-3 ワインの対価
「おっさん、こんなとこに何しに来てんの?」
空気なんて読まず、テオフィロが平然とバルトロメオに話しかけた。
「注文品を取りにな。教理省のバルトロメオだが、頼んでいた物はできているか?」
「あ、はい。すぐにお出しするので、少々お待ちを」
店員は大慌てで後ろに引っ込んで行った。
バルトロメオは直立不動でカウンター前を占拠している。他の客達の困ったような顔がジョエレの目に入った。
しばらく放置していたけれど、一向にバルトロメオは動かない。
「おいバルトロメオ。そこだと他の客の邪魔だから、こっち来い」
仕方なしにジョエレは異端審問官を呼んだ。
「む? それもそうだな」
素直にバルトロメオは移動してきた。
隣に立った彼をルチアが見上げる。
「ここに頼むってことは……パニーノ?」
口にこそ出していないが、似合わないと思っているのがバレバレだ。
けれど、バルトロメオは全く気付いていないようで、神妙な表情で頷く。
「最近の長官は根を詰めていらして、食事もまともに摂っておられぬからな。これなら片手間で食べられるし、良いのではないかと」
アンドレイナが言っていた、と、彼は言い、最後の一言でジョエレ達は納得して頷いた。
ただ、バルトロメオの言葉の中に気になる部分がある。
「教理省長官が直々にお出ましなほどの事件なのか?」
「悪いがそれは言えぬ。お主らも仕事か?」
「遊び」
「それはタイミングが悪かったな」
それから二言三言喋る。ほどなくして大きな袋を2つ抱えた店員が出てきた。
「バルトロメオ様、お待たせしました」
「急かしてすまなかったな」
バルトロメオが店員の元に行き袋を受け取る。そのまま軽く挨拶を残して去って行った。
すぐにジョエレ達の注文品も用意できたようで、呼び出しがかかる。
「3番の番号でお待ちのお客様〜」
「あ、はーい」
受け取ったパニーノとスープ、ワインを乗せたトレイを持ってテラスに出た。
数人の客が思い思いの席でくつろいでいる中、ジョエレ達も適当に座る。
「ねぇ、ジョエレとテオのも少し味見させてよ」
パニーノを囓ろうとしたところでそんな事を言われたので、ジョエレは手を止めた。そうして、ルチアの前へサラミを挟んだパニーノをやる。
「好きにかじっていいぞ」
「ありがとう、ちょっと貰うね」
ルチアは嬉しそうにジョエレのパニーノの端を切り取り、代わりとばかりに、自分のパニーノを切り分け置いて返してきた。
「あたしのもお裾分け」
「ありがとよ」
テオの分も同じ事をして、彼女は嬉しそうに食べだす。
女子というのは、少しずつ色んな物を味わいたいものらしい。
(アウローラみたいだな)
なんとなく懐かしく、ジョエレの顔に笑みが浮かぶ。
昔を連想させるものに遭遇しても、いい思い出だと思えるようになったのは最近だ。
流れる時は、どんな傷でも少しずつ癒してくれるらしい。
「ジョエレがなんか嬉しそう」
ルチアが不思議そうに小首を傾げた。
「そりゃ、美味い飯とワインがあれば、俺はご機嫌よ」
誤魔化すようにジョエレはパニーノにかぶりつく。
実際問題、平和な環境と美味い食事があれば、人生の半分くらいは満足なのではないかと最近思う。
ディアーナに丸くなったと言っておきながら、自分も丸くなったのだろう。むしろ、昔の自分に戻ってきたというべきか。
「にしても、何でこんなに物々しくなってるのかな?」
唐突に、遠くに視線を投げながらルチアがぼやいた。
「さぁな〜。新聞に載ってた事件で関係ありそうなのといや、教皇庁に強盗が入って、死傷者をだして逃走中ってやつくらいかね?」
「教皇庁に強盗って、無謀」
彼女の指摘にジョエレは頷く。
「おっさんの上司が出てくるって、大事だったりするわけ?」
テオフィロはよく分かっていない様子でぼんやりと尋ねてきた。
「あいつ、局長じゃなくて長官って言ってたし」
となると、今動いているのは、治安維持業務全般を管轄している教理省本体だ。大事なんていうレベルではない。
「大事どころか、超大事かもな」
「若いの。今の騒動に興味があるのか?」
突然、横から人影がぬっと現れた。
「誰?」
「知らない。ジョエレの知り合い?」
「んなわけねーだろ」
3人が顔を寄せている横で、赤ら顔の老人は空いている席に勝手に座る。そうして、ジョエレのワインを自分の方に引き寄せた。
「俺のワイン!」
ジョエレは手を伸ばしたけれど、老人はグラスを逆へと追いやってしまう。
「今の状況はな、30年前と非常に似とるんじゃ」
その上、ジョエレを無視して話だけは続けるようだ。
「おい爺さん、俺のワイン!」
「聞きたいじゃろう? 昔の話。このワイン1杯で話してやるぞい」
「糞爺、酒が欲しいだけじゃねーか。そんだけ酔っ払ってるのにまだ飲むのかよ!」
老人の耳には訴えが聞こえていないのか、ジョエレに目を向けもしない。
机に頬杖をついたルチアが阿呆らしいといった視線を向けてくる。
「もう、いいじゃないジョエレ。どうせ後でワイン買うんでしょ? 1杯くらいあげなさいよ。あたし、お爺さんの話にちょっと興味あるし」
「ほほ〜ん。嬢ちゃんは話が分かるのぅ」
老人は目尻を下げてルチアに寄り、彼女の手を撫でようとして叩かれていた。
しょげて去ってくれれば良かったのに、居座って目を血走らせている。
「いいか。あれは30年ばかし前、儂がオルヴィエート警察の1人として働いていた頃の話だ。この街の南にあるチヴィタ・ディ・バニョレージョって所に暴徒どもが集まってた頃があってな」
ジョエレから奪ったワインを飲み干し、老人は重々しく語りだした。




