5-1 教理省の乱 ◇
◆
深夜の教皇庁に警報が鳴り響いている。
「いたか!?」
「いや。そっちは?」
「駄目だな」
夜間勤務の警備員達が走り回り、警報の元を捜しているが見つからない。
「じゃぁ、自分はこっちを」
情報が無いのだから情報交換も手短なものだ。2人はそれで別れた。
それからすぐにくぐもった音が鳴る。警備員の1人がうずくまった。さらに数発の音が続く。彼は床に倒れこんだ。
警備員が動かなくなったのを確認して、剃髪した男は物陰から身を出した。倒れている警備員から銃を奪い懐に入れる。
「何か音がしなかったか!?」
周囲で警笛が響き、複数の足音が近付いてくる。
(警備の戻りが早いな。これなら強行突破した方が早いか)
舌打ちした男は隠れ進むのを止め、庁外を目指し走りはじめた。
「対象を発見! 応援を――」
道を阻む者は見つけ次第排除した。弾が無くなると銃を捨て、背負っていた槍に持ち替える。
「《穿てし魔槍》、能力解放10パーセント」
励起させた槍を構え、銃を構える警備員の壁へとつっこむ。
集った警備員のまとめ役と思われる男が手を上げた。
「撃――」
「哀れな者どもに救いあれ。エイメン」
男が前にかざした槍の穂先から10を超える閃光が走った。
勝負は一瞬。
数などなんの意味もない。
焼け焦げた死体を踏みこえ先に向かう。
「局長!」
そんな彼の前に、赤黒い修道服をまとった男が立ちふさがった。
これまでの警備員とは格の違う相手に、局長と呼ばれた男は足を止める。
「タッデオか。何用だ?」
「使徒シモーネが殺され聖遺物が奪われました。犯人を捜しています」
「では急ぐといい。俺と話している場合ではなかろう」
男は槍を下ろさぬまま1歩踏み出した。
彼の前に立ち塞がるタッデオが、腰に佩いている剣を抜き放つ。
「犯人はあなただと聞いておりますが? 申し開きを、使徒ジュダ」
「お前はどう思っているのだ? ブラザー」
ジュダが視線を向けると、タッデオが睨み返してきた。
「あなたが犯人で間違いないと思います」
「ならば、わざわざ聞くまでもあるまい」
ジュダが槍を構える動きに合わせて修道服が翻った。異端審問官だけが着用する赤黒い修道服が所々黒くなっている。返り血で汚れてしまったのだが、闇の中ではそこまで目立たない。
逃走するならやはり今のうちだ。
「《不滅の刃》を渡すか、俺と共に来い。ならば見逃そう」
受け入れられれば僥倖と、元部下に持ちかけてみる。
タッデオはそれが気に食わなかったようで、気迫が上がった。
「そのような戯言に自分が乗るとでも!? 笑止!」
彼は片手に剣を持ったまま銃を撃ってくる。
《不滅の刃》は決して軽くない。発砲の反動だって小さくはないのにだ。
(なんとも馬鹿力なことだな)
ジュダは《穿てし魔槍》を身体の前にかざし、熱線で銃弾を溶かした。
銃撃が止んだ隙を見計らい槍を横に凪ぐ。
穂先から放たれる閃光が広範囲にばら撒かれた。
「周囲への被害を無視とは、そこまで堕ちたか、ジュダ!」
タッデオが《不滅の刃》を前にかざした。同時に、広範囲に半透明の膜が展開され閃光を遮る。タッデオがどうだとばかりの顔になった。
彼からしてみれば、上手いことジュダの攻撃を凌げたつもりなのだろう。
(反応は悪くない。だが、まだまだ甘い)
ジュダは唇の端を片方上げると、タッデオに向かって一直線に走った。
槍の力を収束させ一点目掛けて突き刺す。
《不滅の刃》の展開させていた防御膜も易々貫けた。
「な、に?」
肩を貫かれたタッデオが目を見開く。
彼が次の言葉を発する前に、ジュダはタッデオの首筋を斬り裂いた。
地面に落ちた剣を拾う。タッデオから外した鞘に納剣して、自らの腰に佩く。こうすれば大して荷物にならない。
「そこで隠れて見ている者達、そのまま出て来ぬことだ。そうすれば命まで取りはしない」
それだけ言いジュダは再び走り出した。
警告が効いたのか、追撃はこない。
(さぁ、追いかけてくるがいいレオナルド。貴様の首も、組織への手土産にしてやろう)
◆
異端審問局局長、使徒ジュダの造反。
その報せを受けたレオナルドはすぐさま登庁した。
といっても、庁舎に到着した時にはジュダは完全に逃げおおせており、死傷者の処理と鑑識が進められている状態だった。
下手に現場に行っても作業員の邪魔をするだけなので、レオナルドは教理省長官室へ向かう。途中で参事官も合流してきた。
室内に入ると、奥へと進みながら説明を求める。
「どういう状況だ?」
「昨夜23時頃、当直勤務に当たっていた使徒シモーネを使徒ジュダが殺害。その上で、使徒シモーネの所持していた聖遺物を強奪しています。逃走を止めようとした警備員数十名と使徒タッデオも返り討ちにあい、同じく聖遺物を奪われたようです」
「《十三使徒》が2人もか?」
「《穿てし魔槍》を使ったようですね。目撃情報が上がっています」
「ふざけた真似をしてくれる」
窓から外を眺めつつ奥歯を噛んだ。
「要求は?」
「なにも」
「逃亡先は」
「使徒ジュダの凶暴さに警備員が怖気付いて見失ったようです。目下、捜索中と」
「後手後手だな」
こめかみに手を添えながらレオナルドは執務机に座った。
ジュダは仕事だけは熱心な男だった。出世欲も強かったのに、地位を捨てるような真似をしたのが信じられない。
(私への嫌がらせだというのなら、分からないでもないが)
彼がレオナルドに不満を持っていたのは知っている。たまに足を引っ張ってくれる事もあった。けれど、今回彼の引き起こした騒ぎは、レオナルドにはさしてダメージが入らず、ジュダの居場所を失くしただけだ。
そんな浅はかな事をするような人物ではないという思いが、ジュダの動機を見えなくさせる。
レオナルドが思考に行き詰まり、ふと下を向くと、机の上に小さな紙切れが置かれていた。
そこにはただ1行、
『チヴィタ・ディ・バニョレージョで、貴様は父親以上の恥を晒す』
とだけ書かれている。
レオナルドは紙切れを握りこみ、拳を机に叩き付けた。
「長官?」
参事官が怪訝そうに声をかけてくる。
「ジュダの行き先はチヴィタだ。協力者がいると思われるので、囲い込み用の人員を動員。相手が相手故、異端審問官を多く回せ。捕縛にあたる人間は1度オルヴィエートに集合。オルヴィエートの所轄にも手伝うよう手配を」
レオナルドは下を向いたまま、下がれと手だけを動かした。
参事官は大人しく去って行き、静かに部屋の扉が閉まる。
1人になった部屋で、レオナルドは再度机に拳を叩き付けた。
チヴィタはボルジア家にとって因縁の地だ。30年前に起こった事件は、ボルジア家最大の汚点と言ってもいい。
それを今更蒸し返されるような事を示唆されて胸糞悪い。
無視してやってもいいが、レオナルドが下手を打てば、弟であるメルキオッレの立場にも影響するだろう。
(あれの立場は弱い。私まで足を引っ張るわけにはいかぬ)
きっと、レオナルドが逃げないと踏んで、ジュダはこの案を立てている。
けれど、これでは、相手を貶めるために全てをかけているようではないか。ろくな努力もせずに、文句ばかり言う小者達と何も変わらない。
(こんな小賢しいまねをするとはらしくない。ジュダよ、何を考えている?)
付き合いだけはそこそこ長いつもりだったが、この時ばかりはジュダが遠く感じられた。
『銀行家の娘とエリートの徒然日記』の並行連載始めました。
ベリザリオ達4人が若かった頃のお話になります。
ジャンルが現実世界(恋愛)で主人公がアウローラのお話になりますが、興味がおありの方はこちらもどうぞ。




