4-13 届けられた手紙 1通目
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――凄惨な事件から26年が経過したオルヴィエート外れの邸宅跡。
「お前さ。いつの間に教皇庁のメインシステムに俺のデータ登録してたんだ?」
「ん」
ジョエレが尋ねると、パニーノの最後を口に入れたばかりのディアーナが顔をしかめた。彼女は少し待てとばかりに左手を前にかかげ、下を向く。
最後はワインで流し込んだようだった。
「あなたが私に付き合ってくれるようになってから割とすぐね。何があるか油断できなかったから」
「危ねえ事するな。バレたら懲罰どころじゃ済まないだろ」
ジョエレは顔をしかめる。ディアーナも眉間に皺を寄せ、指を当てた。
「あれは本当に大変だったわ。できたのも、悪い事の仕方をエルメーテが自慢気に喋ってて、それを覚えてたお陰だと思うの」
「おっかねぇカップルだな、おい」
「お陰で役に立ったでしょう?」
ディアーナが不敵に笑う。
「まぁな」
事実だったので、ジョエレは素直に頷いておいた。
「まぁ」とディアーナはひと呼吸おくと、表情を緩める。
「今ならそんなこと絶対できないけどね。あんな向こう見ずな事ができるだなんて、あの頃は私も若かったわ」
「本当に、お前丸くなったよなぁ」
口周りをハンカチで拭くディアーナをジョエレは眺めた。そんな彼に、彼女は空になったコップを出してくる。
「あなたも昔の感じは皆無だけど」
「違いない」
ジョエレは苦笑し、残り少なくなったワインを2つのコップに注ぎ分けた。
「それにしても。あなたの時は、いつになったら動き出すのかしらね?」
早速ワインに口を付けつつ、ディアーナがジョエレの顔を覗き込んでくる。
「お前が突っ込んだナノマシンが何かしてんじゃねーの? 視力が戻ったりとかもしてるしよ」
「そんなはずないじゃない。確かにあなたに使ったのは試作品だったけど、改良型を使っている患者の誰にもそんな症状出てないわよ。可能性があるなら、あなたの打ち込んだ遺伝子片でしょう?」
「かねぇ。遺伝子異常っていうよりは、テロメア異常起こしてる気がすっけど」
適当に相槌を打ちつつ、ジョエレはワインを喉に流し込んだ。
おかしいのに気付いたのは、第二の人生を歩み始めて数年経った頃だった。周囲が老けていく中、ジョエレだけが変わらなかったのだ。
最初の頃は、周囲も、自分も「いつまでも若くていい」と笑っていた。実年齢に比べ、見た目が若い人間はたまにいる。
ジョエレもそのタイプだったのだろうと軽く考えた。
けれど、いくら年月が過ぎようと老いの兆しが見えない。
周囲に怪しまれる前にジョエレは新しく築いた環境を捨てた。
見た目が変わらず怪しまれないのは精々が10年。
自分の身体に気付いてからは、定職を持たず、周囲との関係も希薄にして、定期的に住処を変える生活にせざるをえなかった。
「やりたい事ができるようにって、神が時を止めてくれてるのならいいわね」
「俺には、おめーみたいな奴は一生地上を這いつくばってろって、言われてるような気がするんだがな」
皮肉を込めて嗤う。
空になった紙コップを潰すと、ディアーナが空のコップを渡してきた。
「でも、この間はあなたが元気だったお陰で助かったわ。2人とも歳で体力無くなってたら、きつかったわよね、あれ」
「まぁなー。途中でへばってたもんなお前」
地面に置いていた紙コップの中身を捨て、ゴミは袋に放り込む。パニーノは包み紙だけ回収して、物はそこに置いたままにしておいた。
「んじゃま、酒も無くなったし帰るか」
立ち上がり背伸びする。
「ちょっと待って。見せたい物があって」
ディアーナがポーチを開いた。
「なんだ?」
「これ」
彼女の手に握られているのは、数十年前に嫌というほど見た封筒だ。ディアーナが手を動かすと、見覚えのある白い封蝋もある。
「きちゃった」
楽しそうにディアーナが笑う。
「きちゃった。じゃ、ねーだろ」
ジョエレは呆れた。けれど、妥当かとも思う。
「ロールで暴れたので目を付けられたのかもな。むしろ、今までよく誤魔化せてたくらいか」
「これからは向こうから来てくれるというのなら、わざわざ探さなくていいから楽よね」
「あんま悠長にし過ぎると、周囲の被害甚大だけどな」
ディアーナも立とうとしたので手を貸してやる。
「しばらくは大丈夫だと思うが、気は抜くなよ。少しでもヤバイと思ったら俺を呼べ」
「そうね。頼りにしてるわ」
話を終え馬を繋いだオリーブの元に行った。そこには暇そうなダンテが座っている。
足音でこちらに気付いたらしき彼は顔を向けると、眠そうに手を上げた。
護衛に連れてきたのだろうが、役立っているのか謎だ。
「こいつ1人だけここで留守番って、酷くね?」
「道中1人で動き回るわけにはいかないから仕方ないじゃない。あなたの側なら、あなたが守ってくれるでしょうし」
それに、と、ディアーナは先程までいた場所を見やる。
「ここでは、あなたと以外は過ごしたくないから」
ジョエレもそちらに目をやった。
「それもそうだな」
彼女の気持ちがなんとなく分かり、頷く。
特に意識していなかったけれど、ルチアやテオフィロを連れて来なかったのは、そんな気持ちがあったからかもしれない。
テロメア (telomere) :
真核生物の染色体の末端部にある構造。染色体を保護する機能を持つ。
細胞分裂を繰り返すことで短くなり、一定長以下になると細胞の老化が起こる。
細胞の癌化、不死化に大きく関与していると考えられている。




