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堕ちた枢機卿は復讐の夢をみる  作者: 夕立
Ⅳ.輝星堕ちし時
55/183

4-11 知らないあなた

 ◇


 それから一月ひとつき

 ベリザリオは死んではいない。けれど、意識もなく、機械により強引に生命活動を維持させている状態を「生きている」と言っていいのかは怪しい所だ。


 それでも、導入した汎用ナノマシンは仕事をしているようで、少しずつだが身体が再生されてきている。とはいっても、人が直視できる状態にはまだ程遠いのだが。


 その日もディアーナが包帯で巻かれたベリザリオを診ていると、病室の扉がノックされた。


「何?」

「お探しのものが見つかりました」

「案内してくれる?」

「はっ」


 女は頭を下げ、ディアーナがやって来ると廊下を歩きだす。

 案内された部屋ではベッドに1人の男が寝ていた。金髪で平均より少し背が高く、均整の取れた身体つきをした人物だ。歳も30前後だろうか。

 ディアーナが彼を観察していると、後ろから女が尋ねてくる。


「限りなくベリザリオ卿の身体条件に近いと思うのですが、いかがでしょう?」

「悪くないわ。死因は……聞くまでもなく銃創ね」


 彼の身体には胸に3カ所焦げた傷があった。1つは心臓のあたりだし、即死だっただろう。


「身寄りがないのは間違いない?」

「それは確実です」

「そう」


 ディアーナは振り返る。


「彼にベリザリオの特殊メイクを。絶対に剥がれたりばれたりしないように頼むわね」


 女が頷く。

 後は彼女に任せディアーナは部屋を出た。

 探していた駒が見つかって事態は動きだした。やらねばならぬ事は山積みだったから。


 まずは知りすぎた駒の処分から考えよう。捨てるには惜しい人材だが、これは必要な犠牲だ。

 仕方がない。

 これから犠牲者になる哀れな彼女のために、歩きながら祈りを捧げておいた。




 3日後。

 ヴァチカン市街を流れるテヴェレ川に、身元不明の女の死体が浮かんだ。




 ◇


 後日、ベリザリオに仕立てた死体をデッラ・ローヴェレ家に引き渡した。

 死体は貧民街から運ばれてきたものだったので、そのままを伝える。

 研究所で拝借したベリザリオの身分証を持たせておいた上に、一月程前にベリザリオ自身も貧民街に行っていた形跡があり、全く怪しまれなかった。


 彼の葬儀は大きかった上に、世間に大きな波紋を呼んだ。

 それも当然だ。

 つい数カ月前に枢機卿が1人殺され、記憶が落ちつく前にもう1人死んだのだから。


 政権のダメージコントロールをしていた仕事柄、ベリザリオはメディアへの露出が多かった。枢機卿にしては若いのと無駄に見た目が整っていたので女性からの人気は高く、行政手腕と仕事に対するひた向きさから、男性陣からも一目置かれていた。

 そんな状態だったものだから、周囲からは次期教皇に最も近い男と言われていた。本人にその気は全く無かったというのに、世間とは勝手なものだ。


(これでベリザリオは死んだ)


 半分国葬のようになってしまった葬儀に参列しつつ、ディアーナはほっとした。


 これで、"ベリザリオ・ジョルジョ・デッラ・ローヴェレ"という存在は消し去れた。彼にちょっかいを出してきた連中だって諦めるしかなくなるだろう。

 そうすれば、本物に魔の手が伸びる事は無くなる。

 彼が気にしていたディアーナや家族だって、脅迫の対象から外れるはずだ。


 軽く吐き気がしてディアーナは口元を押さえた。

 運悪く、テレビカメラがこちらを向いている。ベリザリオの死が悲しくて、涙を堪えているとでも放送されるのだろうか。


(ああ。でも、本当にストレスや疲れが貯まっているのかもしれないわね)


 最近やたらと気持ち悪かったり眠いのも、きっと、そのせいだろう。




 ◇


 さらに一月。

 ついにベリザリオの皮膚が再生された。抜け落ちた髪だって再び生えてきている。けれど、違う。


(あなたは誰なの?)


 ベッドに横たわる男の頭を撫でながらディアーナは問いかけた。

 大まかな身体的特徴は変わらないはずなのに、何かが違うのだ。髪の色が鮮やかな金からくすんだ金に変わったように、彼を構成するパーツが少しずつ狂っている。それが原因だろう。


 再生されただけの筋肉は細い。せめて動ける程度まで鍛えてやれば多少見た目は変わるのだろうが、意識が戻らぬことにはする意味がない。


「ディアーナ様、あちらの用意が整いました。彼を動かしてよろしいですか?」

「ええ。お願い」


 病室に入ってきたスタッフにベリザリオを任す。

 最近の彼は意識が戻らぬだけで、心拍数、呼吸、血圧、体温は安定している。食事さえ摂れれば点滴だって外していいくらいだ。

 そんな人物をいつまでも集中治療室(ICU)に入れておけないので、一般個室に移すことになった。


 スタッフと共にディアーナも新しい病室へ行く。

 新室には陽のよく入る明るい場所を選んだ。

 身分の低い者扱いなので特別個室には入れられなかったが、ここもそう悪くない。


「後は私がやるから、あなた達は外してくれる?」


 ベリザリオを移し終えたスタッフに頼んだ。

 細々とした仕事をしていた彼らだけれど、命令には従順に従ってくれる。


 2人きりになった病室でディアーナは窓を開けた。

 外から流れ込む空気は少し肌寒いが、密閉空間ばかりにいたベリザリオには新鮮だろう。自然光だって身体を刺激してくれるはずだ。


「いい天気ね、ベ――」


 ベリザリオと呼びそうになり口をつぐむ。

 彼は死んだ。この名で呼んではならない。

 けれど、意識不明者を刺激するのに語りかけは有効な手段だ。話しかけていれば、名を呼びたくなる機会も出てくるだろう。


(何か考えておかないと)


 とりあえず後回しにして、備え付けの棚にタオルなどを収納していく。それが終わると、


「この部屋に移れて良かったわね。ここからならヴァチカンの街並みも見えるのよ」


 早く目を覚ませと、彼の頬を軽く叩いた。

 わずだが、ベリザリオの瞼があがる。


「!?」


 彼の反応にディアーナは目をみはった。


「私が分かる!?」


 顔を近付け尋ねたが、彼の瞳に反応は無い。

 晴れ渡った空のような澄んだ空色の瞳が、深海の底のような濃い青になっていた。ここも、やはり変わっている。

 瞼を上げていてくれたのも一瞬で、その瞳はすぐに閉じられてしまった。


 けれど、胸に湧き上がった喜びが我慢できなくて、ディアーナは両手で顔を覆いながらうずくまった。



 ◇


 その日を境にベリザリオが少しずつ目を覚ますようになった。

 けれど、彼は何に対しても反応が薄く、言葉を発しない。こちらの言っている事も分かっていないようだった。


 それでも、少しでも回復の見込みがあるのならと、肉体のリハビリを治療に組み込み、めげずに話しかけ続ける。

 筋肉は順調についた。

 身体を動かせるようになったのに合わせて、食事も流動食から半固形、普通の物へと変えていく。必要カロリーが摂取できるようになったら点滴を外した。


 けれど彼は喋らない。

 こちらから話しかけた時の反応は少しずつ変化していて、最近では言葉を理解しているふしがある。それでもだ。


 そうしているうちに、自分の身の回りの世話程度なら、彼は自分で出来るようになった。

 しかし、彼は何もしないし喋らない。看護師が検診に行って話しかけても、無反応に外を見ているだけらしい。


(言語野あたりに障害があるのかしら)


 呆然と考えながら、ディアーナは今日もベリザリオの元へ行く。

 病室で彼はベッドに腰掛け、やはり外を見ていた。


「あなた、いつも外ばかり見ているらしいじゃない。何か好きなものでも見えるの?」


 彼の横にディアーナも座り外を眺めてみるが、これといって特別なものは見られない。ベリザリオだって無反応なままだ。


 ディアーナは白衣のポケットから折りたたんだハンカチを取り出した。ベリザリオの左手をとり、彼の手の平にハンカチの中身を置く。

 そうして、落としてしまわないように指を閉じさせた。


「これ、ずっと預かっていたんだけど、そろそろ返すわ」


 記憶すら失っているかもしれない彼に、少しでも刺激になればと、夫婦の形見の指輪を渡した。

 このまま持たせていると、無反応な彼だと落として失くしかねない。もう少ししたら首に掛けてやるつもりだ。

 けれど、その前に指でそれに触れて、何かを感じて欲しかったのだ。


 珍しくベリザリオの瞳が揺れた。

 今まで閉ざされたままだった唇もゆっくりと開く。


「ディアーナ、お前が持っていてくれたのか」


 懐かしい声が聞こえてディアーナの方が驚いた。

 喋れる上に、記憶もあったのか、と。

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