4-10 死亡工作 ◇
指針を決め、ディアーナはベリザリオの防護服のファスナーを下ろした。
細かく身体を確認していき、ベリザリオという個人に到達しそうな情報を持つ物を探す。
まっ先に、首にかかっていたペアリングのネックレスを外した。
他には特に見当たらなかったので、防護服を元のように着せる。
ネックレスは手と一緒に流しで洗い、ハンカチに包み、ポーチに入れた。
そこからは、無用な指紋を残さぬよう手袋を着ける。
休憩室に行き彼の鞄を漁った。身分証が出てきたので、後々使えると思い回収する。
クローゼットを開けてみると、上に引っ掛けてきたのであろう上着が掛かっていた。余計な物が入っていないか確認していると、裏ポケットから1枚の写真が出てくる。
それを見てディアーナの目頭が熱くなった。
そこには、エルメーテ、ベリザリオ、アウローラ、ディアーナの4人が写っている。
3人とも枢機卿になった記念にと撮ったものだった。だから、アウローラ以外は深紅の司祭服を着ている。
27の時、1番乗りでベリザリオが枢機卿になった。翌年にディアーナが、さらに1年遅れてエルメーテが昇進した。
「ギリギリ20代だったな」とか「やっぱり万年3位だったわね」とか、貶してるのかよく分からない言葉で祝福した。
エルメーテは文句を言いまくっていたけれど、それでも嬉しそうだった。
つい2年前の出来事だったはずだ。
何が悪かったというのだろう。
どこで自分達の運命は狂ってしまったのかと叫びたくなる。
ディアーナは唇を噛んで理性を保つと、写真もポーチの隠しに入れた。
出かかった涙は指で目の中に押し戻す。
泣いて化粧が崩れたりしては、何かあったのかと疑われてしまう。今必要なのは鉄の自制心だ。
見落としがないか、解放されている区画を再度見て回る。
P2実験室に戻ったとき床に散らばる髪を見つけ、部屋に備え付けられていた袋に回収した。ただ、量が多いので、ディアーナの小振りなポーチでは入らない。かといって、ここに捨てていっていい物でもない。苦肉の策で服の中に隠した。
(多分、これで大丈夫)
工作作業を切り上げ、手袋を外しながら休憩室に行く。
想定通り事が進めばこの区画にも鑑識が入る。触れているはずの場所に指紋がなければ不自然だ。残す指紋と付けぬ指紋の判断を誤ってはならない。
深呼吸して気分を落ちつけ警備室に内線をいれる。
「急患がいるみたいなの! 病院に運ぶから手を貸してちょうだい」
慌てている声音を装ってディアーナは訴えた。
『ベリザリオ様ですか!?』
「それが彼いないのよね。鞄が置いてあるから研究所内にはいるんでしょうけど。呼びつけておいて酷いと思わない?」
『はぁ』
どう答えたらいいものか、困ったような答えが返ってくる。
「愚痴を言ってごめんなさいね。ああ、それで、私は患者を病院に連れて行くから、ベリザリオに会ったら、用があるならそっちから来いとでも伝えておいてもらえるかしら?」
伝えたい事だけ言って内線を切った。
すぐに再度受話器をあげ、今度はオルシーニ家所轄の総合病院に繋ぐ。
「私だけど。個室タイプの集中治療室は空いてたわよね? 重篤患者を運ぶから使えるようにしておいてちょうだい。それと」
言うべきか迷い、やはり、言葉を続ける。
「開発中のナノマシンがあるでしょ? 汎用使用できないか試していたやつ。あれを用意しておいて」
『ですが、あれは動物実験すらまだの代物ですよ?』
「構わないわ。放っておけば死んでしまいそうな患者だから。有意義に被験者になってもらいましょう」
彼とは他人だ。
どうなろうと知ったことではない。
そんな態度をとるよう自らに言い聞かせ、ディアーナは指示を続けていく。
そうしていると複数の足音が聞こえてきた。
「じゃぁ、そういうことで。頼んだわね」
電話を切って汎用実験室に向かった。
すぐに2人の警備員がやってくる。
「患者は?」
「こちらに」
ディアーナは先導してP2実験室に入った。
続いて警備員も入ってきて動揺の声を上げている。
「まさか、ベリザリオ様?」
「違うと言ったでしょう? 見た事の無い人だったから誰だか分からないけど」
ディアーナがそう言うと、警備員達がほっと息を吐いた。怪しまれている気配は無い。それとなく反応を見ながらディアーナは指示を続ける。
「皮膚がただれていたから防護服を着せておいたわ。これならあなた達も患者に直で触れないで済むでしょうし。空調はグリーンだったから、何かに感染の心配はないんでしょうけどね。それじゃ、運ぶのは任せるわ。私は先に出て車を呼んでくるから」
警備員達を残し個人区画を出た。
研究所に来るのに使った車を待たせてあるので、それを呼びに駐車場に向かう。
開発中の汎用ナノマシンを使う恐怖に手が嫌な汗をかいた。
ナノマシンは医療現場で普通に使われているものだ。けれど、どれも1種類の治療に特化し、合併症などに対処するには使い勝手が悪かった。
それを改良して、障害を起こしている部分を複数カ所同時に治療してやろうという理念で開発中なのが汎用ナノマシン。
まだ、ようやく形にできただけの代物で、細胞実験をしているような段階だ。実地投入すれば、不具合なんて掃いて捨てるほど出てくるだろう。
それでも、そんなものにさえ縋らなければならぬ程、ベリザリオの容態は悪かった。
外見であれなのだから、内部はもっと酷くてもおかしくない。
そもそもが、脳がどの程度生きているのかが不明だ。脈があったのは、脳幹部分だけが生きていたからという可能性だってある。
大脳が死んでいれば、知性あるヒトとして復活できる可能性はゼロだ。
彼がどうなるか。
それこそ、神のみぞ知るというやつなのだろう。
病院に着いたらベリザリオを救急処置室に運んだ。
奥まった区画までストレッチャーを入れてもらい、ディアーナはカーテンで他の患者の目を遮る。医師もすぐにやってきた。
防護服に手を掛けた医師は、その状態で手を止めディアーナに尋ねてくる。
「防護服を着ているようですが、こちらに運ばれたのなら、感染症などの可能性は無いのでしょうか?」
「ええ。それは私が保障するわ」
「では、現状確認に移ります」
医師が手際良く防護服を切っていくと、化学研究所で見た時より酷い状態になったベリザリオが現れる。
運ぶ時に壊死していた部分が擦れてもげたのか、所々肉が抉れていた。
場所によっては黒ずんだ骨が見えている身体を見て、医師が顔をしかめる。
「微かに脈は感じますが酷いですね。助かりそうに見えませんが、本当に治療を?」
「ええ。どうせ死ぬのなら、少しでも役に立ってもらいましょう。先に連絡しておいたから、汎用ナノマシンの用意はできているわね?」
「できておりますが、患者のお身内と連絡は? それに、デッラ・ローヴェレから事情聴取への出頭要請と患者の引き渡し要求が来ていますが」
「デッラ・ローヴェレの方は私がどうにかするわ。あと、この患者、身元が分かっていないの。でも、分かるのを待っていると多分間に合わなくなる。何があっても責任は私がとるわ。処置をしてちょうだい」
「そう仰るのなら」
医師は頷き、防護服の下の服も切り除き始めた。
その様を見ながらディアーナは指示をだす。
「現状有効な治療は無いから、ナノマシンを導入するだけでいいわ。あとは、腐敗が進行すると良くないから、壊死部分は全てとり除いて消毒を。処置が終わった場所は治癒促進作用のある包帯で巻いておいて」
「承知しました」
服を除かれたベリザリオは上からシートを掛けられ、手術室へと消えていった。
すぐさま扉上の手術中のランプが点く。
それをディアーナは見つめた。
色んな意味でベリザリオはついていたと思う。
自殺の偽装を頼んだのが医学に精通しているディアーナでなければ、彼はあのまま死んでいたはずだ。
ディアーナが汎用ナノマシンを開発中でなければ、打つ手も無かった。
オルシーニが医療技術を伝える家でなければ、ディアーナが汎用ナノマシンを開発しようともしなかっただろう。
(これだけの偶然が重なって得た機会なんだから、最後まで土壇場での運の強さを見せなさいよ)
閉じた手術室の扉をディアーナは一瞥し、身を翻した。




