4-8 選ばれた道
貧民街での用を済ませたベリザリオは墓地へ向かう。
花の咲き誇る霊苑内を抜け、まずはスフォルツァ家の散骨場で祈りを捧げた。その後、デッラ・ローヴェレ家の散骨場に足を向ける。
人口が少なく、土地も余っていた時代、遺体の処理は今と違っていたと聞く。
最後の審判の日に敬虔深い信者は復活できる、という教義も手伝って、人々は土葬を行っていたらしい。
けれど、住める土地が限定されてしまっている現在では、墓地に割ける土地が少ない。遺体は全て灰にされ、撒いて終わるようになった。
教皇になれば歴代教皇と共に、選帝侯は各家で、その他庶民は共同の散骨場に、故人の灰は撒かれる。
デッラ・ローヴェレ家の散骨場は中心に石のモニュメントが配置され、周囲は花であふれていた。モニュメント横の石板に刻まれているのがこの地に撒かれた者の名だ。
新しい彫り痕をベリザリオは指でなぞった。
(我が子よすまない。せめて名だけでも決めていれば、お前の名も刻めたかもしれなかったのにな)
増えたのはアウローラの名だけ。
まだ産まれていなかった子は死者として数えてもらえなかった。アウローラと共に燃やされ散骨されたものの、名すら残せなかった我が子に、せめてもの祈りを捧げる。
そこでしばらく時を過ごし、ベリザリオは家に戻った。
◇
家に戻りついたら自室に引き上げ電話をかけた。
数コールの後、ディアーナが出る。
『誰かしら?』
「ベリザリオ」
名乗ると電話口の相手が黙った。
彼女の沈黙の理由は分からなくもない。婚約者の死の原因であるベリザリオの声など聞きたくないだろう。
それでも、こちらには用がある。
「1週間後、私の実験室に来てくれ」
『気分じゃないんだけど』
「それなら気が向いた時でいい。1週間後以降ならいつでもいいから。P2実験室にいる」
一方的に用件だけ言って電話を切った。
すぐに折り返しの電話がきたが無視する。先日書いておいたディアーナ宛の手紙を持って部屋を出た。
化学研究所の自分の実験区画に行き、入り口に鍵をかける。区画を管理しているコンピュータにアクセスして、1週間後に解錠するようにセットした。
ベリザリオの専用区画は、今いる汎用実験室から、休憩室と、管理レベルの異なる実験室に繋がる作りになっている。
その中でも、P2実験室の扉に分かりやすくディアーナへの手紙を貼りつけ、扉横の生体認証システムで部屋のロックを解除した。そのまま操作を続け、解錠された状態で固定する。
とりあえず白衣と手袋だけ着けてP2実験室に入った。
冷凍庫からウィルスを取り出し解凍の操作にかける。それだけで使用済みの手袋は捨てた。
そこで一旦部屋から出る。
左手の薬指から指輪を外し、アウローラの物と共にチェーンに通した。それをまた首から下げる。それから、ロッカーの中から全身を覆うタイプの化学防護服を取りだし、下半分だけきちんと身に付けた。
(これで、やっておくことは全てか?)
目を閉じ行動を思いだし、大丈夫だと結論付けた。
目を開けると休憩室に行き、あらかじめ用意しておいた睡眠薬を適正量より少しだけ多めに飲む。防護服の頭部を持ってP2実験室に戻った。
ウィルスがいい感じに解凍されてきていたので、滅菌済みの注射器に移す。それを自らの腕に注射した。刺し傷に止血テープだけ貼って、素早く防護服をきっちり着込む。
最後に、これまでの操作で使った物を全て袋にまとめ、高圧蒸気滅菌にかけた。
「終わったか」
そこまでやってベリザリオは一息ついた。
1日動き回って疲労していたこともあり、眠気の強くなり方が早い。
本当はいけないのだが、無菌実験台の前面ガラスシャッターを全て上げ、作業台にうつ伏せになった。
おぼろげになっていく意識の隅で、これからどうなるのだろうと、ぼんやりと思う。
本来遺伝子操作をする時は、目的遺伝子の他に、それを制御するための遺伝子なども一緒に組み込む。そんなのを無視して無秩序に調整した遺伝子片は、ウィルスによってベリザリオに運ばれた後、正常な遺伝子を改変し、細胞の壊死、もしくはガン化を引き起こすだろう。
その結果、生命活動を維持できなくなり死亡。そこまでは想像できた。
マウスでの実験では、ウィルス感染から形質発現までが恐ろしく早かった。
ヒトであっても傾向は変わらないはずだ。
予想される苦しむ時間が短そうな事だけが救いだろうか。
自殺は罪だが、周囲を組織の手から守る術がこれしか思いつかなかった。
普通に自殺しては家に迷惑をかけるので、最低限事故死が装える体裁は作っておいた。
第一発見者にディアーナを指定し、後処理を丸投げしてしまったけれど、怒りながらも彼女なら上手いことやってくれるだろう。
ベリザリオにはもう生きる目的がない。
エルメーテが教皇になりたいというから、彼を手伝えるよう枢機卿になった。
アウローラと産まれてくる子が少しでも穏やかな環境で暮らせるよう、世の中が良くなるよう、仕事にもうちこんだ。
なのに。
成果を捧げる相手はもういないのだ。
やる気なんて消え失せた。こんな、残りカスみたいな命で残っている宝物を守れるのなら、そっちの方がずっといい。
(アウローラ、エルメーテ。私もお前達と同じ場所に逝けるだろうか)
問いかけたすぐ後で、自殺なんてする奴は地獄行きに決まっていると、自分でつっこむ。
(指輪だけでも揃えて終われたから、いいか)
ごわつく手をベリザリオは胸元に持っていき、そのまま目を閉じた。
◆
親愛なるディアーナへ
まず、謝ろうと思う。
私事に巻き込んでエルメーテを死なせてしまった事。アウローラという友を奪ってしまった事。これからお前に頼まねばならない事についてだ。
あの日私達を襲ってきた組織に、私は以前から勧誘されていた。それを無視し続けて起こったのがあれだ。
彼らに協力するのは嫌だし、かといって、これ以上被害が拡大するのも私は望まない。
なので、命を断とうと思う。
彼らの正体は分からない。
けれど、身内、少なくとも教皇庁内に内通者がいるのは間違いない。
下手に目立てばお前も目を付けられるだろう。
毒牙にかからぬよう、一線からはわざと引いた地位を維持するのをお勧めする。
ここからは私の我儘なのだが、腐れ縁だと諦めて引き受けて欲しい。
知っての通り、自殺は罪だ。
私個人が断じられるだけならいいが、デッラ・ローヴェレ家、下手をすれば、アウローラの実家まで責を取らされる可能性がある。
無関係な彼らにその仕打ちは申し訳ないので、私の死を実験中の事故に見せかけて欲しい。
私は例のウィルスで遺伝子を狂わせて死のうと思う。
お前が訪れる時にはウィルスは全て死滅している……はずだが、もしもの時のために、拡散しないように防護服内に閉じ込めるようにはしておいた。
実験室自体は安全だ。鍵も開けてあるので、何も気にせずP2実験室に入ってくれて構わない。
誰かを呼ぶ前に、偽装に必要な細工は何でもやってくれ。
私の名誉ならいくら地に落ちようが構わない。
家族を頼む。
最期まで仕事を押し付けてすまないが、お前だけでも幸せに生き延びてくれる事を心から祈っている。
ベリザリオ




