4-4 接触
(あの手紙の送り主か!)
相手が彼らであれば早々に自分を殺しはしない。
そう判断して、ベリザリオは縋りつく妻を引きはがし立ち上がった。アウローラを巻き込まぬようその場を離れつつ周囲を確認する。
使用人達が倒れ、かたわらに青い法衣の連中がいた。
着いた時にざっと見ただけだが、倒れている使用人の数が足りない。ならば、答えはひとつ。
最初から、使用人の中に裏切り者が紛れていたということだ。
使用人の手配は教皇庁の総務が行う。情報の漏洩元であり、裏切りの可能性が最も高いのは、その立場にいる人間だ。
ベリザリオ達の情報だって、教皇庁内部にいれば比較的簡単に得られただろう。
教皇庁は一枚岩ではない。ベリザリオとソリの合わない派閥もある。おかしな動きをする者がいても、そういう連中なんだろうと流してしまうのが常だった。
それに紛れられてしまっては気付かない。
(そんなのただの言い訳か)
奥歯を噛んだ。
そう、どれだけ理由を並べようと言い訳だ。
危機感が足りなかった。全てはこの一言につきる。
そんなベリザリオに初老の男が手を差しだしてきた。服はもちろん青い法衣。
「今あなたが我々の手を取れば全員助かりましょう」
「断れば?」
「絶望を」
男の手に銃が現れた。と、思ったら引き金が引かれた。
ベリザリオの腹部に衝撃が走る。襲ってきたのは猛烈な痛み。それに伴い、半分忘れていた足の痛みまで感じるようになってしまった。
激痛と傷で立っているのが辛くなり、その場に崩れ落ちる。
いきなり自分に銃口が向けられたのは大き過ぎる誤算だった。
「急所は外しました。弾も抜けています。殺すような真似はいたしません。我々はあなたが欲しいのですから」
「断る!」
打算も何もなく口が動いていた。
こんな状態で直感で動いたのもどうかと思うが、警告をする前から武力を振り回してくるような連中が言う事など信じられたものではない。
再度銃声が響き、すぐ近くで嫌な音と声がした。
恐る恐る首を巡らすと、アウローラの身体に赤色が増えている。
「あ……な……」
血に汚れた彼女の手が上がりかけ、途中で力なく落ちた。
「アウローラ?」
ベリザリオは呼びかける。
目の前の光景が信じられなくて、信じたくなくて、真っ赤に染まって動かない妻に。
何度も、何度も。何度も何度も。
最後は身体を引きずりながら叫んでいた。
「あなたがそちらの世界に未練があるというのなら、ひとつずつ削いで差し上げましょう」
止めろ。
人の世界に土足で入り込んで荒らしていくな。
「彼女は幸せだったでしょう。この汚れた世界から解放され、母なる大地に還れたのですから。視点を変えれば、我々は奥方をお救いして差し上げたともいえるのです」
そんな事誰も頼んでいない。
「我ら終焉をもって楽園を創造せん」
何を言っている?
「さぁ、手を。共に世界の浄化を」
初老の男が手を差しだしながら近付いてくる。
彼が伸ばす手にベリザリオは手を伸ばし、掴む振りをして銃を奪おうとした。しかし、傷付いた身体ではそれすらままならず、逆に男に蹴り飛ばされてしまう。
「頑固なお方だ」
男の銃があらぬ方を向いた。そちらにあるのはエルメーテとディアーナの身体だ。
「止めろ!」
「彼らに祝福あれ」
無情な銃声が轟いた。
発砲音のたびにエルメーテの背が弾ける。
「いやぁああああああっ!」
半狂乱のディアーナの悲鳴が狂音に混ざった。
そんな音に混ざって、ぱちんと異音がする。
邸宅から火が出ていた。
「返答は?」
初老の男の声が聞こえる。
すぐ近くで言われているはずなのに、その声はとても遠い。
木造の邸宅が炎に舐められていく様をベリザリオはぼんやりと眺めていた。
答えなんて出せるわけがない。
頭は既に現実を拒否しているのだから。
「今日お答えを頂くのは難しそうですね。仕方がないので引き上げると致しましょう」
男がベリザリオの前でしゃがみ、1輪の白百合を顔の前に置いた。
男の青い法衣に白百合が重なり、なんとなく、ベリザリオの脳裏に聖母マリアの姿が浮かぶ。
白百合は聖母を示す花。
青い法衣は彼女が着ていたとされる服だ。
慈愛を振り撒くはずの聖母と、世界の破滅を望む組織の姿が重なるだなんておかしくて、ベリザリオの口から笑い声が漏れた。
この場にはあまりにそぐわない行為だ。
けれど、強くなっていくばかりの痛みによる撹乱が酷く、出血のためか鈍くなってきた理性はそれを止めてもくれない。
「メメントモリ」
男の口から言葉が紡がれる。
ベリザリオにも、不思議と、今の景色にはその言葉がびったりに思えた。
「死を想え、死を讃えよ」
男の言葉は続く。
炎は倒れている使用人達にまで回り、彼らが焼ける臭いが漂いだした。
エルメーテとディアーナが倒れている場所も、アウローラの倒れている場所も、幸い火には巻き込まれそうにない。
回らぬ頭でも、その程度の判断はしてくれた。
「公安に通報はしておきました。直ぐにあなたを助けに来てくれるでしょう。それではまた、ベリザリオ様」
男が悠然と見下ろしてきた。
彼は全く動いていないのにベリザリオの首筋後ろに刺激が走る。
その瞬間に意識が途切れた。




