4-3 指輪
「あ、ベリザリオ。お前、それ、絶対内緒なって約束してただろ!」
「忘れたな」
素知らぬ顔でベリザリオは苦情を流した。
「かーっ! 友達甲斐のないやつだぜ」
エルメーテは不満だらけのようだ。それでもベリザリオ達が貸してやった指輪を観察する仕事は忘れていなかったようで、指輪を重ねて声を上げる。
「ディアーナ見てみろよ」
指輪がディアーナの方に差しだされると、それを彼女も覗き込む。
「永遠の愛を誓う……。本当に彫ってあったのね」
エルメーテとディアーナがベリザリオをまじまじと見つめてきた。
「なんだ?」
その視線が気に入らず、ベリザリオは冷たく返す。けれど2人の生暖かい視線は変わらない。
「そんな照れんなよベリザリオ」
「結婚したてのアウローラが教えてくれてたのよ。あなた達2人の指輪を合わすと、字が出てくるようになってるんだって」
「しかも、用意したのは、お、ま、え」
エルメーテが口元を押さえ下を向いた。小さな声を漏らしながら肩が小刻みに震えているのは、どう見ても笑っている。
ようやく笑いが収まったようで、顔を上げた彼は、満面の笑みで、
「お前ってさ、言い寄ってくる女を手玉に取りまくるくせに純情だよな。アウローラとは学生時代に付き合い始めたまま結婚したし」
そんなことを言い放ってくれた。
臨月の妻の前で他の女の話題は最悪だ。それに、この言われ方は、褒められているのか馬鹿にされているのか分からない。
結果、ベリザリオはカチンときた。
「一途は美徳だろう。浮気がバレてディアーナに振られる度に、寄りを戻すのを手伝ってくれと泣きついてきたお前より数倍マシだ」
笑顔でベリザリオはエルメーテへと腕を伸ばす。無防備なエルメーテの顔面にアイアンクローをきめ、指先に力を込めた。
ついでに指輪を取り戻すことにする。
何故かエルメーテが抗ってきて取っ組み合いになった。
男2人が騒いでいる横で、ディアーナはアウローラに指輪を返している。
「エルメーテがこんなの用意してきた日には、新しい女でも作ったのかをまず疑うわよね」
「それはそれでどうなんだ、お前達」
一瞬で固まったエルメーテから指輪を取り戻すのは、実に簡単だった。
◇
遠目に丘上都市の姿が確認できるようになった頃、ディアーナがエルメーテをつついた。
「ねぇ、ちょっとオルヴィエートに寄ってくれない? 美味しいパニーノ屋があるらしいから食べてみたいわ」
「お、いいな、それ」
上機嫌にエルメーテが指を鳴らした。
そういえば、と、ベリザリオは呟く。
「オルヴィエートといえば白ワインの名産地だな」
「そういえば、俺、ここの白ワイン好きなんだよ。ディアーナにパニーノ買いに行ってもらってる間に、俺達ワイン買いに行こうぜ」
どこまでもご機嫌なエルメーテはベリザリオの行動も勝手に決め、内線で運転席へ進路変更を告げている。
「男性陣がワインなら、私達で彼らのパニーノも選んじゃっていいってことよね?」
「そうね。ちょっと楽しみ」
アウローラが柔らかく微笑んで、ベリザリオの腕にそっと触れた。
「ねぇ、あなた」
「うん?」
「食べてみたいものが幾つかあったら、半分食べてくれる?」
彼女が首を傾げたのに合わせて金糸の髪がさらりと流れる。
「ああ。好きに買っておいで。ただし、私の胃袋の限界も考慮してくれると嬉しい」
流れた髪をベリザリオは彼女の耳にかけてやる。答えに満足したのもあるのだろうが、アウローラの目尻が下がった。
「食べたいの全部買っちゃえばいいんじゃないかしら? 4人で頑張ればどうにかなるでしょ」
「おぉ。さすがディアーナ様。頼もしいお言葉」
すかさずエルメーテが茶化す。
「私達3人が食べきれなかった分は、全部あなたが頑張るのよ」
笑顔のディアーナがエルメーテの頬を引っ張った。
「いひゃい! 痛いぞ!」
彼はすぐに彼女の手を引きはがし頬をなで始める。婚約したというのに2人の関係は昔と変わらない。変わらないから結婚に踏み切れたというべきか。
この、側で見ているだけで胸がほっこりする2人が生涯を共にするという話は、最近の出来事の中で2番目に嬉しい事柄だ。
「なんか嬉しそうね」
変らぬ笑顔でアウローラが聞いてきた。
「なんでだろうな? 2人の漫才を見ていると、どんな時でも不思議と平和だなと思うんだ」
「分かる。私もそうだから」
くすくすと2人で笑った。
こちらを見たエルメーテとディアーナはなんとも複雑な表情をしている。そうして揃って否定の言葉を吐いてきた。
顔を見合わせた2人が言い合いを再開する。
それを見ながらベリザリオとアウローラがのんびりしていると、あっという間にオルヴィエートに到着した。
目的の物を揃え車に戻る。街を離れ小さな道をしばらく行くと、教皇庁所有の別荘に辿り着いた。
教皇庁はヨーロッパ中に邸宅を所持している。用途は出張の際の滞在場所にしたり、こうしたちょっとした行楽に使ったり。事前連絡しておけば掃除は入るし、当日の使用人の手配もしてもらえ、中々に便利だ。
車が玄関につく前から使用人達が外に出て頭を下げている。
執事が車の扉を開けてくれるのを待ち、まずベリザリオが降りた。続いて降りてきたアウローラの手を取り、立つ手伝いをする。
「ありがとう」
彼女が微笑んでくれたのでベリザリオも笑みを返し、手を取ったまま進んだ。
この邸宅は、田園風景の広がる周囲に配慮して小振りなロッジ風に作られている。つまるところ、玄関扉までに階段がある。途中で彼女に転ばれたりした日には心臓が止まってしまうので、介助は必須だ。
荷物を持ったエルメーテとディアーナも車から降りてきた。執事が荷を持とうかと尋ねているが、すぐなので自分で持つらしい。
「こうやって抱きかかえると凄くいい匂いがするんだけど。早く食べたいわね」
「車の中でもいい匂いしてたもんな〜。お前達どんなの買ってきたのよ?」
「牛のケバブ風、蒸し鶏、サラミ、アボガド、ポークジンジャー、ベーコン、あと何だったかしら?」
「いくつ買ってき――」
ベリザリオが振り返ったその時、嫌な音が響いた。
目の前でエルメーテの左肩が爆ぜる。
「なん……?」
突然すぎる出来事に頭が回らなかった。
明確な意味を持った言葉すら出てこず、肩を押さえる親友を呆然と眺めるだけしかできない。
ベリザリオだけではない。
ディアーナも、アウローラだって、言葉を失って立ち尽くしていた。
周囲で使用人達が騒いでいるのは聞こえていたが、雑音として流れていく。
そんな中で、最も早く立ち直ったのがエルメーテだったのは、被害者だったからだろうか。
彼は負傷しているにも関わらずディアーナを地に押し倒し、上から覆いかぶさった。
「ぼさっとしてんじゃねぇ! 次が来るぞ!」
その声にベリザリオは我に返る。とりあえずアウローラを逃さねばと思ったけれど、動くには遅かった。連続して銃声が聞こえ、右脚に衝撃と熱が加わる。
自分も撃たれたのだと分かったが、意識はそれより最愛の妻に向いていた。
アウローラの腹が赤く染まっていた。
彼女は叫び声をあげ、腹を抱えうずくまろうとする。ベリザリオはそんな彼女を包み込むように抱えた。そのまま身を隠せそうな物陰に走る。
右脚に上手く力が入らなかったのは気合でどうにかした。
「あなた。赤ちゃんが。私達の赤ちゃんが」
腕の中でアウローラが呻く。
「大丈夫だ! さっさと切り抜けて病院に行くぞ!」
植木の茂みに倒れ込み、彼女は木に寄りかからせた。
上着を脱ぎ、それでアウローラの傷口を圧迫する。
興奮のせいか、怪我のせいか、アウローラの呼吸が荒い。撃たれた場所は悪いし、出血も少なくない。
それに、彼女にはああ言ったが、銃のひとつすら持たぬ身で、この状況をどうすればひっくり返せるのか。考えても案は出てこない。
そんな中、縋りつくようにアウローラがベリザリオに身を寄せてくる。
「お願いあなた。私はどうなってもいい。赤ちゃんを助けて」
「馬鹿を言うな! お前さえ元気でいてくれれば子供はまたできる! だから、気をしっかり持て!!」
「やっと授かった子なの。3年もかかって、やっと」
アウローラの目から涙があふれた。
何かを求めているのか彼女の手は宙を彷徨い、呻き声をあげながら腹を押さえる。
そんな彼女を今のベリザリオには抱いていてやることしか出来ない。
頭の中は、理不尽な事態に対する疑問と怒りで一杯だ。
なぜ自分達が狙われている?
公開していない私生活の予定がなぜ漏れた?
襲撃相手は誰だ?
エルメーテとディアーナは無事か?
使用人達はどうしている?
事態をひっくり返せるのか?
考えたところで答えの得られぬ問いばかりが頭を埋め尽くす。
時間の無駄だ。
もっと建設的な思考に労力を割く方がいい。
冷静な部分のどこかはそう訴えているのに、感情部分がままならない。
「親愛なるベリザリオ・ジョルジョ・デッラ・ローヴェレ様。本日はお日柄も良く、ご婦人のさえずりが耳に心地良いですね」
思考をさらに掻き乱すように耳に滑り込んでくる声。
どこかで感じた感覚にベリザリオの肌が泡立つ。
「再三のお願いにも関わらずあなたからの反応がありませんので、本日はこちらからお迎えに上がってみました。余興はお楽しみ頂けましたでしょうか?」




