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堕ちた枢機卿は復讐の夢をみる  作者: 夕立
Ⅳ.輝星堕ちし時
46/183

4-2 子供の名

 ◆


 ――26年前。国務省長官室。



 親愛なるベリザリオ・ジョルジョ・デッラ・ローヴェレ様

 類稀なる才能を持ち、慣習に囚われないあなただからこそ、我々の考えに賛同頂けるものと信じております。

 あなたの纏う衣が深紅から青になる日が楽しみです。



(またか)


 シンプルにそれだけ書かれた便箋をベリザリオは封筒に戻した。

 便箋にも封筒にも送り主は書かれていない。そんな手紙を最近しつこく受け取っていた。


 送り主の分からない手紙は普段から無くはない。行政に対する苦情、ささやかな礼。多様な案件がやってくる。

 けれど、そのほとんどは1回きりの手紙だ。

 そんな中で、この送り主が数度に渡り手紙を寄越していると分かるのは、手紙に共通点があるからに他ならない。


 封筒の表には宛先だけが書かれ、裏は、百合の花をかたどった白い封蝋がなされている。中に入っているのは短い文章の書かれた便箋1枚だけ。微かに何かの匂いがするのも特徴だろうか。

 危険物が染み込んでいるといけなかったので、匂いの成分を調べてみたら、花の香りだった。

 センスは悪くない。

 しかし、思考のセンスは壊滅的だと思う。


 最初は短く挨拶だけが書かれていた。

 次からは、現在の行政に対しての意見がしばらく続いた。

 それが終わると、送り主の目指す世界の在り方、やりたい事が綴られ始め、それを為すための組織にベリザリオに入れという。


 組織の名前も実態も何も分からないが、上位の者は青い法衣を纏っているというのは書かれていた。

 最近の手紙の最後に必ず書かれている「衣が深紅から青に変わる」。これは、人々を教え導く枢機卿から、害する立場に変われとの暗喩だ。


(手紙を出し続ける根性は認めるが、その程度では何も動かないと分かっていないのか?)


 これまで送られてきた手紙と共に執務机の引き出しに入れ、鍵をかけた。

 この手紙には信憑性が無い。

 教皇庁の転覆を目論むような事が書かれているが、現状、そういう活動をしている犯罪組織は報告されていない。ベリザリオが転身した場合に得られる利益が書かれているわけでもない。

 色んな意味で、あって然るべきものが無いのだ。


 それでも、もしもがあると怖いので、こうして手紙だけは保管している。


(そろそろ本腰を入れて差出人を探ってみるか)


 どうすればいいかをぼんやりと考える。癖で目の間に指を持っていくが、そこにかつてあった眼鏡は無い。


(ああ、そうだった)


 その事に気付き指をどけたけれど、今度は何となく手持ち無沙汰だ。眼鏡からコンタクトに変えて10年を超えるが、古い癖は時々出てきて困らせてくれる。


 ともすれば眼鏡に流れそうになる思考を何とか固定し、差出人を特定する方法を再び考えだした。

 けれど、その時間はほとんど与えられず、部屋の扉がノックされる。


「はい」

「お迎えが来ておりますが」

「もうそんな時間か。分かった、すぐに行く」


 やりかけの思考を放棄して、肩から掛けていた真紅の司祭服カソックを脱いだ。クローゼットに収納し、代わりに軽いジャケットを羽織る。

 急いで行政府を出ると、玄関に胴が短めのリムジンが横付けされていた。

 ベリザリオの方を見た運転手が扉を開けたので、さっさと乗り込む。


「よう」


 陽気なエルメーテの声が出迎えてくれた。小さな車だけあって後部座席の定員は4人。彼の隣にはディアーナ、その対面にアウローラが座っている。

 互いの距離が近いので話しやすいし、軽く遊びに行くだけなので、良い選車だ。


「悪いな。待たせて」

「安息日にまで書類整理に行くって、どんだけ仕事の鬼なんだよ」

「たまたま仕事が立て込んでてな」

「さすがに行政府の華、国務省の長官様は忙しいな」


 茶化すようにエルメーテが笑う。2人が挨拶を交わしている間に車が走り出した。


 ヴァチカンを抜けた車はそのまま北へ向かう。石とコンクリートだらけだった景色も、オリーブとぶどう畑の広がる田園風景に変わった。


「いつ見ても、この一帯の景色は落ち着くわよね」


 車窓から外を眺めながらディアーナが言う。


「ああ。だから、アウローラも気分転換にいいかと思ってな」


 ベリザリオは横に座るアウローラに微笑んだ。笑みを返してくれた彼女は膨らんだ腹を優しく撫でている。

 そんな彼女にディアーナが顔を向けた。


「予定は来月だったかしら?」

「うん、そう。元気に産まれてくれればいいけど」

「そうね」


 ディアーナも優しく微笑みアウローラの腹に手を伸ばす。けれど、触れる寸前で止めた。


「触っても?」

「もちろん」


 許可を貰ったディアーナがそろそろと腹を撫でた。

 エルメーテはぼんやりとその様を眺めている。それがベリザリオの方を向いたかと思うと、思い出したように尋ねてくる。


「お前達、子供の名前、もう考えてんの?」

「まだだな」

「それどころか性別すら知らないんだよ? この人が、楽しみは多い方がいいからって」


 アウローラが苦笑した。


「正直どちらでもいいしな。私からは名前を1つやるつもりだが」

「へー。どっちを?」

「ジョルジョの方だな。ファーストネームはアウローラに付けてもらおうと思ってる」


 ベリザリオがアウローラを見ると、彼女は驚いたように瞬きをしている。


「そうなの? 初めて聞いたんだけど」

「おいおい。お前ら夫婦の意思疎通はどうなってるんですか?」


 苦い顔のエルメーテが突っ込むように手を動かした。

 席でくつろぐ姿勢に戻ったディアーナも、立てた人差し指を唇に当てながら言ってくる。


「アウローラにファーストネームを考えさせるんだったら、あなたもあげる名前捻れば?」

「私もか? そんな言われてもな」


 ベリザリオは腕を組んだ。

 ミドルネームを与えることしか考えていなかったので、突然名前を捻れと言われても思いつかない。それでも、隣でアウローラが目を輝かせているのを見ると考えぬわけにもいかず、


「男ならジョエレくらいでいいんじゃないか? 女の子の方は、家に帰ってから腰を据えて考えよう。適当な名では可哀想だ」


 どうにか第一案を捻り出した。

 だというのに、同乗者達は、揃いも揃って残念なものを見るような眼差しを向けてくる。


「何だよその格差」


 疲れた声でエルメーテが言ってきた。


「アウローラの娘だぞ? 可愛いに決まっている。だから、それに恥じない名を与えないとな。それで嫁には行かせない。婿をとらせる」

「うわぁ」


 エルメーテとディアーナが揃って口元に手を持っていき、何の偶然か同じ言葉を発した。


「男なら適当に扱われて、女なら親バカ決定って、どっちの性別で産まれても、その子かわいそうじゃね?」

「奇遇ね。私もそう思ったわ」


 2人は顔を近付け、小声ながらも、しっかりこちらにまで聞こえるように喋っている。

 さすがのベリザリオも憮然とした。

 文句を言ってやろうと思ったのだけれど、肘置きの上に置いた手にアウローラが手を重ねてくれる。彼女は相変わらず笑顔で、その顔を見たら拗ねるのも馬鹿らしくなって、溜め息ひとつと共に忘れた。


 そんな感じでたわいない話を交わしていると、エルメーテがぽんと手を叩く。


「そういやベリザリオ、お前達の結婚指輪見せてくれよ」

「構わんが、急にどうした?」


 ベリザリオは左薬指から指輪を外し、エルメーテに渡す。


「アウローラ、あなたのも」


 隣では、アウローラがディアーナに指輪を渡していた。


「いやさ。ほら、俺とディアーナもようやく結婚できる運びになりまして、指輪作りの参考にだな」

「そうなんだ? おめでとう2人とも」


 まるで自分の事のようにアウローラが喜ぶ。ディアーナははにかんだ。


「ありがとう」

「結構かかったな」


 思った事を素直にベリザリオが口にすると、ディアーナが重々しく溜め息をつく。


「本当よ」

「2人とも選帝侯だったりすると、色々大変なんだね」

「まぁ、それも、あるにはあったんだが」


 歯切れ悪くエルメーテが頭を掻いた。そんな彼を冷たく見ながらディアーナが話を引き継ぐ。


「1番の原因は彼の素行の悪さよ。昔の女と手を切るのに、まぁ、大変大変」

「ああ、そうなんだ。へぇ」


 アウローラが納得したように頷き、次の瞬間にはエルメーテに向けられる冷たい視線が増えた。

 それを嫌がるようにエルメーテは顔の前に手をかざし、背を反らす。


「止めて! そんな冷たい目で俺を見ないで! 今はディアーナ一筋なんだから許してくれよ〜」

「本命だからって手を出せないでいたら本人から軽蔑されたことといい。馬鹿の見本にも程があるな」


 3人の様が馬鹿馬鹿しくて、ベリザリオはぽつりと呟いた。

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― 新着の感想 ―
[一言] >「本命だからって手を出せないでいたら本人から軽蔑されたことといい。馬鹿の見本にも程があるな」 ↑ いや、本当によく結婚まで漕ぎ着けましたよ。 本命の前では本心を出せないツンデレ感と言えば聞…
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